救い上げたのは俺だ。良くぞ命を助けてくれたと喜ばれることはあっても、怒られるようなことはしていない。生にあれほど執着していたのは、貴様の方ではないか。
そう三成が言うと、政宗はさっと眦に朱を走らせて、三成の頬を強く打った。遠呂智軍において上位に位置する伊達軍を救うのに、三成が魏軍でどれほど苦労を負う羽目になったか、知りもしない政宗の激昂だった。三成はそれを憎らしいと思った。勝手なことをして、好き放題暴れて、それで生き長らえて何が不満だ。
だが同時に三成は、それが己の勝手だと理解してもいた。政宗が望んだのは、遠呂智の生だった。遠呂智の生、遠呂智の天下、あるいは共の死。しかし、三成には政宗を死なせるつもりなど毛頭なかった。無理を強いてでも、生かしたかった。そして、先ほどまでの死んだような生き人であるよりは、憎悪でも浮かんでいる方がよほどましだった。むしろ、その憎悪にこそ、三成は魅入られていた。
「勝手なものだな。」
政宗の隻眼に怒りが浮かんだ。
確かに、勝手なのはお互いさまだった。だが、その勝手を通すことができるのは、やはり優位にあるものだけだ。昨日まで、優位にあったのは遠呂智軍に在籍した政宗だったかもしれない。しかし、今はもう違うのだ。
三成は再び頬を打たれる前に政宗の手首を掴み、怪訝そうにまじまじとその手を見やった。政宗の手首は細く、頼りなかった。その事実を認識して、三成は無性に腹が立ってきた。蜀軍では、太公望なる仙人が遠呂智軍殲滅を画策していたという。三成が魏軍にもう少し参じるのが遅かったならば、遠呂智共々、政宗も失われていたかもしれなかった。
吐き捨てるようにして、三成は紛うことない本心を吐露した。
「政宗が欲しい。俺のものになれ。」
何度も何度も告げた本心だ。告げるたび、政宗は煩わしそうに眉をひそめて、三成の告白を綺麗に切り捨てた。以前、己が特に考えず重ねた行いがこれほど辛く腹立たしいなどと、想い人にされるまで三成は少しも知らなかった。また、知って諦められるような恋でもなかった。三成は、憎悪や嫉妬という苦くて重い感情を称して「恋」と呼んでいるだけだ。
この重い感情を自覚しなければ、三成としてもどんなに良かったか。実際羨ましいことに、政宗や家康の生きた世界では、三成も最期まで自覚することなく、関ヶ原で討ち死にしたという話だ。だが、今の三成は自覚している。自覚してしまった。原因は、遠呂智、その一者の介入に尽きた。
そして、遠呂智、その者が死してなお、政宗を魅了している。
政宗は殺意と悲哀を交互に覗かせた後、感情を一切合財消し去った。
「またかような戯言を…。嫌じゃ。わしには貴様についていかねばならぬ義務も義理もない。わしが望むものは、この世には、もうない。どれだけ望んでも、遠呂智はもうおらん。」
そっと洩らされた溜め息交じりの言葉に、三成は眉間に深くしわを寄せた。
「馬鹿なことを言っているのは貴様の方だ。遠呂智?あのような死しか望まない者に、一体、どんな望みが託せたというのだ。あれは望み通り、黄泉の旅路に着いた。貴様がしたことといえば何だ?折角床に着いた者を私情で甦らせ、乱を起こした、それだけだろう。」
「煩い!貴様に…貴様に、遠呂智の何がわかるというのじゃ!あやつは…、」
「わかっていないのは政宗、貴様の方だ。仙界から永劫という罰を科せられたあれは、ただ、全てを終わらせたかっただけだ。天下?そんなもの、端から眼中になかっただろうよ。」
「煩い煩い煩い!」
政宗は泣きながら頭を振った。その姿は、三成の目には駄々をこねた童のものにしか映らなかった。
布団を強く掴む手の甲にぱたりぱたりと涙をこぼした後、政宗は俯かせた表を上げ、三成を真っ直ぐ睨み付けた。そこには、感情を消し去った瞳などなかった。ただ、憎悪と殺意に燃え滾る瞳が存在した。
「…貴様なぞ死ねば良い!」
「はっ。子供の駄々と同じだ。気に喰わないことは全て否定するか。貴様は、清濁全て超えようとしているものだと思っていたがな。」
「煩い!わしは、わしは!…、何とでも言えば良い。例え身体が何となろうと、わしの心は貴様のものにはならぬ。わしは誰のものでもない。わしは、遠呂智の。」
「そう、遠呂智のものでもない。そして、貴様のものですらない。政宗、貴様を拾ったのは俺だ。ならば、俺がどうしようと勝手だろう。貴様の心も俺のものだ。」
再び、精彩を欠いた政宗の瞳に憎悪と焦燥が浮かび上がった。その目が愛おしくて、三成は笑った。それは「愛おしい」というにはあまりに昏い感情だが、「いと惜しい」と思う感情に他ならなかった。
「張子の虎はもう止めろ。俺は貴様の中身が欲しい。」
愛憎全て、残らず欲しかった。
初掲載 2008年5月21日