朝いつものように窓を開けて天気を見てみよう、と窓へ近付いた兼続は、硝子窓に映る己の見慣れない姿に首を傾げた。何かが頭についているようだ。手で軽く払ってみたが、取れる気配もなく、それはさやさやと軽くそよめいた。掌には羊毛で織られた布のような柔らかい何かの感触が残った。
「これは何だ。もしや政宗の悪戯ではあるまいな。」
兼続は愛しくも憎たらしい、不義に走りがちな年若い遠呂智軍武将を思い浮かべ、眉根を寄せた。政宗は兼続が窘めることや嫌がることを率先して行なう悪い癖があった。もっとも、兼続が気付いていないだけで、兼続自身の行為も政宗にとっては十分傍迷惑なので、お相子と言えよう。
一人寂しくぶつぶつ言いながら、兼続は部屋にあった鏡を覗きこんだ。鏡には、信じられない光景が映っていた。
兼続の頭には双葉が芽を覗かせていた。朝顔、のようである。
紐か何かでくくったとすれば、とても手が込んでいる。敵軍にいる政宗が、深夜、天敵である兼続の寝室に訪れるはずもないのだが、兼続は政宗のせいだと決め付けた。政宗には伊達男特有の茶目っ気があったので、それも致し方ないのかもしれない。だが、何にせよ、政宗が自ら兼続に喰われに来るような羽目に陥るはずもないのだ。虎穴に入らずんば虎児を得ず、というが、政宗は自らの貞操を賭けてまで、兼続に悪戯をする男ではない。
どうなっているのか、興味を覚えて、兼続が根元をよくよく見てみると、どうも仕掛けがある様子はない。別の言い方をすれば、それは直接頭から生えていた。試しに軽く引っ張ってみると、取れる気配はない。痛みもないので、兼続はこのまま抜いてしまおうかとも一瞬思ったが、抜くと同時に死ぬような事態があっては居たたまれない。
さしもの兼続も困ってしまった。
「さて、どうしたものか。まったく、政宗め。手の込んだ悪戯をする。」
腕を組みぶつくさ文句を言っていると、廊下がにわかに慌しくなった。何かが騒いでいるようである。寝巻き姿の兼続は辺りを見回し、とりあえず戦場に出る際つける例の愛と記された兜をかぶると、様子を見に廊下へ出てみることにした。
寝巻きにあの兜は中々面白い光景だったが、誰一人として、気にかける者はいなかった。一つには、兼続が若干あれなのはもはや軍内に知れ渡っているためであり、また一つには、何故か遠呂智軍に属するはずの政宗が廊下で泣きじゃくっているためだった。
政宗はあまりに怒りが高じすぎたのか、はたまた非常に混乱しているのか、泣いていた。年が近いこともあって、敵軍同士であるものの、何だかんだで仲良しな関平は、詰め寄られて困っていた。無理もない。いつもあれだけ気丈な政宗が鼻水まで垂らして涙していたら、関平でなくとも焦るだろう。周囲に集まった者たちも、遠呂智軍武将がやって来たからといって捕らえるでもなく、遠巻きに見ていた。それくらい、政宗は憐みを誘った。政宗は本当に気が動転しているらしく、まるで子供のような身振りだった。
そんなところに兼続が向かうと、嗚咽を洩らす政宗の背を擦ってやり必死に宥めすかしていた関平が、あっと目を見開いた。何故そのような反応をされるのか、兼続ははなはだ疑問だった。しかし、周囲も遠巻きに非難の視線を向けてきていた。
いぶかしむ兼続に、政宗が叫んだ。
「貴様、良くもまたわけのわからん術を…っ!」
正確には、もっと濁点が多用され嗚咽交じりのためあちこち途切れて聞きにくかったが、政宗が言ったのはそういうことだった。
何かした覚えがない兼続は首を捻った。むしろ、双葉など生やされたこちらが政宗に文句を言いたいくらいである。
ふっとそのとき、兼続は政宗が兜を被っていることに気がついた。もっとも、兼続を本気で殺しに来たのか、政宗は全装備の状態だったが、兜の先と外套の間に、何やら黒いものがちらついている。
不思議に思うと同時に、何となく政宗が泣いている理由も悟って、兼続は政宗に近寄ると、兜を取り払った。
そこには猫耳がましましていた。
初掲載 2008年3月8日