その部屋は美しく仕立てられていた。
張り替えたばかりの藺草は芳しく、床の間には一国に当たるという茶器が飾られ、臨める庭も美しく整えられている。籠の中では、贈られた金糸雀が麗しく歌い、立てられた香は華やかだった。そこが倹約家で名高い三成の家屋とは信じられぬほど豪勢な部屋である。また、そこが座敷牢だとは到底信じられぬほど豪勢な場所でもあった。だが、強靭に張り巡らされた鉄格子が虜囚の自由を阻み、外への遁走を不可能にしていた。そもそも、念には念を入れたのだろうか、虜囚の足の腱は断ち切られていた。
囚われの住人の名は伊達政宗、奥州を取り仕切る伊達家の当主だ。否、当主だった、と言うべきだろう。関ヶ原で西軍が勝ち、東軍に与した責任として、政宗は無理矢理家督を譲らされた。それから一年以上が経っている。小十郎や成実が政宗を忘れたとは考えにくいが、それでも、民や部下の間で政宗の記憶が薄れ始めたであろうことは想像に難くなかった。
政宗は風雅な風景を邪魔する、無骨な鉄格子を一瞥した。木製ではなく鉄製のそれは、どうあっても政宗を逃がさないためだろう。もっとも、自殺を含め逃走は政宗に許されておらず、また、政宗も逃走するつもりは毛頭なかった。自害するなど、論外である。伊達家の存命がかかっていた。それでも時折死にたくなったが、手の届く範囲に刃物の類は置かれていなかったし、首を括るような場所もなかった。舌を噛み切ろうと試す頃には、政宗も正気に返っていた。
それらの原因は、全て三成が絡んでいた。死にたくなるのは、決まって、三成の腕で抱かれたときだった。その檻は鉄格子と異なり強靭に政宗を囲みはしなかったが、それでも、檻であることに変わりはなかった。
政宗は跡のついた手首を見やった。そのとき、三成は何をしたいのだろう、と政宗の中で疑問がもたげた。政宗には、伊達の憂き目がかかっている、それだけで逃走を回避させるに十分すぎるほどの効果があった。だのに、三成は執拗なまでに、政宗が逃げる手段を失わせた。部屋から自害する道具を取り除き、周囲に鉄格子を張り巡らせ、足の腱を切り、己が寝てしまう可能性のある際には政宗の手首を強く縛った。厚手の布を巻き、その上から紐で括られるのだが、それでも、政宗の柔肌にはこうしてきつく跡が残された。
じっと跡を見ていると、髪に触れられた。考えるまでもない、三成だ。この場所に訊ねて来るのは、家屋の主の三成だけだった。三成は手ずから食事を与え、その度に政宗の歓心を得ようと様々な贈物を寄こし、そして抱いた。山犬、と兼続に貶されていたが、今の己は山犬にすらなれない愛玩犬だ、と政宗は思った。三成は概して、政宗にそのような対応をした。
「政宗、どうした。」
髪に顔を埋める状態で背後から優しく抱きしめられて、政宗は回された三成の腕を見て、この腕が己を放さないのかと絶望にも似た怒りを覚えた。しかしそれもすぐさま、何処かへ飛び去り、消えてしまった。強い感情を維持することが、政宗にはもう面倒臭くなってきていた。煩わしく、勿体ない。政宗が強く感情を発しても、それを抱きとめる者はここにはいなかった。
涙ももう出ない。元より、ここに来てから落涙していない。
返事を寄こさない政宗の唇を、三成は困り果てたように指でなぞった。
「俺のことを怒っているのか?」
三成は言った。
「だが、こうでもしないと政宗は遠くへ行ってしまうだろう?」
「…、伊達も取り上げられてしまったわしが、一体、何処へ行くというのじゃ。」
「何処か、遠くだ。」
何処か遠く、とは曖昧な言葉だ。そんな理由で自由を奪われるなど、あまりに理不尽だ。だが、政宗は口を噤み、それを言わなかった。言ったところで無駄だと疾うに知っていた。
三成は己のせいにも拘らず哀れむように、政宗の手首の赤く鬱血した跡を撫ぜた。
「俺を置いて、何処にも行くな。」
「去れば、伊達を取り潰すのであろう?」
「そんな生温いこと。一族郎党、お前を匿いそうな関係者全て、一人残らず撫で斬りしてやる。」
政宗は背後を振り向かなかったが、それでも、三成が本気であることを知っていた。その目が狂気に輝いているであろうことも、それが狂喜に近いであろうことも、政宗は十分すぎるほど知っていた。三成は、本当は、政宗に関係した者を全てこの世から抹殺してしまいたいのだ。それを阻むのは、政宗、だけだった。
現状として、政宗にとって三成は枷であり、三成にとって政宗は枷である。どちらかが勝手な行為に走れば、伊達も政宗も消え去るだろう。
この家屋において、政宗に接触を果すことのできる人物といえば、三成のほかに誰も居なかった。そのため、政宗の情報は三成のもたらすものが全てだった。だから、三成が嘘を吐けば取引は成り立たない。それでも不思議と、政宗は三成が嘘を吐く事はないだろうと信じた。三成は根底で狂っていたが、嘘を吐くような輩ではなかった。
「お前が女なら、話は楽だった。」
「…。」
「孕ませて、俺のものだと認識するのも容易かっただろうに。それでも、お前は、俺も子も置いて遠くへ去るのか。」
「…、去るとも限るまい。」
政宗は言いながら、己は去るだろうと確信していた。真綿で首を絞められるような、喜びも苦しみも、望んではいなかった。
これが幸せだと知らされたくなかった。
「狐なのはわしではのうて、貴様の方ではないか。三成。」
初掲載 2008年5月4日