「世界が本当にあるのかなんて誰にもわからないさ」
そう言って、楽しそうに笑う人だった。
彼の言葉の意味がわからず首をかしげる私に、彼は当時はまっていた食堂の地中海風パスタを巻きつけたフォークの先を、行儀悪く私に向けた。それは彼の癖で、今にしてみれば毎回私は嗜めていた気がする。
彼は注意されるとばつが悪そうに小さく笑って、フォークの先を下げた。パタリと白い皿にトマトソースが垂れて、赤く小さな丸を描いた。
「例えばさ、」
それは彼の口癖だった。
「例えば世界があるとして、誰がそれを証明できるんさ?」
「神様がいらっしゃるわ。貴方もそれは承知でしょう?」
自明の理だと断じる私に、彼は珍しく年相応に瞳を輝かせて言った。
「でも神がいるからって、世界があるだなんて本当のところはわかんないさ。」
「どうして?」
「だって、俺が死んだらホントのところなんて、ぶっちゃけた話わかんないさ。そこで俺の意識は潰えるんだから。」
自分の興味のある話題に関してはいつもの冷めた様子を捨て去り、無邪気に身を乗り出して、それはとても楽しそうに笑う人だった。
「だから実際のところ、世界は俺が見てる幻で、俺が死んだら世界だって終るかもしれないさ。」
「戯れでも死ぬなんて言わないで。」
私はいつもの調子で、そう彼を嗜めるべきだったのかもしれない。けれどその言葉を口にする彼はあまりにも楽しそうで、彼の演説に水を差すことも出来ず、私はつられて微笑むしかなかった。
毎日毎日。楽しいばかりとは言い難い日々だったけれど。
笑い合う、日々だった。
その瞼が再び開けられることがないことを、私は痛いくらいに承知していた。彼の瞳を閉ざしたのは、他ならぬ私だった。
彼を永遠に死から遠ざけるだけの力が私にあれば、私が精神を揺るがすことさえしなければ、彼は仮初ではあっても生き続け、死に続けていたに違いない。
私が力尽き瞼を閉ざしたとき、彼もまた眠るようにしてこの世界から遠ざかってしまった。
神の御許で彼はいつかのように笑っているのだろうか。それとも、これらは全て彼の見た夢だったのだろうか。
あるいは彼の説から言えば、これは私の見ている夢なのだろうか?
「ラビ、くん。」
私の眦から無力な涙が不甲斐無く零れ、彼の頬にポタリと落ちた。
彼は瞼を閉ざすことで私の世界を終らせた。真偽のほどは別として、少なくとも彼は私の世界の主だったのだ。
初掲載 2006年12月18日
Rachaelさま