Color:07「the purple(感傷的でオーバーな)」


 「例えば、」
 全てに置いて自主的とは言いがたい控えめな彼女の発言に、俺は珍しいこともあるものだと喜悦を感じながら、一言たりとも決して逃すまいとして耳を澄ました。彼女は何事かを言いあぐねるように、僅かに開いた唇を閉ざしてしまったが、俺の様子を見ると小さく睫毛を伏せた。追悼のような瞑目は、俺ならまだしも彼女には黒衣と相まって実に相応しく、けれどその灰茶の瞳に浮かんだ憐憫と自嘲はあまりにも似つかわしくなかった。
 彼女は決心したように唇を引き伸ばし、躊躇いながらも、それでも言葉を紡いだ。
 「例えば、例えばの話よ。例えばこの世界に、人類を殺す悪魔という存在と」
 「―――それを退治するエクソシストがいて?」
 彼女の言葉を引き継いだ俺に、彼女は柔らかく笑みを浮かべた。いつもの慈愛に満ちた自己犠牲の強い微笑みとは違う、絶望と悲哀に満ち満ちた力ない笑みだった。
 絶望してこちら側に堕ちてしまえば良いのに。
 「それで。仮に。私がその悪魔で、貴方がエクソシストだったら。どうする?」
 彼女が、俺と彼女を取り巻く問題の核心に触れたのは、初めてのことだった。てっきり知らないものだとばかり思い込み、束の間の安息を確約されたものだと信じ込んでいた俺は何と道化なのだろう。彼女は全て、知っていたのだ。俺の正体も、彼女の立場も。もしこの場に妹が居たならば、俺は手酷い嘲りの言葉を頂戴していただろうに。俺は誰にともなく嗤った。
 「君次第かな。君はどうするんだ?俺を殺すか?」
 「…私にそんな能力ないもの。貴方に殺されることはあっても、殺せたりはしないと思うわ。」
 「それは残念だ。」
 俺の返答に彼女はゆったりと微笑み、また、存外長い睫毛に縁取られた瞳を伏せてしまった。感情と共に彼女の瞳が色を変化させることを知っていた俺は、絶望の深遠を覗かせる瞳がどれだけ色濃く濡れているのか、許されるものなら窺いたかった。
 叶うことのない願望を飲み込み、俺は小さく笑みを浮かべた。
 「もしも、逆の立場だったらどうする?」
 「…逆の、立場?」
 「君がエクソシストで、俺が悪魔だったら。」
 彼女はまだ顔を上げない。耳にかけていたブルネットの髪が一房、崩れるようにしてかかった頬はいつも以上に病的なまでに白く、まるで人形のように血の気というものが感じられなかった。
 「私は…。貴方はどうするの?」
 「悪魔っていうくらいなんだから、俺は酷いやつなんだろう。だったらきっと俺は、君を躊躇うことなく殺すよ。殺せると思う。」
 殺せるという言葉に偽りはなく、むしろ俺は率先して彼女の息の根を止めたいと願っていた。例えそれが千年公であっても寿命や病気によるものであっても、俺以外の他の誰にも、彼女を死に至らしめることは許せそうになかった。
 「…そう、」
 黒いドレスの裾を握り締める彼女の手はあまりに力を込めすぎて、節々が白くなっていた。優しく解き、掬い取って口付けを落とした彼女のその強張る指先は、北の地で溶けることのないまま永遠の冬に晒され続ける氷のように冷たく、俺は生人の皮を被った悪魔の硬直した肌を思い出した。あの死人の成れの果ての土気色をした肌は、文字通り血など通っていなかったが、彼女の体温はそれによく似ていた。
 絶望に浸る彼女は、悪魔になってくれるだろうか。
 (いや、)
 俺は即座にその考えを否定した。彼女を甦らせるには彼女を真実愛するものが居なくてはならない。俺以外の、彼女の蘇生を望む誰かが。そんな存在、独占欲の強い俺が許せるはずもない。きっと見付け次第、千年公の指示を仰ぐまでもなくその場で即座に殺してしまうだろう。
 悪魔になった彼女を傍に侍らせる姿を脳裏に描きながら、俺は俯いている彼女に尋ねた。
 「さっき否定していたけれど。君は、万が一、俺を殺せたらどうする?」
 「私は、」
 彼女はようやく顔を上げ、泣きそうに沈んだ、しかし何処か晴れやかな笑顔で俺の問いに答えた。
 「私はきっと貴方を何度でも殺してしまうわ。会いたくて、時間を巻き戻して蘇らせて。」
 「そうか。似た者同士みたいだな。」
 彼女は俺の言葉の含みを悟ったのかあるいは察することが出来なかったのか、何はともあれいつもの柔らかく優しい慈愛に満ちた自己犠牲の強い笑みを浮かべた。
 「仮定の話はもう止めましょう、私から振っておいてなんだけれど。」
 「そうだね。結局これは、仮定に過ぎないんだから。」
 何処まで行っても仮定は仮定でしかない。所詮、真綿のような優しさに包まれた甘ったるいだけの夢物語だ。おそらく俺も彼女も相手を蘇生させたりはせず、切り捨ててさっさと先に進むのだろう。悠長に後ろを振り返っていられるほど、戦は生温いものじゃない。引き返せなくなることを承知しているからこそ、最後の砦としがみ付き決して互いに名前を呼ぼうとはせず、真実から目を逸らしたまま俺たちは盲目的に惹かれあう。
 (…救いようがないな。)
 俺はそんな自分たちの様子を傍観者のように眺めながら、彼女が本当に悪魔になってくれたら良いのにと望みつつそんなことは決してないだろうことを承知の上で、ただ彼女に向かって優しい笑みを返した。











初掲載 2006年12月18日
Rachaelさま