全てに置いて控えめな女は足音すら立てるのを恐れるようにしてひっそりと歩く。気配は常人にしてはかなり控えめで、エクソシストという職業にあっても、非戦闘員であることを考えればなさすぎる事実に驚きを禁じえない。いや、エクソシストだって悪魔に対して奇襲を仕掛けるわけではないのだから、どう考えてみてもあの女は静かすぎだ。その女の姿をまるで幽霊のようだと言ったのは、決して皮肉や揶揄からではなく、真実思ったことを正直に洩らしただけのことだった。
そんな女だが気配とは裏腹に歩く度に災厄をもたらすため、あちらこちらで物を引っ掛け、落とし、あるいは転ぶ音がする。騒々しさはポルターガイストのようだと俺はこっそり思ったが、今度は口に出すことはなかった。幽霊のようだと言った折に、丁度隣にいたリナリーに脛を思い切り蹴られたからだ。怪我の直りが早い俺でも青痣は二日間消えることなく、その間ずっともやしにからかわれ続けることとなった。忌々しく、苦い記憶だ。
それでもエクソシストとしての修行の効果か。それは亀の足取りのように緩慢なものではあったが、あの女は騒々しさを引き連れ歩くことが少なくなった。場所を問わず負っていた擦り傷や痣といった怪我も目に見えて減っていった。気配は誰よりも大人しいあの女は、誰も彼もエクソシストで敏いからこそ辛うじて気付くものの、幽霊のようにひっそりと目立たなくなってしまった。元々、そういう気質の人間だとはわかっていたが、まるで日陰の花のように頼りない姿は、実際は昔に比べればマシになったにもかかわらず、空気に溶けて消え去ってしまいそうで痛々しかった。未だ教団に来たばかりの頃の方がマシだったと、俺は女を見かけるたびに思った。
とうとう、あの女も悪魔との戦に出るのだという。
「あの女、あんな死にそうな面してやがるのに。戦になんか出れるのかよ」
不本意ながら任務報告をしに行った際。擦れ違った女の様子に悲痛を覚えながら入室した先で、コムイにコーヒーを出しに来たリナリーが俺の言葉に息を飲んだ。
「…、驚いたわ。」
事実、心底驚いたという風に目を見開いて言った様子に顔を顰めれば、リナリーはぎこちなく微笑んだ。コーヒーを行儀悪く啜っている兄の方は、元々細い瞳を弓なりにして笑っている。俺は苛立ちを感じた。
「何がだ。」
「…だって。」
焦ったように視線を彷徨わせるリナリーとは打って変わって、兄は酷く楽しそうににやにやとわざとらしく笑みを浮かべている。それこそコムイを斬り付けてやろうかと思いながら、俺は台詞の続きを促した。
リナリーは暫し躊躇うように口を開閉していたが、やがて何かを決心したように大きく頷いた。
「大丈夫、アレンくんとラビには秘密にしておくから!」
一人で納得されてしまい結局返答を得ることは出来なかった俺は、任務報告もそこそこに執務室を追い出された。
「ミランダならたぶん図書室に居ると思うわよ。」
扉を閉じる間際背に投げかけられたあの女の所在は、俺が教えられるからといって何をする訳でもない。それを知らないリナリーでもないだろうに。
「くそったれ。」
俺は込み上げた苦い溜め息を飲んで歩き出した。足は知らぬ間に図書室へと向かっている。その先で何をするつもりなのか皆目検討つかないにもかかわらず進む足に自嘲しつつ、俺はただ、俺にしては珍しくも現実を悲観した。
互いの身は戦に出て散るものだと、それだけのために存在するものだと、死が前提の束の間の生だと。
俺は疾うに知っていたのに。
初掲載 2006年12月18日
Rachaelさま