阿散井が目覚めると、其処は白く無機質な救護室だった。身体に覚える違和感は麻酔に因るものであろう。頭はぼうとして常の半分も冴えない。
「気分は如何ですか?」
かけられた声は女のものだった。気が緩めばすぐさま眠りに誘いわれそうになる重い瞼を叱咤し、阿散井は声の主を見上げた。柔和な笑みに特徴的な髪型。其れは救護室の長たる四番隊隊長卯ノ花のものであった。
席官であるとはいえ、隊長格でもない阿散井の容態を卯ノ花自らが気に掛けるなど奇妙なことだった。だが、意識の朦朧としていた阿散井は其の事実に気付くことはなかった。
「卯ノ花隊長。」
「…未だ麻酔が効いているようですね。」
「連雅山、さんは。」
「大丈夫。彼女は無事ですよ。」
「良かった。」
卯ノ花は目下に皺を寄せ、只管慈愛の篭った笑みを浮かべた。
安堵から阿散井がゆるゆると再び瞼を落とす。ふと消毒液や薬品の匂いに混じり、鼻先に花の芳香が掠めた。想い人の好む花桃だ。
嗚呼、本当に無事で居てくれて良かった。
其処で阿散井の記憶は途絶えた。
後日漸く退院した阿散井が学院へ足を運ぶと、連雅山は既に退職したとのことだった。
元より産休を取った教師の代役であると、連雅山は最初から言っていた。だが女は斯様に姿を消してしまう様な人であっただろうか。
如何にも腑に落ちず、また女逢いたさに連雅山の連絡先を尋ねてみたが、事務官は知らぬ存ぜぬの一点張りだった。如何にか伝手を頼って他の教師に聞いてみたが、不思議なことに連雅山に関する資料がまるでないという。校長ならば知っているやも知れぬと告げられたが、山本に直接問い質すだけの度胸もない。
結局、何の収穫も得ぬまま阿散井は学院を後にした。
病室に飾られていた花桃に、女はきっと生きている筈だと、只其れだけを思った。
学院から去る阿散井の姿を、眺めている者達が居た。日番谷と松本である。
「隊長、本当に良かったんですか?」
全てを察していた松本は日番谷に問うた。
「良いんだよ。」
「でも、」
未だ言葉を重ねようとする松本を制し、日番谷は言った。
「縁が在るなら、また出逢うだろうさ。」
「ウチの隊長もサッパリ連絡つかないのよ。困るわァ…。」
長く艶やかな金髪をだるそうに掻き揚げ呟く松本に、今や六番隊副隊長となった阿散井は問うた。
「乱菊サンのとこの隊長って誰でしたっけ?」
「アレよ日番谷の――」
「あ――、例の天才児か。そりゃ大変だ。」
何も知らぬ阿散井に、松本は嫣然と笑みを浮かべる。
そして長き時を経て。
桔梗の咲く頃、二人は再び出逢う。
初掲載 2006年7月11日