いつも酒を手にしている京楽を、酒に逃げていると糾弾する者は滅多に居ない。滅多に居ないが、居ないことはない。例えば、京楽の、飲酒を嗜める気すら奪わせる実力を知らない者、あるいは風紀を極端に気にして誹謗する者。
あるいは、京楽の酒関係で迷惑をかけられ怒り心頭の者。
「おっさん。」
苛立ちに眉間の皺は常より3倍増しといったところか。同じ隊長相手では、日番谷がこんなに怒ることは滅多にないことだ。今にも氷輪丸を始解しそうな日番谷の様子に、京楽は早々に引き上げなかったことを、既に後悔していた。
幸い、今、日番谷の手元に氷輪丸はない。だが、日番谷の後ろには、ある種日番谷よりもよっぽど怖い卯ノ花が待ち構えている。浮かべられた黒い笑みに、京楽は冷や汗が流れるのを悟った。額に浮かぶのは脂汗だろうか。
(先生よりも大虚よりもよっぽど怖いよ。)
「京楽隊長、」
「はっ、はい。」
卯ノ花の呼びかけに背筋を正すひょうしに、手に何かがぶつかった。何か、などと考えるまでもない。酒瓶に決まってる。ちょっと日番谷くんの様子を見に行こうよ。なんて言って、酒瓶片手に日番谷の病室に侵入したのは他ならぬ京楽なのだから。
共犯者の松本は、未だ日番谷に寄り添うようにして寝ている。頬についた涙の跡に、きっと松本は不問に処されるのだろう。
昨夜の飲み会ではしゃいでいたものの、松本はどこか虚脱した様子だった。松本だけではない。上司に裏切られた吉良や檜佐木も、どこか無理矢理浮かれていた。雛森にいたっては未だ意識不明の重態だ。無理矢理。みんな無理矢理、酒で疲労や悲哀や愛憎なんていった負のものを飲み込んでいた。
未だ本調子でない日番谷は、昼間は執務に顔を出すものの、夜間は検査の関係と大事もとって入院中だ。酒飲みに出れるわけもない。京楽の知らぬ間に、昼間実は飲まされ、しかも検査でそれがばれて卯ノ花にこってり絞られていたようだが(だから卯ノ花は今、そのこともあって、京楽に更にきつく当たっているわけだが。京楽はそんなことは露と知らない)。
「日番谷くんの様子、見に行く?」
松本があまりに不憫で痛々しくて、京楽はつい深く考えずに言ってしまった。だって酔っていたのだ。それに、男なら端にもかけないが、美人が悲しんでいるだなんて、そんなの、京楽には見ているだけで辛すぎる。
京楽同様強かに酔っ払っていた松本は、一も二もなく京楽の誘いに乗った。日番谷のことが心配だったのだと思う。
寝台で日番谷は見たこともないくらいぐっすりと寝ていた。京楽や松本が近付いても、全然気付かないどころか熟睡している。京楽は、日番谷が不覚になるほど深く眠っている様を初めて見た。本当に、未だ本調子ではないのだろう。
ぽたりと、それを見て松本が泣いた。
「隊長、私が、しっかりしてたら、」
日番谷の手を握り締めてポロポロと泣き出してしまった松本を、京楽は為す術もなく見詰めていた。涙は呆気ないくらい透明で、いっそ不可思議ほど綺麗だった。
ぽたりと。青さを覚えるほど白い日番谷の頬に、それは吸い寄せられるようにして零れ落ちた。
そのまま京楽も松本も酔っ払いらしく気付けば寝ていたようで、朝を迎えて、今に至る。
「病室にアルコールを持ち込むなんて、非常識にもほどがありますよ。京楽隊長。」
「すみませんー、卯ノ花隊長。一応、ここでは飲まなかったんですけど。」
「そういう問題ではありません。良いですか、そもそも。」
卯ノ花に正座させられ説教を受けながら、京楽はちらりと日番谷の方を見た。日番谷の白い小さな手は、松本の手をしっかりと握り締めていた。
(大丈夫。彼は、どこにも行きやしないさ。)
日番谷には錨がついてる。松本や雛森といった慕ってくれる者が居る限り、責任を放り出してどこかに飛び去ってしまうことはない。藍染や市丸のように。
(大丈夫だよ。)
親しい人や可愛い部下が亡くなったとき。信頼していた友が裏切ったとき。
京楽たちのような酒を覚えた大人は、現実を酒に紛らわせて誤魔化してしまう。酒が呑みたくて呑む訳ではない行為はどこか間抜けで悲惨だった。
日番谷は死神ということもあり、決して子供ではないが、大人とも言い難い。
京楽は日番谷に、出来ることなら、このまま酒は覚えてもらいたくないと思う。共に呑んでみたいと思うことも多々あるが、それ以上に、大人ではない日番谷に希望を抱いてしまう。
そんな日番谷が傷ついたとき、少しでもその寄る辺になれたら。
(大丈夫。未だ、僕たちはやっていける。)
綺麗なだけでは済まされない現実だと、痛いくらいに京楽は知っていた。現実は生き難く、苦しい。
「京楽隊長、聞いているのですか。」
「聞いてますって。」
いつもの不機嫌そうな顔で松本の髪を優しく梳く日番谷を、京楽は目を細めて笑った。
初掲載 2006年12月9日