眩暈


 窓辺に置いた花瓶の菊が秋風にさやさやとそよいでいる。
 戸を開けた瞬間目に入った花瓶に、土方は、風と呼応して揺らめくカーテンに落とされてしまうのではないかと思った。花瓶は危なげなく安置されていた。だが、土方同様見舞いにやって来た篠原は違う感想を抱いたらしい。
 「…菊なんて、縁起でもない。」
 そう言って篠原は、上役を置き去りに山崎の元へ向かった。
 そういうものかと思いながら、土方は部屋に入るべく煙草の火を消した。それから、ちらりと手元の花束に目を落とした。万屋の隣の花屋で鉢は根付くから止めろとの忠告を受け、渡された花束は、ありていに言えばありきたりだった。土方はそんな見舞い品より、よほど、菊の花の方が山崎に似つかわしい代物だと思った。だが、同時に、おそらくそれを持ち込んだであろう沖田に対する「非常識だ。」という反感も頭をもたげた。土方は己の勝手さに苦笑した。
 この後仕事で時間のない篠原は、かれに二三声をかけると、その場を後にした。土方は、篠原が退室する際己に向けた視線が内心煩わしかったが、それをおくびも出さず、かれに近寄った。土方は隊こそ違えど、篠原がかれを憎からず思っているであろうことを、上司の近藤よりよほど承知していた。切っ掛けを作ったのが己であることも、重々承知していた。だからこそ、あのように牽制するかのような目を向けられたことが厭わしかった。
 「あいつ、まるで自分の連れ合いのような目をしやがる。なあ、山崎。どうして、こんな影の薄い死に損ないに本惚れしたんだか。」
 寝台の上で上半身を起こして土方の様子を覗っていた山崎が、困ったようにへらりと笑った。
 「それを、その死に損ない本人に尋ねますか。」
 「うるせえ。おら、見舞いに来てやってんだ。茶の一つくらい出せ。」
 花束を押し付けながら、そう言って寝台脇の椅子に腰掛けた土方に、山崎は目を細めた。
 「花なんて、副長らしくもない。あるとしても、もっと実際的な見舞い品かと思いました。…書類とか。」
 「いくら俺でも、怪我人に仕事させるほど鬼じゃねえよ。」
 土方の言葉に山崎が笑った。土方は耐え切れず、胸元の煙草に手を伸ばした。
 いつからこんな目をするようになったのだろう。自分の目が節穴だっただけだろうか。いや、監察方筆頭を務めるこいつのことだ。こいつの隠し方が一枚上手だっただけだろう。
 内心一人ごち、土方は菊へゆるりと目を向けた。
 どうも篠原が男にけつを狙われて困っているらしいとの噂を聞き及んだのは、今から半年前のことだった。内部管制ということもあって山崎に篠原の女の面倒を見させた土方は、やがて、篠原が山崎に懸想したと知った。その当初土方は、山崎が篠原と出来てしまえばと思わないでもなかった。そうあってくれれば、問題が二つ一気に片付く。勿怪の幸い、と土方は喜んだ。
 それがどうしてか、癪に障ってきたのが二ヶ月前だ。幸か不幸か、いまだ、山崎は篠原の求愛から逃げ続けていた。そして、あの真っ直ぐな視線で土方のことを見た。山崎は何も土方に問わなかった。ただ、あの眼で土方のことを見やった。それだけで、土方には十分だった。
 秋風にそよめく菊に、土方は、沖田ならどうするだろうと思考を巡らした。沖田ならば、篠原を斬り捨ててしまうだろうか。「あれはいけねえや。」と簡単に言って、刀を抜くだろうか。
 どう始末をつけるか考えながら窓から室内へ視線を向けると、主の胸中を当人より察しているであろう犬は困ったようにへらりと笑った。土方は苦虫とともに煙草を噛み潰した。山崎が内心に反して笑うとき、その目の下に笑い皺が出来るのを、土方はとうの昔に知っていた。そして、内心に反しても主の行動を止めないであろうことも、土方はとうの昔に知っていた。











初掲載 2008年9月9日
正式掲載 2009年2月15日