そして扉は閉められた


 初めて三成が政宗と出会ったのは、未だ秀吉が存命の頃であった。
 閏正月の二十七日尾張でのこと、謀反の嫌疑をかけられた青年が近付いて来る様を、三成は率いてきた三十騎を止めさせ、馬上から眺めていた。未だ遠くにありながら、冬の弱々しい日差しに光を放つものがある。既に京に噂が届いている、金の十字架であろう。それを、やはり確たる姿は見えないながらも遠目にも分かる幼い体格の青年が、部下に担がせ運ばせているのだ。手綱を手にしたまま、三成は目を眇めた。如何にも秀吉好みの派手な行進である。だが、その小気味良い言動も後どのくらい続くものだろうか。三成は思って、更に距離を縮める伊達家一行を再度見やった。四日前、異父弟秀長が亡くなったばかりで、秀吉は非常に苛立っている。気分屋の秀吉のことだ。その気質が今までは伊達にとって幸いしてきたが、今回はかえって禍を招きかねない。
 ふわりと柔らかい、些か早く春を感じさせる風が吹いた。三成は目を細めて、風に優しく髪を撫ぜられた伊達の当主を見た。青年は風の行方を隻眼で追い、ふっと、諦めたように前を向いた。そのとき、三成と青年の視線が交わった。奥底に暗い色を隠しながらも、明るく澄んで挑発する瞳。不敵ながら青年の童染みた悪気のない笑みに、何処か、秀吉に魅せられたときのような、胸のすく思いがした。
 「俺は石田治部少輔三成。貴様が謀反人伊達右京大夫政宗だな。関白殿下の御内令により、召捕らせて貰おう。付いて来るが良い。」
 三成が苦笑と共にこぼした台詞は固いものだったが、口調はくだけたものだった。生真面目で融通がきかないと評される三成にしては意外すぎる反応に、当然のように引っ立てられるような乱暴な対応をされるものと思っていた政宗が、驚きに軽く目を見張った。口先まで出掛かっていた反論は、我知らず甘いものになってしまった。
 「わしに謀反人と言われる筋合いはない、が、それが殿下の望みとあれば付いていこう。」
 共犯者の笑みを浮かべて、三成が馬首を返した。言葉を交わさずともわかりあえるものが、何処かにあった。


 三成は小さく深呼吸をして、閉じられた扉に手を掛けた。決戦を目前に控えた今、気の小さい己にしては不可思議でならないほど、心は凪いでいた。引き戸は呆気なく、開いた。


 あれから、長い月日が過ぎた。三成が無二の主と仰いだ秀吉は、世に現れ出たとき同様の勢いで一気に凋落し、名を汚して死んだ。そうして、豊臣西軍と徳川東軍で戦が起きた。三河に確固たる基盤を持つ徳川と異なり、元々は農民の出である秀吉は土地に基盤を持たない。それゆえ、あくの強い西軍の頭目に立てられた三成は、土地という基盤を持たぬまま、戦に望むことになった。
 徳川方には、伊達もいた。
 小田原遅参の際に、秀吉と政宗の取次ぎを行ったのは家康である。更には、徳川と伊達は縁付いている。秀吉に可愛がられながらも結局は煮え湯を飲まされ続けたといえる政宗が、徳川方に付くのは当然のことと言えた。しかし、三成は少しでも戦局を有利に進めるため、伊達を味方に加えたかった。否、捕らえられぬのならば、せめて傍に置きたかったのだ。三成は伊達を失脚させ、政宗を占有したかった。影武者を立てさせ表面上は亡き者として、捕らえた政宗を何処かでひっそりと囲いたかった。あの真っ直ぐ天下を睨む迷いなき目を、己だけに向けさせたかったのである。秀吉のことを三成は、常に二心なく尊ぶものとして仰ぎ見てきた。それにもかかわらず、秀吉と同じ目をする政宗を三成が己の手中に納めたいと望むのは些か矛盾しているかもしれない。だが、三成にとって秀吉たる人物は秀吉のみであり、それ以外の誰も秀吉にはなりえなかったように、政宗もまた政宗でしかなかったのである。被虐ではない。ただ、己の腕の中で囲って、二度と外に出したくなかった。
 しかし米沢から岩手沢への左遷、浅野と組ませた朝鮮出兵、それらの策は全て逆手に取られ、伊達の名声を高めるに終った。最後の策と三成が講じた関白秀次謀反の黒幕という罠すらも、三成がそれ以前に仕掛けた計略によって秀吉も十二分に認めるに至った政宗の狡猾さと家康の説得の前に、呆気なく失敗した。政宗を囲えるはずなどなかったのだ。それは三成の責ではない。三成以外の誰であっても、政宗を飼いならすことなどできなかった。家康が評したような「人食い虎」ならば飼うこともできる。だが、政宗は虎ではなく「竜」だった。独眼竜である。それは、天を遥かに臨む生き物だった。それでは囲えるはずがない。万が一、政宗を三成が緻密に編んだ策で絡め取って籠に閉じ込めることができたとしても、それはもはや政宗ではなかった。気付いて、三成は掌を返したように政宗を味方に組み込むことに専念した。飼いならすことができぬならば、せめて、傍に置きたかった。政宗が利に走る犬と評されるならば、東軍以上の利を伊達に提供すれば良い。味方に組み込むためとはいえ、此度の戦を義戦と捉える兼続からは、そのことで非難されもした。だが、三成は意に介さなかった。西軍が勝つための布石と称して、政宗を褒めそやした。多くの褒賞を約束した。伊達から長男秀宗を人質に取り、秀頼に仕えさせるという脅しに他ならないことまでした。


 しかし、それすらも失敗に終った。


 「何を戸の前で立ち尽くしていた。敵と通じておるのではないかと疑われるのが、怖かったのか?」
 闇の中、爛と隻眼が輝いた。ちりちりと朱色が輝きながら蝋燭の先で燻っている。発する熱に耐えかねて灯りを政宗が消したのかもしれない、と三成は思った。
 「怖がることでもないだろう。俺とお前は結局今までずっと他人として接してきたのだから、今更ばれることもあるまい。」
 「そうかもしれんな。だが、戦支度をしておる今になって会うなど、常ならば愚行と笑ってしないはずだった。貴様は。」
 「そうだな。」
 三成は再度小さく嘆息した。闇に慣れた目は、薄っすらと暗がりの中に座る政宗の姿を捉えた。その影に向かって歩みながら、胸中で何故此処まで来てしまったのだろうと三成は思った。誘いをかけたのは三成だった。だが、此処へ来る決断をしたのは、政宗だった。政宗は己が憎くてたまらないはずだ、と三成は思う。あるいは邪魔で仕方がなかろう。
 にもかかわらず、政宗は三成の眼前に居る。
 「何故来た?」
 「何故?それを貴様が問うのか?」
 「…、愚問だったな。」
 政宗まで後一歩、というところで三成は立ち止まり、一度強く目を瞑った。そうして改めて開けた三成の目は、くっきりと、政宗の顔を映した。こちらを試すような挑発するような笑みで、政宗は三成を見ていた。その真っ直ぐ向けられた隻眼に、移り行く世の中で唯一変わらぬものを見た気がした。その目に恋焦がれ欲し続け、今日という日まで来てしまったことを過ちだとは思わない。だが、他に何か手があったはずだと三成の頭は無意識のうちに考えていた。
 「最期に一度、抱かせてはくれないか。」
 「…貴様がわしに懇願とは珍しい。」
 一瞬、政宗の瞳に殺意が過ぎった。
 「じゃが、わしは死ぬつもりの輩にくれてやるような操は持っておらん。他を探すのじゃな。」
 その紛れもない殺意によりいっそう圧し掛かる暗い未来を確認しながら、いっそ清々しい思いがしたのも確かである。三成は口端を上げて微かに笑った。
 「俺が生きて帰るということがどういうことかは、お前にもわかっているだろう。お前のした布石も野望も、無駄に終るということだ。俺が生きればお前が死ぬ、俺が死ねばお前が生きる。俺はお前を買っている。わからないはずが、ないだろう?」
 政宗の目付きが更に鋭くなった。その眼に浮かぶのは寂寥と、僅かばかりの絶望だった。
 「せめて最後くらい、貴様は、嘘を吐けぬのか。」
 眼差しも口調も、乾ききったものだ。
 「嘘は俺の主義に反する。」
 「…そのような気休めの言葉も吐けぬ主義、犬にでも喰わせてしまえば良かろう。わしは要らぬ。わしは、」
 そこで政宗は言葉を切り、口を閉ざした。炯々たる眼は、真っ直ぐ射抜くように三成を見詰めていた。口では何と言おうと、政宗の心はただその目を覗き込めばわかるものだった。幾層にも重ねられた欺瞞や虚栄の奥深く、隠し切れない強い光が朝日のように覗いている。その、三成が信じた頃の秀吉が放ったものにも似た光に惹かれながらも、三成は己の信じる道を選んだ。道が違えたことを知りつつも、最期に一度、また光を目にしたいと思ったのだった。
 ふいに落ちた沈黙に、遠く虫の音が届いた。秀吉の薨去が伝えられたのも、このような夏の夜のことであった。あれ以来ずっと、違えている。否、会った時から三成は政宗の扱いを違えていたのだ。今だからこそ、三成は認めることができた。
 三成は目を伏せ、小さく笑った。目以外で真実足りえるものなど、三成も政宗も何ひとつとして持たなかった。口から出る端から言葉は虚言になり、行動は虚栄心によって統制された。言うべき言葉、言わねばならぬ言葉はあったが、言えば嘘になるであろうから、三成は口にしなかった。言い訳や泣き言にしか聞こえぬであろうから、口をきつく引き伸ばした。せいぜい不敵に見えるよう笑い、死の間際、しかと心に描けるよう政宗の姿を写し取り、三成は黙って踵を返した。ただじっと、政宗は三成の背を見詰めていた。


 言葉など要らなかった。否、嘘偽りに彩られるしかない言葉など、不要だった。
 本当に唯一つ、必要だった言葉は。











初掲載 2007年8月25日