花を散らして


 ちりと痛みに及ばない刺激が走った。
 政宗は花を生ける手を休めると、肩越しに恋人を振り返った。いつもは固く合わされた政宗の袂を緩め、後ろから抱きこむようにして、三成は飽かず口付けをしている。肩付近、鎖骨ならまだ良い。しかし耳元まで上がってくると流石に隠し切れぬから、と一度強く窘めたのだが、三成が止める様子はない。片意地な男だ、一度注意して無駄なら、数を重ねても無駄だろう。襟巻きでも付けて隠そう、と政宗は諦めて遠くを見やった。
 働きすぎだと小十郎が小言を垂れたので、今日は元々休むつもりだった。この離れから人払いは既にしてあることし、政宗の居住だ、勝手に入れる者は居ない。火急の案件があれば別だが、秀吉の浮気がばれない限り、滅多なことで声は掛からない。政宗と三成が恋人であることは周知の事実で、その逢瀬ともなれば、それなりに周囲も気を使っているのだ。三成と違って、政宗はそれを承知していた。
 もう一刻ほどになる。活けた花と共に飾ろうと選んだ漆塗りの手鏡を手に取ると、白い肌上に鬱血がちらちらと目立った。それらは紅白大小不揃いで、中には犬歯の跡だろうか、歯型めいたものまである。正直、下手糞だ。紫色に変色したものも見つけ、政宗は眉間にしわを寄せた。
 本気で面倒臭いなこやつ、と、流石に恋人の手前口に出すようなへまはしないが、常々政宗は思っている。
 三成は理論先行型で完璧主義者だ。その偏執の迷惑を蒙るのは決まって政宗か左近である。左近は仕事の片腕なので、それほど無理難題も押し付けられない。しかし、恋人である政宗には恋愛の進行や閨での振舞いや恋人らしさ、そういったものを求めるのだ。面倒臭いことこの上ない。その上、途中で巧くいかないとなると苛立ち始め、その怒りの矛先を政宗に向けるのだ。それは大抵の場合、立場の優劣がはっきり示される閨に置いてで、散々な目に会わされるのだった。八つ当たりするなど、いかにも子供らしい。
 そうして今回、何があったのかといえば、跡が巧く付けられないことを気に病んでいるようで、訪れるなりずっと、三成は練習をしているのだ。
 苛立ち紛れに噛まれたときは、さしもの政宗も三成を殴りつけようかと思った。それを実行しなかったのは、今ここで殴って止めさせたところで、夜後悔するのは自分だとわかっているからだ。しかも、それが明日明後日に延びるにせよ、結局、三成は納得するまで練習を続けることだろう。本当に自分の肌で練習をしろという話だ。腕であれば使えるだろうに、本気で面倒臭い男だ。
 そういう中で最初はされるがままだったのだが、単に肌を吸われるだけでは、暇で暇で仕方がない。政宗は溜め息を一つ零すと、三成を退けて、花を活け始めた次第である。
 三成の口付けはくすぐったい。動物が舐めたり甘噛みしたり、そんな行為にどこか似ている。要するに、閨で使うには不適切なのだ。下手糞だなと再びちらりと三成を見てから、政宗は盆の桜を手に取り上げた。まだ、政宗の方が巧くやれる。何故これほどまでに不器用なのか。
 そんな技巧の一つもない稚拙な男に、何故、自分は縋るのだろう。
 政宗は目を眇めると、自己嫌悪で眉間のしわを深めた。答えは簡単だ。いざ三成を前にすると感情ばかりが先走って、全てどうでも良くなるからだ。快楽よりも行為自体が喜びに変わる。触れる、繋がる、それだけで熱くなってしまう。最悪で最低の事実だ。
 何故、この男を。幾度も幾度も重ねた問いに、答えはやはり一つしか出ない。それが恋というものだからだ。ねめつけた桜の枝先からぽたりと水が滴り落ちて、政宗は大きく溜め息を吐いた。
 仕方なしに肩越しに三成へ腕を伸ばすと、髪を耳にかけて桜を挿した。冷たさに顔をしかめる三成の耳の裏を伝った雫が、首元を通り、襟に染みを作る。その様を睨みつけるように見つめて、政宗は僅かに唇を開けた。
 下手糞、諦めよ、邪魔じゃ、詰まらん、馬鹿め。
 何と言おうかと逡巡してから、政宗は唇を閉ざした。何を言っても三成には無駄だ。
 代わりに滴る雫を舌先で掬い、ついでに強く吸い付いてやると、そこには綺麗な跡が残った。桜と同じ淡い紅色だった。
 「やるならこのくらい巧くやれ。」
 むっとしたのだろう。そう言う政宗を強く抱きしめ、三成は無理に唇を合わせた。反らされた首筋が悲鳴を上げたが、じらすだけの下手な口付けよりもこちらの方が多分にましだ。
 政宗は身体を相対させつつ密かに盆を遠ざけてから、押されるままに、三成諸共、畳の上に倒れこんだ。
 ふわりと宙に桜が舞った。











初掲載 2008年1月6日