ヒーロー / 坂本真綾


 大坂には、雨が降りしきっている。
 政宗は膝の上で拗ねたように丸くなっている三成の髪を優しく梳いた。三成の姿は、まるで、外敵から身を守る胎児のようだ。わしが母だったら、と一瞬思い、政宗は苦笑して頭を振った。母は子供とかような真似はしない。かといって、愛人というには悪ふざけがすぎている。夫婦であるなどとは到底言えない。
 手の下で身じろいだ三成に、政宗は髪を梳く手を止めた。それを諌めるように三成が呻き声を上げたので、政宗は笑って再び梳いた。手触りが絹糸のような明るい色をしている髪は、女ならばさぞ持てはやされただろうと思うような一品だった。色が明るすぎるが、怜悧な美貌には漆黒はきつすぎるだろう。
 いまだ赤い目元に視線を落としながら、政宗は黙って、ただ髪を梳いた。


 白昼、三成が政宗を訪問するのは非常に稀なことだった。
 三成は伊達家に陰険であり、対する政宗は、朝鮮出兵以来三成を内心憎んでいるというのが世間一般の解釈だった。そう取られるのも致し方ない二人で、実際のところ、そのように思われるよう振舞う二人でもあった。最初に取り決めをしたわけではないが、三成も政宗も、そのような約定を結んだ心地だった。
 だから、仕事上の理由があって訪れた様子ではない三成に、政宗は、眉をひそめると同時に不安に思った。それは、自室に通し、三成に相対したことで確固たるものになった。
 三成は、秀吉が急逝したと、それだけ告げた。
 抱き締められて肩を震わせて、泣かれたのは、初めてのことだった。


 「雨が止まねば良い。」
 ふいに沈黙に落ちた呟きに、政宗は再び髪を梳くことを止めた。今度は、三成から文句も出ることはなかった。
 「雨が止まず、氷雨になって、そのまま雪となってしまえば良い。屋敷は閉ざされて、お前は奥州にもどこにも帰らない。」
 馬鹿を言っている、と政宗は思った。迷い言、あるいは泣き言だ。
 「根腐れを起こして作物が枯れて、増水した川が氾濫し病が流行ろうと、俺には関係ない。ずっと、閉ざされてしまえば良いのだ。」
 閉じたところでどうなるというのだ。
 「三成。」
 精々優しい声で政宗は告げた。
 「それでも、戦は起こるぞ。」
 「それでもだ。豊臣も徳川も伊達も何もかも滅んでしまえ。俺はお前さえ傍にいれば良い。」
 嗜めようと口を開きかけた政宗に、三成は、それを遮るように腕を伸ばして噛み付くような口付けをした。政宗は胸中哀れみながら、三成のそれを柔らかく受け止めた。
 大坂には、雨が降っている。涙雨は当分止みそうにない。
 その束の間のときを甘やかしてやることしか、今の政宗にはできることはなかった。











初掲載 2008年6月8日