夏休みも終わったばかりの季節外れ深夜のファミレスは酷く静かで、勉学に励んでいる受験生が時折ドリンクバーに立つ音しかしない。
獄寺は静けさを打ち消すように、目の前のホットコーヒーに備え付けのミルクを入れた。ティースプーンでわざと音を立てて掻き混ぜるとマーブル模様に白と黒が弧を描く。その様を眺めてからコーヒーに口を付けると、既に冷たくなって久しいコーヒーは酷く苦く感じられ、獄寺は眉を顰めた。獄寺は本来無糖派だし、ミルクも入れはしない。実家が実家である故に舌は肥えているが、別段コーヒーにうるさいということもない。何より、ファミレスのコーヒーにそのようなことを求めても無駄だとわかっていた。では、何故こんなにも不味いのか。
獄寺は目の前で楽しそうにクリームの浮いたローングリーンの液体を飲んでいる男を見た。ストローの白と赤のコントラストと相まって、酷く目に毒々しい色彩は、明らかに着色料を含んでいる。それと砂糖と二酸化酸素と少しばかりの香料で構成されたそれが如何なる味なのか、それまでの生活故に飲んだことのない獄寺にはわからない。しかし、不意に鼻先に届く甘ったるそうな香りに苛立ち、吸っていた煙草を思わず灰皿に押し付けるという行為を既に幾度か繰り返していた。
今夜呼ばれた用件は、未だ男から聞いてはいない。獄寺から尋ねたところで、要領の得た答えが返ってくるとは思えなかった。いつもこの男は自分のペースでのらりくらりと物事を進めるのだ。ちらり、と時計を見やると時刻は既に2時半。呼び出されてから3時間が経過している。獄寺の敬愛する沢田は既に眠りに就いているだろう。獄寺自身も、別に授業中に不足した分を補うから良いといえば良いのだが、さっさと家に帰って寝たいのが心情だった。
「おい。」
痺れを切らして出した声は、思いの外苛立ちを滲ませており、獄寺は隠しきれなかった自分に内心舌打ちをした。どうしてもクールに徹しきれない。これは自分の弱みだ。
けれど目の前の男はこれで漸く獄寺の苛立ちに気付いたらしく、きょとんとした顔で獄寺を見詰めた。オレンジの明かりに金の癖毛がほよほよとそよいで光を弾く。目に眩しい色彩は男と似通っていて、思わず獄寺は瞳を細めた。自分と同じ、下手すれば自分よりも血に塗れた道を歩んできた者だと知っているはずのなのに。どうしてこんなに男は無邪気に光の中で息が出来るのか。自分は息が詰まって喘いでいるのに。
「用はなんだよ、早く言え。」
極力感情を殺して尋ねた獄寺に、男はストローでローングリーンを掻き混ぜ気泡を浮かび上がらせると、一口飲んでから言った。
「別に、久しぶりに日本に来たし、時差ボケが直らないから呼んだだけだぜ。あれ?言ってなかったっけ?」
「言ってねぇよ!!」
思わず荒げた声に受験生がびくりと肩を揺らし、奥で談話に耽っていた店員がこちらを覗いた。その様子に大人気なかったなと獄寺は自分を責め、再びコーヒーを口にした。しかし、渋い苦味に眉根の皺は深まるばかりだ。
「あぁ、悪ぃ悪ぃ。ほら、謝るから。あーん。」
少しも反省の色のない返答で、掬ったクリームを獄寺の鼻先に差し出す男はずるいと獄寺は思う。怒りを殺がれ、無邪気な愛情を押し付けられ、この男は獄寺にどうしろと言うのだ。
睨みつけ一瞬躊躇ってから口を付けたそれは口内に残る甘ったるさが酷く不快で、けれど一瞬たりとはいえ紛れもなく広がったものは確かに幸せだった。
初掲載 2005年8月26日