俺と雛森が出会って、今日で丁度百年になる。雛森が覚えているかどうか確かめようがないが、きっとあいつはその名の通り柔らかく華やかに笑ったことだろう。そして俺は仏頂面で照れ隠しに眉間の皺を深めたに違いない。あくまで空想の話だ。実際には雛森は未だ四番隊救護室で横たわり、俺は裏切り者の藍染たちを追って現世に居るのだから。
俺と雛森との出会いは、流魂街に流れ着いたばかりの俺を雛森が拾ったことだった。当時の雛森の、今の俺より若干幼い、柔らかい腕が温かかったことを覚えている。
俺を拾ったのは雛森だったけれど、雛森を拾ったのは俺だった。矛盾している話だ。雛森は俺の身体を拾い、俺は雛森の心を拾った。拾う、というよりも救うという言葉の方がしっくりくるかもしれない。霊力のある仲間を求めていた雛森は俺という存在が居るだけで救われた。そして今以上に幼く小さかった俺は雛森の庇護の下育った。
相互関係は雛森が真央霊術院に入学しても暫くは続いた。暫く、という括りを使ったのは、ここで藍染が雛森の世界に登場するからだ。
藍染はそれが演技だとは信じられないほど巧みに、雛森の信頼を勝ち得た。もとより雛森は藍染に恋する乙女だ。己を崇拝するまっさらすぎる少女の心を掌握するなど、赤子の手を捻るより容易かっただろうことは想像に難くない。
雛森は何でも話す。例えば自分のこと、周りのこと、他人のこと。俺が藍染や学院での出来事を雛森から聞いていたように、雛森は同様に藍染らに対しても俺や流魂街のことを語ったようだった。
「藍染隊長がね、シロちゃんも死神になった方が良いって言うの。だからなろう、ね?」
今まで遠回しに、死神になることで同じ場所に居ることを望まれたことはあったが、雛森の口から直接言われたのは初めてだった。
「俺が死神嫌いなの、知ってんだろ。」
死神は嫌いだ。流魂街の俺たちに対して、何もしてくれやしない。それでも雛森の話で知識だけが増えていった。
「うん。」
あどけない仕草で、いっそ残酷に笑う雛森を恨む気にはなれなかった。雛森の心があの夏の日、藍染のことを夢見るように語った日から、遠くへ去ってしまったことを知っていたから。
「ね、なろうよ。」
雛森の言葉に俺は頷くしかなかった。
その年のうちに俺は真央霊術院に首席合格した。更に1年半後、人よりも4年半早い卒業と同時に席官入りを果たし、その5年後には隊長になっていた。
十番隊隊長に就任して、こんな俺にも守りたいものが増えた。しかし雛森はやはり藍染だけに心奪われているようだった。あまりに盲目な、信仰にも似た恋情だった。俺は藍染がどのような男なのか見極めつつ、雛森の恋を傍目から眺めていた。
「隊長って。中々拾わないけれど、拾うといつまでも捨てられないタイプですよね。」
いつかの折言った松本の言葉は、的を得ていた。俺は拾わない。拾うと捨てられないから拾わない。いつまでも手元に置いて大切に守りたくなるから、拾えない。だがそれで隊長が務まる訳でもない。俺の周囲には守るべきものが沢山あって、それらを守るために現在の俺が居る。しょうがないと割り切るまでもなかった。所有する恐怖はいつしか薄れていた。
俺が初めて拾ったのは雛森の心だった。手元を巣立ってしまってなお、俺は雛森の心を気にかけてしまった。誰しも初めてのものは、それ以降のものよりも印象深く大切な存在になるだろう。同じことだ。俺にとっての初めては雛森で、残りのものも間違いなく大切ではあるけれど、雛森には勝てなかった。
「私も、隊長の一番になりたかったです。」
別に好き好んで雛森を一番にしてしまった訳でもないし、望んだところで刷り込みのように印象付けられたあの出会いを、俺は忘れることなど出来はしないだろう。
「せめて、捨てないでくださいね。」
名が示す通り華やかに、けれど桃とは違う華やかさで、松本は嫣然と笑った。
守りたいものは増えた。背負うものが増えた。拾ったものも増えた。
それでも雛森だけが、俺の魂の根底に沁み付いて離れないのだ。
初掲載 2006年6月27日