1:狐と呼ばれる男 (幸村)
2:蛇皮線 (左近)
3:狐と呼ばれる男2 (政宗)
4:下克上 (三成)
5:昔の話 (三成)
「三成殿は本当に純粋な人ですね。」
そう言うと三成殿は目を丸くして、私のことをまじまじと見られました。その顔はまるで、孫市殿の口説きが成功した、と耳にしたかのような驚きを示されていました。そこから、私の先の言葉がどれだけの効力を発揮したのか察しはしましたが、愚鈍ゆえ、私はいつもどおり笑みを湛えておりました。
三成殿はしばしの間、呆然と私を見つめていました。私が前言を撤回すると思ったのでしょう。けれど、やがて私の変わらぬ態度にじれたのか、眉間にしわを寄せて問いました。
「俺が純粋?馬鹿な。人は俺を狐と呼ぶほどだぞ?」
「いいえ、近くで見ればすぐ分かります。」
そう、私が答えますと、
「そんな目は犬にでもくれてやった方が良い。」
突然後方から聞こえたこの声に、三成殿は改めて顔をしかめました。私は、ただ笑みを浮かべて、我らが主を迎え入れました。
「政宗様、いらっしゃるのでしたら、迎えに出ましたものを。」
戸口で腕を組み室内を物珍しそうに眺めているあの方に、三成殿がそう言葉をかけながら、その視線を邪魔するかのように立ち上がりました。伊達にこれだけの智謀に長けた将らを抱え込んでいるわけではありませんから、当然、あの方も三成殿の行為に気づきました。
「何じゃ、見られて困るものでもあるのか?」
その肩口に部屋を覗き込もうとするあの方を、三成殿が遮りました。むっとするあの方に、三成殿が小さな声で抵抗を示します。
「…別にありませんが。」
「なら、良いではないか。」
「見られて気分が良いものでもないのです。」
「またようわからん屁理屈を。」
こうなれば、問答です。しかし、あの方には主としての奥の手「命令」が使えるわけですから、答えはもう決まったようなものです。私は笑って、立ち上がりました。
「何じゃ、幸村。もう行くのか?わしはすぐ去るゆえ、ここにおれば良い。」
「いいえ。どうやら、私の用も済んだようなので。」
慌てた声で、三成殿が私の名を呼びました。私は気づかない振りをして、あの方に頭を下げ、その場を去りました。この流れならば、わざわざ私に方法を相談せずとも、三成殿はあの方に渡さざるをえないでしょう。
その目がどれほどひたむきにあの方を追うか、その声がどれほど真摯にあの方を慕うか。三成殿、それほど智謀に長けた貴方なのに、気づいていらっしゃらないのでしょうか。なるほど、そうだとするならば、ァ千代殿が不器用と評するのも分かります。
南蛮貿易でようよう手に入れたその贈物が、媚を売っているわけでもなく、ただ、慕うがゆえのものであると、あの方ならすぐに気づくでしょうに。
私と三成殿とでは想いの意味が違うとは知りながらも、そんなことにも気づけぬほどあの方に盲目な貴方のことが愛おしくもあり、羨ましくもあり、同時に、妬ましくもあるのです。
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「今日も一歩も外に出ずに働きづめですか。どうしたんです?機嫌悪いですよ。」
そう言えば、殿は面倒臭そうに俺の持つ楽器に目線を向けた。
「そう思うのなら、その騒音をやめろ。」
不器用だこと。俺は内心、そう思って苦笑した。それが問いの返しになってはいないことをちゃんと承知の上での返答だろう。しかし、だったらもうちっと巧く返せないもんかねえ。それが殿である所以とはいえ、少しばかり心配になるのが部下というものである。が、こればっかりは心配しても意味がないので、俺はべべんと蛇皮線を鳴らした。
答えないってことは、どうせまた、あの人関係だろう。やれ、お市様を重用しすぎる。やれ、忙しくて会いに行く暇もない。いや、後者は前からのことだから、お市様が最近あの人に自分より側にいるのが気に食わないんだろう。まったく、この人は子供で困る。何で、あの人から離されて、こんな戦ばっかの攻防の最前線に配置されてるのか。あの人と一緒に奥に引っ込んでるお市様よりも、信頼されてるとは思わんもんかねえ。ちったあ戦働きを誇れば良いのに、戦でかかった費用の計算書と睨めっこして、笑う気配もない。
「これが今はやりの蛇皮線ですよ。どうです、左近の奏でる音曲は?」
仕方なしに、適当に音楽を掻き鳴らせば、
「下手だな。」
安直な殿は失笑を漏らした。こんな意固地で不器用で口も性格も悪い殿だが、俺にとっては無二の殿である。そう、俺はあの人に仕えてるわけでも、ねね様に頼まれているわけでもない。俺は、殿に心服しているのだ。だから、俺は安堵して笑った。
「よかった、殿が笑った。」
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狐などと言われたところで、所詮、他国のものの言うこと。この男は不器用な人間にすぎない、と、わしは思う。その上、結構迂闊だ。きっちり根回しをしたと見せかけて、その実、大切な部分が抜けていて調略に失敗したことも一度や二度ではない。わしみたいに寛大な主君でなければ、かように間の抜けた男に策を委任することもなかろうに、と思う。
とはいえ、思うだけのことで、四傑筆頭を解任する気はない。なぜなら、かように不器用でありながら真っ直ぐ上を目指すこの男が、どこまで上れるのかと側で見ていて楽しみだからだ。どこか、希望を抱かせる目をしている男であることよ、と、思うのである。
思うのである。
思って、いた、のだが。
どうもわしの見止めていたこの男の内情と、実際の内情に行き違いがあったようだ。わしは自分に圧し掛かる部下を見上げながら、内心、訝った。はたして、どこに行き違いがあったのだろう。この男は、わしをいずれは君主の座から蹴落としてやろうと思っていたのではないのか。そうではないのか。それとも、このわしが小姓のような真似をさせられそうなのは、その第一歩なのか。
「逃げないのですか?」
問いながらも、その清冽な瞳に浮かぶのは紛れもない不安と情欲だ。試すように、骨ばった細い指に頬をなぞられ、わしは肩をすくめ、この男はどうしたいのだろう、と本気で悩んだ。そうするうちに腹が立ってきた。わしが逃げることを恐れるような目で、逃がそうとするような行動を取る。勇み足なのか、今更のように二の足を踏もうとしているのか。どちらにせよ、もう足は上げてしまっているのだ。その着地点など、わしが、知るか。
わしは、頬の一つも張ってやろうと思い、腕を振り上げた。しかし、男の顔を見て止めた。わしはへそ曲がりだ。へそ曲がりでなくてはならぬ。でなければ、なにゆえ、かようなことをしでかそう。そう、だからこれはへそ曲がりゆえの暴挙に違いない。その腕で思い切り首に絡め引き寄せてやると、男はどうやら驚いたようだった。それに気を良くして、わしは鼻を鳴らした。わしだとて、驚いた。だから、わしだけ驚くのは、どうにも我慢ならぬ。こやつも散々驚けば良いのじゃ。
そのまま力いっぱい男を抱きしめると、どうしてか、緊張に胸が煩く鳴った。最悪じゃ。その内心の舌打ちが耳に届いたわけでもあるまいに、男は震える声で問いかけてきた。
「…良いのですか?この、俺などに。」
それは、期待ゆえだろうか、不安ゆえだろうか。
だから、このわしが、知るかというのだ。始まりを決めたのは貴様の方じゃ。ならば、その始末は貴様がつけよ。
男の震えに気づかぬ素振りでそうわしが返してやれば、男は肩を震わせて、小さな声で「お任せください。」と頷いた。生娘でもあるまいに。なにゆえ泣くのじゃ、と口を開きかけて、わしは口にする代わりに、男の頭を強く胸に掻き抱いた。
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一度、ふと思い出したかのように、この人は眉間にしわを寄せて、俺の態度を詰られた。光秀の老婆心を無駄にしてやるな、と言うのだ。それに、おねね様や家康の心配も無駄にしてやるな、と。今は戦乱の時代である。よって、強きもの、智謀あるものこそが偉い。ゆえに年嵩など上下関係に無関係といえど、年下の人間に苦言を呈され、俺は内心憤った。そしてそれ以上に、この人が俺に目をかけてくれているのだと思って、安堵した。俺は、お市にはまだ負けていない。同じく四傑であるお市の方がこの人に重用されているように感じることの多い昨今、それが大いに俺の気に障るのだ。この人は俺の一番である。だから、俺も、この人の一番でありたいのに。お市なぞ、さっさと長政の子でも孕んで、家に引っ込んでおれば良いのだ。
そんなことがかつてあったのだが、こんな状況でそれを思い出したのは、この人がふと思い出したかのように言動することが多いためだろうか。
それを逢瀬と称して良いのならば、幾度目かわからない逢瀬の今宵。この人は謙信公のところで慶次らと浴びるように呑んできたのか、酒臭さを漂わせて俺の部屋を訪れた。寝入りばなだった俺は想定外の訪問に少なからず驚きもしたし、多少なりとも睡眠を邪魔され気分を害したが、それ以上に嬉しさが勝って、この人をすぐさま部屋へ招きいれた。
この人はしばらく、ああだこうだと酒の席の話を語って聞かせた。俺はさして興味がないながらも辛抱強く聴いていたのだが、この人は俺の殊勝な態度に感心したらしく、おねね様に対してもそう接してやれ、などとのたまった。それから、ふと、思い出したように、辛辣な口を利かぬな、などと言い出した。何がです、と問えば、昔はわしに対して偉そうじゃった、などと答える。それは、敵対していたのだから当然だろう。しまいには、俺の敬語は慇懃無礼でならないからどうにかならんのか、とごね始め、俺の手を焼かせた。一体、俺にどうしろというのだ。
「ならば、どうして欲しいんです。」
とうとうじれて問いかけた俺に、この人はけらけらと可笑しそうに笑い声を立てて、俺の布団にごろんと寝転がった。酔っ払いだ。すると、この人は、思わず溜め息をこぼす俺を見上げて、心底楽しそうに命じた。二人きりの間だけでも、敬語を止めろというのだ。何でも、昔が懐かしいらしい。この人に対して敬語を用いなかったときなど、それこそ、数年前の数ヶ月ほどの短期間で、思い出そうにも思い出せぬ時代なのだが、この人はとんと聴く耳持たない。仕方なしに、俺は駄々をこねる子供に接するように、素の口調でこの人に接してやった。
それがどうということでもないのに、何故か、この人は気に入ったらしい。様もいらぬ。そう命じて、俺の袖を引いた。
「様付けなぞ、守役でもあるまいに、不要じゃ。それとも、これも、子守の延長か?」
小十郎殿がこの人にこんなことを仕出かしたら、と思うだけで、俺は胸糞悪くなった。腹を斬らせるどころの話ではない。冗談でも止してください。そうたしなめてから、俺はふと思いついて、口端を吊り上げた。そんな俺の企みに気がついたのか、この人は腕の中で身じろぎをした。
「敬語だと、その都度、身分が下の男に良いようにされていることを改めて思い知らされて、矜持が傷つけられますか。」
そう言ってから、わざとらしく様づけで名を呼ぶと、この人はわなわなと唇を慄かせて、なにごとか返そうと試みたようだった。怒鳴ろうとしたのかもしれないが、詳しくは知らぬ。俺はその唇を塞いで、後は気の召すまま、この人が望んだように様をつけぬまま、浮かされたようにこの人の名を呼び続けた。
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俺が恋?恋などしていない。相手は主君で、何より、男だ。そんな浮ついた想いを、この俺が、抱くはずもない。そう言うと、それまで至極楽しそうだった濃姫は、急に興醒めしたらしかった。
「理屈ばっかり…つまらないのね。」
濃姫はそう漏らし、まるで先ほどまでのやり取りなどなかったかのような態度で、伝令の報告書を投げやりに見た。既にその目に俺の姿はない。これだから、女は嫌いだ。こちらを見たかと思えば、もうあちらを見ている。それに、妙に色恋が好きだ。俺には理解できん。
「敵はカスばかり…くだらないわね。ねね、軽くあしらってやるわよ?」
「はっ、お濃さま。ねね、気合入れます!」
「使える子ね。」
何故か、常に緊張気味であるおねね様に笑いかけると、濃姫はようよう立ち上がった。
「あなたの敵、私が裁いてあげる。」
ここにはいないあの人を呼ぶ声は、謳うような慈しみに満ち溢れている。俺が女だったら、こんな声であの人を呼べたのだろうか。これが恋だと、認められるのだろうか。俺は濃姫を疎ましく思う一方で、女であり続ける濃姫を妬ましくも思うのである。
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初掲載 2008年12月ごろ
正式掲載 2009年2月14日