第八話 優位に関して天地無用


 「それで、気は済んだのかい?」
 夫と連れたって救急箱片手にやって来るなり、呆れ交じりに尋ねる祝融に、地面に座り込み頬についた泥を拭っていた星彩は不満そうな目を向けた。甄姫の姿は既にない。乱闘に決着を着けぬまま夫の元へ去ってしまったのだ。戦闘の原因が原因であっただけに、睦まじい夫婦仲を見せ付けられて、星彩は苛立っている。
 「済んでないわ。」
 「まあ、気が済むまでやりゃ良いと思うけどね。若いんだし。でも坊やが幸せなら、笑って送り出してやんなよ。」
 「…あんな奴の元に嫁に出すなんて嫌よ。」
 珍しく子供っぽい態度の星彩に、祝融は大きく溜め息を吐いた。しかし、内心面白くもある。政宗は嫁に行くようなたまではないが、それを星彩はわかっていない。気分は年頃の娘を持つ父親らしい。張飛が微妙な顔で今回駆り出されたことを思い出し、堪えきれず、とうとう祝融は笑い声を立てた。
 「何にせよ、まずは泥を落とさなきゃ怪我の手当ても出来ないねえ。あんた、魏延の方はどうだい?」
 「母ちゃん。別に問題ねえぜ。なあ、魏延。」
 「…我…無事。」
 こくりと頷いた魏延は星彩と対照的に塵一つついていない。魏延が守っていたはずの関所も爆破された痕跡はない。その様子をいぶかしみ、星彩が眉間に皺を寄せた。
 「魏延、あなた、」
 「反骨の相が見えますよ。」
 口元を羽扇で覆い隠し突如現れた諸葛亮の台詞に、星彩が目付きを鋭くした。剣呑な様子だ。元々機嫌が悪かったところに、魏延の裏切り情報である。無言で矛を手に取る星彩の姿に、魏延が「ウ…。」と後ずさった。
 まあこれも一つの戯れさねと放っておいて、祝融は諸葛亮を振り返った。
 「諸葛亮、あんた来てたのかい?」
 「ええ。様子が気になったもので。月英もいますよ。虎戦車のところにいますが。」
 「そうかい。」
 今回戦に出た虎戦車は、かつて月英が虎戦車の効力を証明する目的で五虎将軍を撃破する際使用したものだ。虎戦車は全て蜀で生産されているが、あれから改造に改造を重ねられた初代虎戦車は、今では市販の虎戦車とは比較にならない強大な火力と機動力を誇っている。外交戦略として諸外国向けに販売されているものしか知らない三成たちには正直荷が重いだろう。それはわかっていたが、月英は虎戦車を褒められると喜んで星彩たちに貸し出してしまった。
 その上、星彩たちの勘違いをそのままにしてやればまだましだったかもしれないが、月英はそれを訂正するため、鎧を纏い出陣してしまった。月英の嫁取りの際、諸葛亮が月英に挑んだのは七回なのだ。七回目でようやく感心させたことになる。それだけ本気で、しかも地団太を踏まれ捨て台詞を吐かれるほど月英に拒まれているのだから、諸葛亮も諦めれば良いのだが、他の求婚者が尽く脱落していったことが影響したらしく、懲りる気配がまるでなかった。つまり、月英は諸葛亮に根負けしたと言っても過言ではない。今では甄姫と争って旦那自慢で戦闘するほど幸せなようなので、結果だけ見れば良いのかもしれない。
 しかしそんな虎戦車と月英が相手となると、本心から、戦う者の無事が心配である。初期でさえ、五虎将軍はぼっこぼこに叩きのめされたのだ。改造された今となると、その戦闘力は未知数である。
 まあ生きてはいるでしょうとはたはた羽扇をそよがせていると、後方から覚えのある甲高い声が聞こえてきた。
 「うわーん、丞相ーー!不甲斐無い私を許してくださいーーーっ!!」
 「…どうやら、姜維は負けたようですね。」
 こちらに近付いてくる泣き声に、諸葛亮は小さく溜め息を吐いた。可愛い愛弟子ではあるが、まだ若さゆえの過ちか、感情に流されやすいようだ。
 「そういえば張飛殿を見かけませんでしたが、どうしたか知っていますか?」
 「張飛ならねねに正座させられてたよ。最近呑んでばっかだったから、鍛錬がちょっと足りてないんじゃないかい?」
 「そのようですね。少々増やしましょう。」
 再び羽扇をはためかせ、諸葛亮は第五関所の方へ視線を向けた。関平は曹丕と何か通じるものが出来たようで、現在話し込んでいる。となれば残るは、今回の騒動の発端となった政宗と三成の決着だ。
 「…死んでなければ良いですけどねえ。」
 やはり虎戦車はやりすぎでしたかと視線を逸らし、諸葛亮は空を見詰めた。


 清々しいまでに青い夏空が広がっている。
 地面に寝転がり肩で息吐き、三成は空を見上げていた。隣には政宗の姿もある。二人とも斬ったはったを体力の限界までやり通し、精も魂も尽き果てていた。
 地面に背中から倒れこんだなど、どのくらい久しぶりのことだろう。秀吉の下に入ったばかりで、戦働きで活躍しなければと気負っていた頃は、親友の大谷吉継に稽古を願ってはしこたま絞られていた気がする。鍛錬場で見上げた空も、こんな風に青かった。三成は目を眇めて天を仰いでいたが、息が落ち着いてくると身を起こした。体の節々が痛かった。
 「それで、気は済んだのか?」
 今回の戦闘で政宗が何を狙っていたのか知らない。それでも、星彩の提案を受け入れたのには何か考えがあるはずだと思い尋ねた三成に、政宗が大きく嘆息した。
 「まあ、そうじゃな。及第点といったところか。」
 依然として寝転がる政宗と目があった。
 伸びた腕に袖を掴まれ、三成は大きくよろめいた。極度の疲労に踏み止まるだけの力もない。三成を利用して政宗が起き上がると同時に、利用された三成の方は前に倒れこむまいとするばかり後ろに倒れこむこととなった。
 「無様なもんじゃ。」
 誰のせいだと思っているのか。しかし惚れたが負けと言うように非難する気には到底なれず、三成は黙って地に肘を突き、のろのろ起き上がろうとした。
 そのときだった。ふっと落ちてきた影に顔を上げると、政宗が三成を見下ろしていた。
 「馬鹿め。――しかし、合格じゃ。」


 「…辛うじて生きてはいるようですね。」
 生死が気になり様子を見に来た諸葛亮は、虎戦車の背で沈黙している左近を見て、内心ほっと安堵した。ぼろっぼろのずたぼろだが、呼吸をしてはいるようだ。隣にいた孫市が頬を引き攣らせたのも、諸葛亮にとっては満足だった。月英のことを信頼しているので懸念の対象になりはしないが、それでも、妻を呼び捨てにされるのは良い気分ではない。月英を怒らせるとこのようになるのだと目に焼き付けてもらおうと思いながら、諸葛亮は地面に倒れこんでいる三成を見やり、政宗へと向き直った。
 「それで、結局どうします。星彩がどう言おうと、決断を下すのはあなたですよ。政宗。」
 「結局も何もないわ、馬鹿め。わしの心は決まっておる。これはただの戯れじゃ。」
 その、政宗曰く戯れで、死に掛けたり正座させられている人物がいるのだが。しかし政宗は一向気にした風もなく、ちらりと三成に視線を投げかけ、呆れたような自嘲を浮かべた。
 「…無様なもんじゃ。」
 「それは誰のことを言っているのです?」
 「うるさいわ、馬鹿め。第一元はといえば、全て貴様のせいであろう。」
 「何を言いますか。それで今があるのですよ。月英、政宗に肩を貸してあげてください。」
 「わかりました。さ、行きましょう。」
 「すまんな。」
 月英に肩を借りた政宗を確認して立ち去る寸前、ふと思い返したように、諸葛亮は三成を振り仰いだ。
 「そうでした。そちらで爆破した門の代金は、後ほどきちんと請求させてもらいますので。高い買物になると思いますが、それくらい気前良く出してくださるでしょう?――あなたもそう思いますよね、政宗。」
 「…わしに振るでない!」
 軽口を叩きながら、三人が仲良く遠ざかっていく。
 放置された三成を不憫に思い後に残った孫市は、腰を落として苦笑した。哀れに思い残りはしたが、この分では憐み損だったようだ。さっきの掛け合いの最中も、今も、顔を左手の甲で覆った三成は頬が緩みっぱなしだった。
 こいつこんな性格だったか?孫市は束の間過去を振り返り、思わずうーんと唸ってしまった。もっと冷静沈着で、格好良かった気がするのだが。それは孫市の記憶違いだろうか。
 「ま、幸せそうで良かったぜ。」
 「…うるさい、笑うな。」
 「そう言うなって。少しくらい幸せ分けてくれたって良いだろ?」
 言って、孫市はにやにや笑いながら、己の口元を指差した。
 「口端に歯形ついてるぜ?」
 この男、些か調子に乗りすぎた。


 戦闘は全て終わったはずなのに、大きな爆音が響き渡った。それを騎乗で耳にした政宗は目を眇め溜め息を吐いた。孫市の悲鳴も聞こえた気がするが、それはさして気に留めなかった。問題は、爆発物を所持する男だ。認めざるをえない想いに、今回踏ん切りをつけるため闘ったわけだが、やはり好く人を間違えてしまった気がする。痛む頭を押さえる政宗に、隣を行く星彩が尋ねた。
 「もう後悔してるんじゃないの?止めるなら今のうちよ。あんなの、政宗には相応しくないわ。」
 物言いがとても辛辣だ。まだ、政宗と三成の付き合いを認めたくはないらしい。はたして星彩が三成を認める日が訪れるのか。若干遠い目になってから、政宗は諦め混じりに告げた。
 「相応しいのなんのと、関係あるまい。仕方ないであろう。好きになってしもうたのじゃから。」
 「…惚気なんて聴きたくないわ。」
 思い切り顔を顰めた星彩に、思わず政宗は笑みを洩らした。














初掲載 2007年11月21日