崩れ去ってしまった日常に別れを


 「何してるんでィ。」
 沖田が声をかけると、山崎は不自然でない程度に顔を伏せてこちらを向いた。長い前髪に隠れているが、隠しきれなかった目元が微かに赤く腫れている。ソレを見て、沖田は、あぁまたか、と思ったが口には出さなかった。出したところで何も出来ないことを知っているから。
 「その、ミントンしてたら副長に怒られちゃって。」
 えへへと笑う山崎は、腫れた目元を知らなければ騙されてしまいそうなほど自然だった。
 そう、コイツは自然な態度で嘘を吐(は)くからいけねェ。
 沖田はニコリともしないで、
 「またですかィ。お前さんも飽きねェなぁ。」
 とだけ言った。
 嘘に嘘で応(こた)えるのは、沖田と山崎の間では暗黙の了解になっていた。もはや習慣になってしまったソレに、オレも長い間よく付き合ってまさァと感心したくなる。そして、山崎も。
 しかし、習慣化したからといって傷つかないわけではない。そのことを彼らは知っているのだろうか。
 「ま、今度からはばれない様にしなせェ。俺みたいに要領よくすりゃぁ良いんだからよ。」
 おめェさんも要領よく生きれば良いのにと言外に非難して、沖田は歩き出した。
 「ありがとうございます。」
 ポツリと呟かれた言葉を背に受けて。


 いつからだろう。土方と山崎の不毛な関係に沖田が気付いたのは。
 当時、まだ攘夷党が活発に活動していた頃。その日たまたま非番だった沖田は罠を仕掛けるため副長室に赴いた。そして、部屋に入ろうとしたときに聞こえたすすり泣く様な嬌声に、足を止め、またかと思ったのだ。
 土方は非常にもてる。そのため、遊郭に行かずとも女に困ることはなかった。だが、今まで屯所に女を連れ込んだかと言えばそうでもなく、沖田はその些細なことに興味を持ち、ついつい障子の隙間から中を覗き込んでしまったのだ。
 この時の自分の浅はかな行為を悔やまなかったことは無い。
 あの時、覗き込まなければ。
 そして、土方に縋りつき泣いている、明らかな性の香りを漂わせた山崎と視線が合わなければ。
 山崎との、全てを知った上で知らない振りを続ける、この奇妙な関係も始まらなかっただろうに。


 山崎が土方のことを尊敬していることは、屯所内の誰もが知っていた。
 土方に憧れ、旧家の医者としての道を閉ざしてまで真選組に入隊した山崎のことを、誰もがからかい、それでも、その幼子が母を想うような愚かなまでの純粋さに、心中は圧倒的なまでの劣等感を抱いていた。羨望の目で見ていたのだ。
 それは敬意であって、恋ではなく、愛ではあっても執着ではない。
 山崎に惹かれ、欲望を抑える術を持たないまま迷走する土方は、そのことに気付いているのだろうか。
 知っていたはずだ。
 それでも、手に入れたいと望み、手を伸ばさずにはいられなかったのだろう。
 土方と山崎の痛ましい心の擦れ違いは、恐らく沖田以外の誰も知らない。
 其れほどまでに巧妙に隠されているこの関係を、沖田は愚かだとは思いこそすれ、止めようとは思わなかった。否、自分如きが止められるとは思わなかったのだ。
 痛いくらいの純粋さは全てを巻き込んで、其れを持たない沖田の瞳には眩しく、憧れすら抱く程綺麗なものとして写った。


 日常は疾うに崩れ去り、別れを告げなくてはならなくなった。
 けれど傍観するには近く、それでも入るには遠いこの距離を、沖田はまだ知らない振りをしている。











初掲載 2005年1月6日