ゲーム理論


 せっかくの新しい世界、新しい環境だというのに、見たくない顔に会った。反乱軍同士の会合に、人のいい幸村が人の悪い曹丕や信長に不利な作戦ばかり引き受けさせられないようにと、諸葛亮の命で付き添いとしてやって来させられた政宗は、顔を顰めた。
 目の前には、兼続が慶次を引き連れ立っていた。やはり、政宗同様機嫌のよろしくなさそうな顔つきで。


 「で、それからずっと喧嘩ですか。」
 「ふん、大概進歩しない奴らだな。」
 いつの間にか現れた左近と三成は、それぞれ呉と魏の代表として今回の会合に訪れたらしい。兼続は日ノ本の代表だという話である。
 (貴様が日ノ本の代表とはなんじゃ!日ノ本代表はわしで決定であろう!)
 単に日ノ本の人間が多い混成軍を称して日ノ本と呼び、その代表として兼続がいるだけなのだが、当然のように政宗は機嫌を害した。
 しかし、政宗は咽喉元まで込み上げた悪態をどうにか呑み込み、まず、気持ちを落ち着かせるために一呼吸置いた。次に、苛立ちを募らせるばかりである兼続の顔を、瞼を閉ざすことでいったん視界から消した。まだきゃんきゃん吼える声がしたが、耳を塞ぐことはあたわないので、無理矢理気にしないことにした。
 何事も相手の思考を読み、先手を打つのが大事なのである。政宗のこれまで経験してきた政事も戦も、全て、先を読む、その一言に尽きた。それ以外は先を読むにも及ばない戯れであったり、あるいは感情が先走り失敗した場合であった。
 (今回が、後の場合じゃ。)
 政宗と兼続は犬猿の仲である。愛と義で構成される兼続の説法は、愛に関して苦汁をなめてきた政宗にとって胸糞悪い絵空事にしか聞こえない。愛や義を鼻で笑う政宗が、兼続には天敵としか思えない。したがって会うとどちらからともなく嫌味を放ち、その応酬がいつしか罵詈雑言に早変わりしてしまう。
 政宗はゆっくりと隻眼を開け、愛だの義だのと小賢しいことを熱弁している兼続を見据えた。
 (何がこやつに一番、打撃を与える?)
 兼続は普段から戦装束と同じ、趣味の悪い白い着物を着込んでいる。だが、これに関してはもう何度も取り上げたので、大して打撃を与えられないと政宗は学んでいた。札と剣を用いる特異な戦闘方法に関しても、確か、さして打撃は与えられなかったはずだ。かといって兼続を罵るために、幸村や慶次を貶したくはない。兼続に打撃は与えられるだろうが、政宗は彼らを買っているのである。兼続如きの機嫌を損ねるためだけに、彼らの気分を損ねることもあるまい。
 とすれば、何が兼続に打撃を与えられるのか?
 諸刃の剣に他ならないが、政宗は自らの肉を切らせて兼続の骨を断てるのならば、ある程度の打撃はいたし方あるまい、と思わず歯軋りしそうになるのをこらえた。言う前から気分が悪い。
 一瞬脳裏を横切った母の最後の笑顔と毒を盛られた際に感じた痛みの記憶を打ち消し、政宗は可能な限りの笑顔を浮かべた。
 「やましろ。」
 「なんだ、山犬!」
 「あいしているぞ。」
 傍で政宗と兼続の喧嘩が終るのを待っていた小十郎が瞑目し、孫市が呆れ、三成と幸村が固まり、慶次と左近が笑うのが視界の片隅に映った。当然である。政宗の浮かべた笑みはぎこちなく固まり、その上台詞は棒読みだった。政事の際に見せる政宗の無駄な演技力は、まるで見受けられなかった。第一、それまでの会話の流れからすれば、考えるまでもなく告白が唐突すぎた。
 政宗の字面だけ取れば改心したようにも取れる言葉に、兼続が目を丸くする。
 (愛が、なんじゃ。)
 内心吐き捨て、政宗は兼続の次なる反応を待った。政宗の想像では、政宗に対し兼続は「山犬が愛を口にするとはなんだ!愛とは虚言に使ってよいものではない!だいたい、冗談にしても貴様に好かれるなど、虫唾が走る!」と青筋を浮かべ激怒するはずだった。政宗だとて、己の笑ってしまうくらい下手な嘘には気付いていたのである。
 予想外だった。
 「山犬、」
 さあ来い。兼続が気分を害し先程まで以上に罵詈雑言を口にすれば、自分の勝ちだ。自らの台詞に打撃を受けながらも、政宗は努めて害した胸には意識をやらぬようにしながら兼続の様子を窺った。
 兼続は言った。
 「ようやくわかってくれたか!」
 台詞と同時に肩を強くつかまれ、何を、と思う間もなく抱き寄せられていた。体格差上、無論それだけでなく抱きしめ返す気も毛頭なかったのだが、一方的にぎゅうぎゅうと締め付けられながら、政宗は混乱する頭を必死に宥め透かし、叱咤し、一生懸命考えをまとめようとした。
 (現状を把握しろ、わし!今、一体何が起きている?)
 兼続がまだ何かほざいていたが、幸か不幸か、政宗は一切聞いていなかった。
 「山犬がせっかく改心したのに、また愛を忘れてしまっては大変だ!山犬の頭は犬なのに三歩歩けば恩を忘れる鳥頭だからな!そうとなれば話は早い、さあ、さっさと挙式を上げねば!私が忘れぬよう愛を叩き込んでやる!いや、その前に謙信様にご挨拶だな、帰るぞ!お前ほど切れる男が義に与すれば、義の世、遠くないぞ!」


 「…政宗も軽率だな。」
 とはいえ、誰もこんな風に展開するなどとは想像できなかったのだが。
 広げた扇子の影から放たれた三成の呟きだけが、やけに、兼続が日ノ本軍へと政宗を連れ去った後の会議室に響いた。











初掲載 2007年3月31日
改訂 2008年11月30日