「土方さん、あんたも馬鹿ですねィ。」
「うるせえ。」
無表情ながらも若干ふて腐れているようで、沖田の隣で土方が煙草を吸うペースは常より早い。
二人の目の前では、隊員たちが解放された女性たちの対応に当っている。その女性の中には、今日、一日真選組局長であるお通の姿も含まれていた。
「大体、いくら山崎があほでも、あんなのに気付かないわけねえじゃねえですか。密偵なんだから。」
現在、真選組ジャンパーを肩に羽織ったお通はサインを書いている。
目の前で嬉しそうに頬を緩めているのは、お通のファンだと言う山崎だ。未だ女装のままである。女装姿ではあるが、かつらの取れた現在、その姿は山崎の名残を多分に含んでいた。
お通は山崎に対し、職務とはいえ、自分を危機的状況から救出してくれたから礼をしたいと言った。公務員が礼を受け取ることは禁じられている。
お通ファンの山崎は、当然のように言った。
「サインをください。ファンなんです。」
一瞬目を見張り、それからお通は花のようにふわりと笑った。
「そんなのでいいの?」
「はい、お願いします。」
そんな経緯を経て、現在。
土方がわざわざ山崎のために書いた偽お通のサイン色紙は、土方の手で握りつぶされパトカーの窓下の収納スペースに押し込められた。沖田はそれを承知の上で、土方をからかっているのだ。
土方は沖田の言葉に、心底不服だとでも言うように眉根を寄せ、煙を大きく吐いた。
「うるせえよ、総悟。」
目の前では、山崎とお通がまるで女学生のような雰囲気を醸し出している。同じ言葉を繰り返すしかない土方に、沖田は笑った。
「山崎はあほですが、馬鹿のあんたよりはマシですぜィ。」
婦女連続誘拐事件にもようやく終止符を打ち、山崎は大きく伸びをした。誘拐された女性たちも、お通も、既に自宅に送り届けた。あとは本部に帰り、此度の騒動の報告書をまとめ上げるだけである。
(これがまた大変なんだ。)
真選組本部に帰るためにパトカーに乗り込んだ山崎は、ふと、何やら角張った紙が窓下の収納スペースに捨てられているのを発見した。
そもそも収納スペースはゴミ捨て場ではない。それに、書類などであれば、シュレッダーにかけてから捨てるか、焼却するのが基本である。
「まったく。」
紙を拾い上げ、何が書いてあるのか確認するため開いた山崎は、静止した。
その夜。
土方は婦女連続誘拐事件の報告書を受け取るため、山崎の自室へと赴いた。普通であれば、土方は山崎を自室に来させるので、こんなことは非常に珍しいことだ。
一応、土方なりに、長期任務で疲れているであろう山崎をいたわったつもりなのである。その割には、女性陣の送り届けなど、最後まで山崎を酷使しまくったが。
「おい、山崎。報告書書き上げたか。」
障子を開けた土方は、ふと視界に入った見慣れない壁の飾りに、思わず立ち止まった。
山崎が今日もらったのであろうお通のサインと、土方が捨てたはずの偽サインが隣り合って飾られていた。偽サインはぐしゃぐしゃの皺だらけで、密偵としての性か、物のない山崎の部屋の中で異彩を放っている。
「あ、副長。ちょっと待ってください。あと少しで終わるんで。」
「あ?お、おう…。」
「なんだったら書き上げてから副長の部屋に持っていきますけど。」
「いや、いい。」
偽サインから目を離すことも出来ず、かといって偽サインで騙そうとした経緯が経緯だけに山崎に尋ねることもはばかられ、混乱しながら土方は腰を下ろした。
なぜ、こんなところにコレがあるのか。沖田が土方への嫌がらせに、山崎に渡したのだろうか。
物にも人にもさして執着を見せない淡泊な山崎が、珍しく土方にねだった物が、他の人間のサインだった。恋人として何となく面白くなくて、つい、自分の書いたものを渡そうとしてしまったが。
「俺がわからないとでも思ったんですか?」
ふいに山崎に声をかけられ、思考の最中だった土方はびくりと肩を揺らした。
「あ?」
「俺、これでも副長付きなんですよ。そもそも密偵だから当たり前としても、副長の筆跡くらい覚えてます。」
山崎のもっともな台詞に恥ずかしくなり、土方は項垂れた。沖田が見れば、垂涎ものの光景だろう。
山崎は言葉を続けた。
「そうでなくても、俺は土方さんの恋人なんですから、それくらいわかりますって。」
「副長」から「土方さん」に名称が変わったことに気付き、土方が顔を上げると同時に、それまで土方の様子を横目で見ていたらしい山崎が吹き出した。ばつが悪くなり、照れ隠しで眉間の皺を深めれば、山崎は笑った。
「折角土方さんが俺のためにだけにわざわざ書いてくれたんだから、大切にしますね。」
不当である。
不当ではあるが、込み上げる恥ずかしさにとうとう耐えきれなくなった土方は、逆ギレした。
「山崎、てめえ、良い度胸してるじゃねえか。」
手首をつかみ押し倒せば、山崎は慌てたらしく、土方の身体の下でささやかながら抵抗を示した。
「ちょっ、まっ、待ってくださいって。俺疲れてるし、ていうかまだ報告書仕上げてな」
「ああ?そんなの知るかよ。」
「副長!」
糾弾するかのような声に、土方は仕返しとばかりに意地悪く笑った。
「土方さん、だろ?」
山崎の自室にはお通のサインが二つ飾られてる。
一つは明らかに偽物で土方の筆跡なのだが、なぜそんなものがあるのか理由を知っているはずの土方は黙して語らず、煙草をふかすばかりである。沖田もにやにやと笑いながら、冷たい目で土方を見るので、どうやら理由を知っているようなのだが、「弱みが出来た」と嬉しそうに言うばかり。当の部屋の持ち主である山崎も、決して口を割ろうとはせず、真選組七不思議の一つとして長く語られることとなった。
初掲載 2006年11月1日