雪が降った日のことだった。
「会長、お手伝いしに参りました。」
キリがやって来たのは、22時を少し回った頃のことだった。
窓から忍んで来たキリに、入浴直後でほかほかしていた僕は何事かと思い、慌てて部屋の中へ招き入れた。昼のうちに大分溶けたとはいえ、歩道ではまだ雪が煌めきを放っていた。暖房の効いた室内は暖かいが、一歩廊下に出ようものなら吐く息は白い。外は相当な寒さだろう。実際、キリの鼻の頭は赤くなっている。
「どうしたんだ、こんな時間に。」
「いえ、こんな時間だからこそ、丁度良いかと思いまして。」
マフラーを外しながらのキリの発言に、内心、僕はいぶかしんだ。こんな時間にキリの手を煩わせるようなことがあっただろうか。解せない。
その思いが顔に表れていたのだろう。キリは懐からいそいそと何やら取り出した。何であろう、と差し出されたそれを見てみれば、煌びやかなキャラクターが描かれた漫画本だった。いわゆる、少女漫画というものだろう。確か、ビバゲーバトルで丹生と対決した早乙女浪漫が、少女漫画に傾倒しているという話だった。
キリに視線で促されるまま、中身に目を通す。僕は愕然とした。
「…な、何だこれはっ!こ、こんな破廉恥な本、校則違反だ!」
あろうことか同性でこんな真似を…!
ぶるぶる身を震わせる僕をどこか物思う視線で眺めていたキリは、はたと何かに気付いたように、僕との距離を詰めた。ぐっと縮まった距離に、僕は動揺した。眼前にはキリの赤みを帯びた端正な顔がある。寒さのせいで悴んだのだろか。
肩に手を置かれ、ごくりとキリの咽喉が動いた。
「それで、ですね。」
「何だ。」
「お手伝いに来ました。」
…何だか嫌な予感しかしないが、ここは訊くべきだろう。
「…何の。」
「性欲処理の、です。」
キリが変なことを言い出すのは今に限った話ではないが、これは、行きすぎだ。僕はあからさまに引いたが、そんな僕の様子を一向気にした風もなく、キリは熱弁を振るった。
「考えてみれば、遥か戦国時代より部下が主君の性欲処理のお手伝いをするのは必定!会長がお手を煩うことはありません!」
「え、いや、あのだな。」
そもそも僕はそんな恥ずかしい真似はしないし、ああいうのって18歳になるまで禁止じゃないのか?頭に疑問符を浮かべる僕を前に、キリの暴走は続く。
「女共にこの本を渡された時は、目から鱗が落ちた心持ちでした。一生の不覚です。今まで配慮が足りず本当に申し訳ありませんでした。」
「え、えーっと…どこから突っ込めば良いものやら。」
キリの申し立てに、僕は二の句を告げず遠方を見た。あまりの事態に頭が混乱して巧く働かない。とりあえず、この事態は、僕に対するキリの忠誠ぶりを面白がった生徒会女子の仕業のようだ。後できつく言い含めて置かなければなるまい。
ぼんやり現実逃避に勤しんでいると、ずい、とキリの顔が近づいた。
「それで、会長はどう思われます。」
聞きたくないので聞いていなかったが、やはり、話は続いていたらしい。
「な、何がだ?」
「男が快楽を追及する上でやはり前立腺を刺激した方が良いかと思ったのでコンドームやローションなど買ってきてはみたのですが、やはり衛生上事前にシャワーを浴びた方が良いですし、ローションを使うと結構べたついて汚れるかと思うので事後もシャワーを浴びた方が良いですし、そうなるとシーツも取り変えるべきですから、そういう諸々のことを考えると会長のお部屋よりご足労いただいて俺の部屋でやった方が良いかとも思ったのですが、しかし、こういうことは夜分に行われるものかとも思いますし、そんな夜更けにわざわざご足労いただくのもいかがなものかと思いまして。ご意見をいただければ、俺はそれに従います。」
何を言っているのかさっぱり理解できないが、一つだけわかったことがあった。どうも、キリは僕の性欲処理を手伝う前提で話を進めているらしい。
僕は否定の言葉をかけようとして、唇を開いた。その唇に、ふにと、キリの親指が押し当てられて、僕はかけるべき言葉を失ってしまう。
いつの間に追い込まれていたのだろう。とさり、とベッドに押し倒されたことで初めて僕は自分の危機的状況に気付いたが、とき既に遅し。僕の濡れた髪にキスを落として、どこかぎらつく目をしたキリが頬を綻ばせた。
「いずれにしても、場所は後で検討することにしましょう。会長は安心して、俺に身を任せてください。」
ひやりと冷たい手が熱を孕んで、僕の脇腹を撫ぜた。不適切な程の自信を覗かせて、キリが言う。
「絶対、気持ち良くしますから。」
まぁ…いっか…と言えるはずもなく制止しようとした僕の声は、唇ごと呑みこまれて、消え去った。
初掲載 2011年9月26日