喜びは悲しみに似て


 初めて乗った観覧車はゴウンゴウンと小さく震えて、おかしいけれど、少しだけ怖かった。死神として高い位置をも飛ぶことも多々あるのに、こんな観覧車ごときに怖がるだなんて。目の前では相も変わらず不機嫌そうな顔の隊長が、窓から風景を眺めていた。
 「機嫌、直りました?」
 「…ああ。」
 機嫌が直った様子はないけれど尋ねた私に、隊長は、それでも小さく言葉を返してくれた。本当に直ったのか定かではないけれど、そのまま言葉に甘えて、私はほっと息を吐いた。
 「ごめんなさい、でも、来たかったんですよ。遊園地。」
 窓の外は明るく橙に染まっている。
 「いつか連れてくって言ってたんです。」


 あいつが私の前から消えてから初めて交わした雑談は、隊長の話だった。
 いつものようにうちの隊首室に現れたあいつに、私は給湯室で茶を入れていた。隊長は別に仕事の邪魔しに来てるんだから用意しなくて良い、というけれど、私は隊長に休憩が取ってもらいたかった。それに、まがりなりにもあいつも隊長。客としてもてなさなければ、うちの品格が問われる。
 茶請けを何にしようか棚を漁りながら急須が温まるのを待っていると、あいつが、困ったようにやって来た。
 「あの子、ほんま仕事ばっかやなあ。」
 居心地悪そうに、実際給湯室に来てしまう程度には二人きりの空間は居心地が悪かったのだろう。あの頃、あいつは隊長のことを気に入っていたけれど、隊長はあいつよりも仕事を取るような人で、そのときもあいつを放置して書類仕事をしていたから。
 頭をかきながら言うあいつに、私は急須が温まったか手を当てて言った。
 「そうですよ。うちの隊長は市丸隊長とは違って、仕事が大好きですから。本当助かります。」
 「そないなこと言うて、乱菊はイジワルやなあ。」
 私が隊長にわざとかける迷惑もアレだけれど、あいつが吉良にかけさせる世話に比べれば、まだ可愛げがあった。だからそう言ってやると、あいつは肩を落として溜め息を吐いた。
 「せやかて仕事嫌いなんやもん。」
 「やもん、とか言わないでください。そんなこと言ったって、隊長みたいに可愛くないですよ。」
 しょぼん、と効果音がしそうなくらいに気落ちした風のあいつに、流石に私も少々言いすぎたかしらと不安になった。相手はまがりなりにも隊長。私は、副隊長。幼なじみだったときはとっくに過ぎて、私はただの、あいつの同僚の部下。
 「すみません、言いすぎました。お茶もできましたから、隊長のところに戻りましょう。」
 お盆の上に茶と苺大福を載せて、隊首室へ戻るため、二人で並んで廊下を歩いた。
 「あの子、楽しゅうこと知っとるんかなあ。」
 突然の言葉にあいつを見ると、見たこともないような、寂しそうな顔をしていた。
 「たくさん、この世の中には楽しゅうことあるやん。」
 一緒に暮らした百年。私の前ではこんな顔、したことなかったのに。私のためにこんな顔、したことだってなかっただろうに。
 それでも、不思議と嫉妬したりはしなかった。私の中であいつがもう過去のものになってしまっているのか、隊長がそれだけ私の中で大切な位置を占めているのか。私にはわからないけれど。
 「だったら、市丸隊長が教えてあげれば良いじゃないですか。」
 視線を顔から逸らして言うと、あいつの気配が和らいだのがわかった。見なくてもわかる、その程度には長い付き合いだ。
 「せやね、うん。せや。」
 あいつは笑ってる。
 「現世とか任務以外で行ったことあらへんやろなあ。十番隊長さん、遊園地とか連れてったらどないな顔するやろなあ。」
 「そもそも連れて行くまでが大変だと思いますけど、頑張ってくださいね。」
 辿り着いた隊首室の扉を叩く。
 「ほんまおおきに。」
 また、あいつは笑った。
 「いつか絶対連れてったろ。」


 「嘘吐きですよね、連れてくって言ってたのに。」
 言うだけ言って、隊長の心を欠片でも盗んでおきながら、約束しておきながら去ってしまったあいつの代わりを私はしよう。
 私はあいつが好きだった。遠い昔のことだけど、きっと、恋してたんだと思う。
 私は隊長が好き。掛け替えのない存在で、私にはもうこの人しかいない。
 「まだまだ楽しいことはたくさんありますから、全部二人で試しちゃいましょう。」
 窓の外では輝く橙が静かに滲みながら山に沈もうとしている。
 「とりあえず、この後は展望のキレイなレストランで夕食取って、その後は超高級スウィートで宿泊ですから。」
 「…何だよ、それ恋人デートプランじゃねえんだから。」
 まさにそれは苦笑というものだったけれど、やっと笑ってくれた隊長に胸が苦しくなって、嬉しくて、私も笑った。










初掲載 2006年8月2日