つんでれ考


 つんでれという言葉がある。みんなの前ではつんつんとして、二人きりになるとでれでれしだす者を指すらしい。
 その単語を関平は黄忠から得意そうに教えられた。この老人、若者言葉を覚えた途端、使いたくなる老年なのである。義父関羽や主君信長に一歩でも近付こうと、日々鍛錬に明け暮れる関平は、それを披露する絶好の青年だ。そのときも、関平は感心した様子で黄忠の言葉を熱心に聞き、それに対して黄忠の舌も留まることを知らなかった。一般に老人の話は長いが、気にする素振りの一切ない関平は、そういう意味でも黄忠の餌食だ。だから、この二人は良く一緒にいるのかもしれない。
 現在、関平は目の前で繰り広げられる出来事に、意識が遠退きかけていた。
 走馬灯のように流れていくのは、戦場で会った親友の凛々しい姿である。敵ながら天晴れと言いたくなる様な、己と同じ年頃であることを考慮に入れると感心しっぱなしの振る舞いだった。喝の入れ方、名乗りの仕方、戦略に知謀。頭が固く、どちらかといえば知恵より体力で勝負の関平は、親友の姿に胸を打たれた。それは、陥った窮地を信長によって救われたような、空を覆う雲が四散しそこから太陽が覗いたような、ぱっと晴れやかな感動だった。
 その親友はどうしたことか、今、でれでれだ。でれでれ、など。常日頃の彼を知っている者なら、関平のように目を剥くだろう。
 親友の名は伊達政宗。当代きっての快活な伊達男だ。へそ曲がりを信条としていて、真っ直ぐな自分が恥ずかしいのか妙に捻じ曲がろうとしている。しかし、関平に言わせれば清々しいほどの真っ直ぐな男なのだが、とはいえ、つんつんしているのが常態である。
 つんつんしているのが、常態なのだ、が。
 「で、でれでれ…。つ、つんでれ?」
 思わず小声で洩らした関平の目の前では、当の政宗がでれでれしっぱなしだ。その前には、信じがたいし認めがたいが、しごく真面目な顔の兼続が政宗に何か話しかけている。何か、で話の内容がわからないのは、関平の頭が混乱のあまり聴覚を遮断しているためだ。ついでに、視覚も遮断して欲しいが、そこまで望むのは酷だろう。大体、目が見えねば、いつ来るとも知れない敵の襲来に備えることが不可能である。
 関平が、あんなでれでれの政宗の顔を見たのは、生まれて初めてのことだった。生まれて初めても何も、遠呂智軍が倒され、政宗が信長に下ったのが今から半年前のことなのだが、それでも衝撃は大きかった。
 そこで、ん?と、何かが引っ掛かり、関平は己の記憶を探った。
 政宗が味方に組み込まれたのは、呉の戦を助けたときだ。なぜかそこに兼続がしゃしゃり出て、敵から政宗を掻っ攫ってきてしまった。関平は兼続が苦手なのだが、信長は彼と組ませようとする。そういうわけで、そのときもご多聞に漏れず一緒に行動で、つまりは巻き込まれてしまったのだ。
 あのとき、兼続の攻撃で地に伏した政宗は小声で兼続に遺言を口にした。それは本当に小さな声で、政宗を横抱きにした兼続の耳にしか届かなかった。なぜなら、場所は戦場。辺りでは炎がごおごおと燃え盛り、そうでなくとも、銃弾が飛び交い剣戟が繰り返され、怒号も追加で喧しい限りだ。
 だから、関平はそのとき政宗が何を口にしたのか知らないわけだが、どうもあれが契機な気がする、と結論を下した。
 関平は鈍感だ。鈍感すぎて、星彩の想いにも気づいていないほど鈍感な男だ。しかし、そんな関平が気付く程度には、政宗は連日そわそわしていた。そうだ。改めて考えてみれば、政宗は体力が回復してから、何か顔を青くしたり赤くしたり白くしたりと忙しかった。そして、何かから逃げるように関平に縋り、一緒に行動するようになった。馬が合ったので気も楽だったが、そもそもあれは、何から逃げようとしていたのか。
 死んだつもりが生きていたこと、兼続との再会、恐ろしい現実。
 指折り候補を挙げた関平は、どれも一緒か、と嘆息した。ようやく、嘆息できる程度には頭の混乱が解消されてきた。
 が、解消されてしまったということは、聴覚も正常に働くということだ。囁かれる睦言が聞こえてきた時点で、関平は顔を赤くして逃げ出した。
 つんでれとは、みんなの前ではつんつんとしていて、二人きりになるとでれでれしだす者を指すので、つんつんしていた政宗が何らかの切っ掛けででれでれ一辺倒になったとしても、つんでれには該当しないということを知るのは、関平がとっくに事情を察しきっていた阿国のところに着いてからである。
 「恋する男はんは馬鹿で、ああん、そんな風にうちもしてみたいわあ。」
 恋する女は綺麗になるが男は馬鹿になるとは確かな格言で、その通りだ、と頷く関平に、阿国がにっこり笑って言った。
 「なあ、うちと出雲に」
 「いっ、行きません!」
 からかわれるのも、関平のとりえの一つなのである。











初掲載 2008年3月28日