兼政で8のお題、二「相容れない」


 依然として降りしきる雨に政宗は眉をひそめた。町にふらりと一人で買物に出たときのことだった。暫し店で時間を潰せばそのうち止むだろう、そう判断して使いを出さなかったのは間違いだったようだ。再び店内に入るのも躊躇われ、政宗は込み上げた溜め息を噛み殺した。
 空は店に入ったとき以上に重い灰色をしていた。
 政宗は再びひそりと苦虫を噛み潰したように溜め息を殺し、軒先で立ち往生することに決めた。そして壁に背を預けた、そのときだ。ふと、視線を感じ、政宗は俯かせていた面を上げた。藍の傘を差した兼続がそこには立っていた。決して不味くはないが、あまり見られて気持ちの良い場面ではない。政宗は気付かなかったことにして、兼続から目線を逸らした。そんな政宗の安い自尊心を挫かせたのは、兼続だった。
 「雨宿りしているのか?」
 名を呼ばれた訳ではない。限りなく可能性はないに等しいが、他の誰かに言っているのかもしれない。何より、政宗と兼続は伊達と上杉という間柄もあって、気軽に会話をするような仲でもない。政宗の方が兼続よりも位も上だ。媚を売る必要性も、全くない。
 無視しても大して問題はなかろう。そう判断して気付かなかった振りをし続ける政宗に、気付いていてわざと行っているのかあるいは本当に気付いていないのか、兼続は再度問いかけた。
 「政宗、雨宿りをしているのか?」
 「…そうだというならば、何か文句でもあるのか。」
 「傘がないなら入るが良い。屋敷まで送っていってやろう。」
 やろう、その語尾だけで兼続の提案が恩着せがましいものとして聞こえ、政宗は兼続を睨みつけた。理性では、己の方が立場も金力も何もかも上なのだとわかっていた。西軍に属していた上杉家は今や見る影もないほど落ちぶれ、片や伊達家は副将軍の地位を賜るほどの出世振りだ。怒る必要性は全くない。他の者たちに対するように、鼻で笑ってあしらえば良い。奴ら同様己を見て妬んでいるのだと、そう思って、どんなことも流せば良いのだ。それは、わかっていた。しかし、政宗の感情は兼続に対する理不尽な反感を飲み干せないでいた。
 「貴様に送られる義理はないし、わしは見世物でもない。さっさと去れ。」
 「義理など。困る人あれば助けるのが、義であろう。」
 「義、義、義。貴様が小うるさく説く義なぞ、わしは知らぬ。さっさと去れ。貴様が去らぬなら、わしが行くわ。」
 そう言い捨てて、政宗は軒先を飛び出た。風を切って歩いていく。上物の着物が雨を吸い込み、重さを増していく。じとりと濡れた布が肌に纏わりついて気持ち悪かった。それが気にならないと言えば嘘になる。だが、兼続の前にいるのはもっと不快だった。
 「待て、政宗。そのようにわざわざ濡れずとも、入れば良かろう。」
 後ろから兼続の声が追いかけてくる。慌てたような呆れたような声に、更に苛立ちが増し、振り返らずに政宗は吐き捨てた。
 「五月蝿い!わしの勝手であろう。」
 「勝手かもしれないが、私は気になる。」
 「勝手に気にすれば良い。わしは知らぬ。」
 強い雨脚に、通りに人の姿はなかった。元々人通りの余りない道だが、夏という季節柄、単なる通り雨であろうことが人々にはわかっているのだ。そのような中を雨に打たれて歩いている己と、そうさせた己の意地が腹立たしくも惨めであり、政宗は唇を噛んだ。
 ぱさりと小さな音がした。
 「政宗、待て。」
 「待たん。」
 「お前が雨に濡れるのを見過ごす訳にはいかないのだ。」
 「勝手にしろ。」
 「だからお前が濡れる道を選ぶのならば、私もそうしよう。」
 何か聞き捨てならない言葉を耳にした気がして、政宗は背後を振り返った。政宗は目を見開いた。そこには雨の中、手持ちの傘をわざわざ折り畳んだ兼続が立っていた。
 「…ッ貴様、馬鹿か?」
 「義を守るためならば、私は馬鹿で結構だ。」
 「、ふん。」
 何処か満足そうに、寂しそうに兼続が笑った。それを、政宗は口端を歪めて無理矢理嗤った。こんな風に、笑わなければ良いのにと思った。自分も兼続も、昔のように噛み付いたり、不敵に笑えば良いのだ。だが、そんな笑い方をすることはもう不可能であることを、政宗は十分すぎるほどに悟っていた。突きつけられる現実が見たくなくて、兼続から目を背けていた。
 わかっていた。
 「貴様ほどの愚か者を、わしは、見たことがない。」
 咽喉が、音が震えぬように、叱咤して声を絞り出した。精一杯、政宗は不敵に見えるよう笑った。
 「矢張り貴様とわしとでは、相容れることはなさそうだな。」
 貼り付けた笑みがぎこちないものにしかならなかったことに、精々、気付かない振りをすることしかできなかった。政宗は再び兼続に背を向けて、颯爽と歩き出した。それが逃避でしかないことを、十分に知っていた。後ろから兼続が、僅かに距離を空けて追いかけてくる。
 雨が降っていて良かった。雨が降っている限り、政宗は全て雨のせいにできた。政宗は滲む視界に咽喉を鳴らして、空を睨み上げた。
 雨は未だ、止みそうにない。











初掲載 2007年8月10日
兼政同盟さま