God:02「痛みは前に、苦しみは後に」


 沖田には迷いがない。立場上安易に動くことの出来ない土方などは、苦々しげに沖田の軽率とも取れる言動を見るが、山崎はそれで良いと思う。人には人の最適がある。近藤が人を集め、沖田が推進力となり、土方がそれらを統率する。そのバランスが取れた現状を、山崎は最適だと思っている。これ以上は求められまい。
 もっともそのバランスは、彼らの一人でも欠ければたちまち揺らぐ、頼りないものである。そのことを、先の騒動で山崎はいやというほど思い知った。内偵をする上で山崎が負った腹の創は、いまだ消えず、時折痛みを訴える。否応なしに拷問に慣れ親しんだ身ゆえ耐えられる些細な痛みであるが、厄介なものだと山崎は思う。取るに足らない些細な痛み、それが、余裕を失わせた。
 山崎の隣には、山崎を生かした男がいる。河上万斉だ。彼は何を思ったのか、いずれ仇となることをわかっているだろうに、山崎を逃がした。山崎を軽んじているわけではないようだった。理由は聞いた気もするが、生憎、忘れてしまっていた。山崎の頭は密偵として記憶が抜けぬよう出来ているから、余程、理解不能で意識してでも忘れたいと思うような理由だったのだろう。
 ともかく、河上から受けたその恩が山崎にとってはやはり仇となり、山崎は、何故生きて戻ったと土方から散々そしりを受けることになった。名高き真選組の隊士ならば敵に情けをかけられてすごすご逃げてはこないはずだ、というのである。密偵は生きて帰ってこそ、価値がある。否、たとえ泥を啜ってでも、生きて帰らねばならないのが密偵だ。それを土方は知っているはずだった。第一、山崎はすぐさま意識を失い、河上に一矢報いることも自決することも、何も出来はしなかった。ただ、河上が呼んだであろう救急車によって、失血で意識を失っているところを病院まで搬送され、携帯電話が使用不可能な集中治療室に押し込められていただけだ。そもそも、携帯電話からして血に浸って壊れていたが。
 土方の怒りはおそらく、妖刀に侵され真選組から逃げ出した己への怒りを思わず山崎に向けた八つ当たりというものだろう。近くで様子を窺っていた沖田が指摘し、図星の土方と抜刀して斬った張ったの大騒動に転じたが、それがわかっていたから、山崎は押し黙るしかなかった。山崎にとって、土方こそ全て。土方が副長土方としてあるために、山崎は己を殺し、土方の重責を少しでも減らそうと、土方に拾われた当初から決めていた。近藤が人を集め、沖田が推進力となり、土方がそれらを統率する。そしてその流れからはみ出た者を、山崎が押し留め、あるいは秘密裏に斬り捨てる。彼らの役に立てるのなら、母に疎んじられたこの命も、無駄ではないのだと思えた。しかし、ただ叱られているだけでは、密偵としても隊士としても、不甲斐無いものがある。丁度そのとき、刺し傷が痛んだことも災いした。土方と沖田のことは、怒号に飛んできた近藤と原田に任せ、山崎は隊舎を飛び出した。
 河上がつんぽであることはすぐさま判明した。山崎は努めて忘れたいと願うこと以外、基本、絶対忘れはしない。一日局長としてお通を向かえる際に仕入れた事前情報に、河上の写真がつんぽ名義で載っていたことを思い出した時点で満足して、さっさと土方に教えておけば良かったのだ。そうすれば、山崎が隊舎に戻ったとき、土方に対して罪悪感を覚えることも、沖田の放ったバズーカで半壊した隊舎に思わず立ち尽くすこともなかっただろう。もう少し探ってから教えた方が面目が立つなどと考えたのは、完全に、間違いだった。
 その日のスケジュールを調べ上げ、お通の新曲のレコーディングに付き添うことを知った山崎は、お通に頼み込んでレコーディングスタジオに潜入させてもらった。まさかお通が、山崎のことを河上のファンだと勘違いして、河上本人に紹介するなどとは思いもしなかったのだ。


 こんなところに来るんじゃなかった。


 隣には、しごく楽しそうな河上がヘッドフォンをつけ、レコーディングスタジオの安っぽいパイプ椅子に腰掛けている。ガラス張りの向こうには、お通がヘッドフォンを押さえ、なにやら大声で叫んでいる。山崎にはお通が何を歌っているのか、聞こえないのでわからない。正直、河上の隣に仲良く並んで座っている今の状況もわからない。ただ、逃げ出したいというこの強い思いだけは確かだった。後悔してももう遅い。後悔は先立たないからこそ後悔なのだと、山崎は大きく項垂れた。手の中には、河上におごってもらった缶コーヒーがあった。何故、敵から情けをかけられ生きている上に、こうして缶コーヒーまでおごってもらっているのか。まるでわけがわからない。それでもコーヒーは温かく、わずかながら、山崎の心を慰めた。
 「今度の新曲は良いものが出来たでござる。」
 収録が終ったのだろう。お通へ片手を挙げてサインを出し、ヘッドフォンを外した河上は、満足そうにそう言った。鼻歌混じりな点からして、本当に満足のいくものになったのだろう。
 「はあ。そうなんですか。」
 しかし、山崎としてはそう言うより他にない。とりわけお通やつんぽのファンということもなく、正直、音楽など童歌しか知らないのが実情だ。気乗りしない山崎の様子を、河上は気にせず頷いた。
 「これもお主らのお陰でござる。お礼に1枚進呈しよう。」
 「はあそりゃど」
 うも、と続けようとして、山崎は内心疑問に首をかしげた。山崎たちのお陰とは、何なのだろう。山崎がいぶかしみ河上へ視線を投げかけると、何故か逆に河上の方が首をかしげた。
 「む?わからぬのでござるか?」
 「はあ、そりゃまあ。」
 山崎など、今回の騒動で単に斬られて見逃され寝ていただけである。礼を言われるようなことをした覚えは一切ない。素直にそう告げれば、河上は面白そうに笑った。答えを教える気はなさそうだ。
 何故そんな風に笑うのだろう。
 山崎は小さく口を尖らせ、握るコーヒーへ視線を落とした。信じる者に付き従い、周囲との協調を重んじつつ、己の信念は違わない。それはまるで。
 「アンタは、ずるい。」
 恨みがましく呟いて、山崎は缶に口を付けた。脇にある扉を開けて、お通が中へ入ってくる。そちらへ気を取られた河上を、山崎はばれぬよう密かに見やった。何故、来てしまったのだろう。来なければ良かった。そうすれば、あんな顔、見ないですんだだろうから。
 それはまるで…まるで、山崎の信じる、土方のような笑みだった。
 山崎は項垂れたがそれで取り止めるような者達でもなく、結局潜入調査を余儀なくされたのだった。











初掲載 2007年8月31日
Rachaelさま