兼政で8のお題、六「愛憎」


 その出来事が夢の中での出来事だという確信があったので、正直、政宗は安心していた。
 うかつなところがある政宗らしく、その見通しは甘かった。


 視界一面に広がるどこか温かい暗闇に、一筋の道がおぼろげに光を放ち浮かび上がっていた。道は氷で出来ていて、政宗が一歩進むとたちまち後ろが崩れた。
 戻ることはできないが、所在なく立ち尽くすのも手持ち無沙汰だし、先行きに怯えているようで腹が立つ。しょせん夢だという気安さもあった。
 これが本当であると伝える世界と、ふわふわと頼りない感覚は夢独特のものだ。政宗は一つ鼻を鳴らすと、後ろを振り返らず、颯爽と道を歩み始めた。
 政宗がひたすら進んでいくと道沿いに大きな川があって、老人が腰を下ろして竹竿で釣りをしていた。まるで中国の物語に出てくる方術士のような格好をした老人で、髪型から顔の刺青から何まで、すべて政宗の見たことのない異様なものだったが、政宗はこれもどうせ自分の夢の産物だろうと思い、べつだん驚きはしなかった。ただ老人が、毛嫌いしている兼続が持っているものと似たような赤い術札を手にしているのを見て、僅かながら気分を害した。
 政宗はそれくらい本気で兼続のことが嫌いだった。
 「釣れるか?」
 居丈高に尋ねた政宗に驚く様子もなく、老人は「いいや。」と否定した。
 「釣れはせぬよ。この竿には針がついていながら、ついていないようなものゆえ。」
 「異なことを言う。どういう意味じゃ?」
 「説明するよりも見た方が早かろう。」
 老人はそう言って、釣り糸の先が水面から出るところまで竿を持ち上げた。政宗は顔をしかめた。
 「針が曲がっておらんではないか。貴様、太公望気取りのつもりか?」
 「そうなるかね。まあ、小生も大徳の世のため狐を退治しようとしているゆえ、あながち間違いでもなかろうて。」
 笑い再び釣り糸を川へ垂らすと、老人は政宗へ改めて顔を向けた。
 「しかし今日は、思わぬ大魚が釣れたようだ。いずれ滝を上る鯉といったところか。」
 「ふん、何を抜かす。わしはもう竜じゃ。独眼竜という異名を知らぬのか?」
 老人の物言いに内心苛立ちを覚えながらも、しょせん夢のことと鼻で笑った政宗を、老人は興味深そうに笑った。
 「では竜よ。お主、何を思うて蛇につく?竜が蛇の下につくなどおかしな話ではないか。」
 いつか、孫市にも言われた比喩だ。以前と同じ返答をしようと政宗が口を開く前に、老人が続けた。
 「未だ母の愛を乞うか。それも人ゆえ、仕方あるまい。…しかしたとえ伊達の天下を為したからといえ、愛は勝ち取れるものでもなかろう。」
 老人の言葉に、政宗は目を見開いた。図星だった。
 深層心理を否応なしに暴かれて、政宗はしょせん夢のことと思いつつも老人を罵倒しそうになった。いや、己の夢だからこそ、己の本心の代理人であろう老人を否定したくてたまらなかった。
 「愛は沢山ある。他の愛を探してはどうかね?」
 怒りに拳を握り締め震える政宗に老人はひょうひょうと提案し、政宗のくるぶしを指差した。政宗が視線を落とすと、いつの間に巻かれたのかくるぶしには赤い紐が結ばれていた。
 「人は皆、その赤い紐で繋がれた相手と結ばれる運命にある。冥界で決められた婚姻で、逃れよう術はない。敵同士であろうと、貧富の差が大きかろうと、どれだけ離れていようと関係ない。」
 呪いに他ならない不穏なことを告げてから、老人は長く終わりの見えない紐の行く先へと人差し指を向けた。
 「あの方に、竜の決して逃れえぬ者がおる。探してみるといい。相手がすぐさまわかるよう、紐は竜が相手を認め諦め受け入れるまで、消さずにおこうではないか。愛を手にすれば、竜も考えが変わるであろう。」
 きらきらと川が輝いている。誰かの呼び声がした。強い衝撃に、火薬の臭い。ふわりと意識が覚醒に向かう。
 目覚める寸前、老人が言った。
 「そのときは大徳に宜しく。」


 「政宗、おい政宗。大丈夫か?」
 慶次に肩を揺すられて、政宗は目覚めた。
 頭がものすごく重く、痛い。こぶができているようだ。がくがく揺すられすぎたのか首も痛みを訴えている上に、政宗が見回してみると体中擦り傷と打撲だらけで、鎧もなぜか脱がされていて薄い着物をまとっているだけだった。
 慶次の腕を振り払い頭を押さえ呻く政宗に、慶次が安心したのかからから笑った。
 「まったく。川に落ちてから、ぜんぜん起きないもんだから、流石の俺も肝が冷えたぜ。」
 「だからといって揺する馬鹿がおるか。頭を打ったら安静にしておくのが基本であろう!」
 慶次の言葉で、五丈原で伊達の鉄砲隊を率いて高地で待機し、その後、天敵兼続との戦闘でうっかり足を滑らせて川に転げ落ちたのを思い出して、政宗は頭を抱えた。うかつにもほどがある。
 だから着替えさせられているのかと納得をしてから、周囲を見渡して、政宗は嘆息した。五条原に布かれた野営地のようだが、政宗の知るものではなかった。
 「わしらは負けたのか。」
 「…ああ、残念だがねえ。完敗だよ。」
 更に頭痛が増した気がして自然深まった眉間のしわを、少しでも平らげようと俯き指先を伸ばしたとき、政宗は絶句した。掛けられた毛布の下から伸びている赤い紐は、見間違えようにも見間違えることなどできはしない。今紐を見たことで思い出したばかりだが、これは、夢に出てきた紐ではないか。
 慌てて毛布を跳ね除け、くるぶしに紐が巻き付いているのを絶望した様子で見つめている政宗を、慶次が不思議そうに見た。
 「?どうかしたのかい。頭打って…駄目だったか?」
 「失礼なことを言うな!いや…だが。いやそのようなことはないっ!」
 「政宗、本当に大丈夫か…?」
 紐が見えないらしい慶次が心配そうに尋ねてくる。いつもならば腹が立つその対応も、今は焦りばかりが募っている政宗は少しも気にならなかった。触ることも掴むこともできない紐相手に躍起になりながら、政宗は必死に夢の中で老人が告げていたことを反芻していた。
 『人は皆、その赤い紐で繋がれた相手と結ばれる運命にある。冥界で決められた婚姻で、逃れよう術はない。敵同士であろうと、貧富の差が大きかろうと、どれだけ離れていようと関係ない。』
 どれだけ抗っても抗いきれず、逃れられない拘束力で、敵同士であろうとなんだろうと関係なしに、この紐は誰かへ繋がっている。
 「って、やはり呪いではないかっ!」
 とうとう叫んだ政宗に、慶次が気まずそうに嘆息して謝罪した。
 「揺さぶっちゃまずかったか…。悪い、政宗。」
 「って違うわ馬鹿め!何勘違いしておる!違う、わしは、」
 そこではたとある事実に気付き、政宗は大きく安堵の息をついた。老人の不吉極まりない言動の数々に思わず翻弄されてしまったが、たかが婚姻なのだ。ということは、紐の先は女だろう。ならば、多少の貧富の差や距離などどうとでもなる。政宗には、愛や恋に溺れるつもりもない。
 結局、今と何も変わらないのではないか。
 「し、心配して損したではないか。」
 夢の中で老人が、政宗が『相手を認め諦め受け入れるまで』と言っていたのが多少気になったが、政宗は気に留めないことにした。それがしょせん虚勢でしかないのは政宗自身重々承知だが、他人の言動にびくつくのは、政宗の望むところではなかった。
 「…本当に大丈夫か?」
 慶次の問いかけを黙殺し、政宗は今回の敗戦の方が大事だと思考を切り替えた。見知らぬ野営地にいることから、政宗は慶次ともども捕虜にされたようだ。妲妃の姿が見えないのは、男女別に囚われているからか、それとも、政宗たちを放棄して逃げ去ったか。
 おそらく後者だろうが、どちらにせよ、政宗もここからどうにかして脱出して遠呂智の元に戻らなければならない。
 「慶次。わしら捕虜の扱いは、何者が行う?」
 「ああ。それなんだが…、」
 ひどく言いにくそうに頭をかき、慶次が答えようとしたとき、野営地の垂れ幕が勢いよく開かれた。
 「目覚めたか、山犬!寝惚けていないだろうな。頭は大丈夫か?何にせよ、貴様の処遇は私が預かったっ!」
 政宗は目を見開いて絶叫した。
 決して、不倶戴天の敵である兼続が登場したからでも、政宗の命を兼続が握っているからでもない。赤い紐の先は、兼続のくるぶしに繋がっていた。
 「き、き、き、き、きさ、貴様が、」
 兼続を指差して喘ぐ政宗を、慶次がやっぱり駄目だったかと再び頭をかいた。
 「頭打ったからか?それとも、兼続だから…か?悩みどころだねえ…。」
 「何、山犬はそんなに強く頭を打ったのか?!」
 「ちょっと…まあ。さっきから言動少しおかしいしねえ。」
 婚姻も何も相手が男ではないか、とか、やはり呪いではないか、とか、慶次貴様言いたい放題だな、とか。
 言いたいことは山ほどあったが、政宗は何一つ語らぬまま白目をむいて後ろに倒れた。
 がつんと地面にいきおいよく頭をぶつけたひょうしに、記憶が悪夢と紐もろともどこかに消え去っていることを祈るばかりである。











初掲載 2007年6月28日
兼政同盟さま