幽霊男


 また何か勘違いしたらしい東城が先走って、散々な目に会った。
 あいつといるとろくなことにならないと思いながら、僕は夜の繁華街を歩いている。お妙ちゃんに東城の非を謝罪してきたところなのだ。僕はバベルの塔なんて建てない。
 仕事中に邪魔したにもかかわらず、お妙ちゃんはあらそうなの新ちゃんたちには私から伝えておくわと微笑っていた。優しい人だと思った。そして重ねて、お妙ちゃんは床に伏した真選組局長を一瞥してから、彼を引き取りに来させられたのだろう優男を見やった。
 「山崎さん、丁度良かったわ。女の子一人でこんな時刻、不安でしょう?九ちゃんを送っていってくれないかしら?このストーカーは私が始末しておきますから。」
 優男は引き攣った笑みを浮かべ、ぎこちなく頷いた。
 「姉さん、お願いですから息の根だけは止めないでやってください。」
 花のような笑みを浮かべて、お妙ちゃんはきっぱり言った。
 「あなたに姉さんと呼ばれる筋合いはありません。」
 周囲は止めておけと口をすっぱくして言うが、お妙ちゃんのそんなところに僕は強く憧れている。


 それから、淡々と帰路についている。僅かに後ろを音もなく付いて来る優男――名は山崎と呼ばれていた――は戸惑うような顔をして視線を彷徨わせていた。身の置き場に困っているのだろう。僕は小さく嘆息した。
 「別に付いて来る必要はない。僕なら大丈夫だ。一人で帰れる。」
 ふっと、その一言に僕は己の記憶を探った。考えてみれば、僕が一人で外に出ることはなかったように思う。いつもだったら東城が付いて来るところだが、今日は生憎僕が斬り捨ててきたため、傍にはいない。その発見に真新しさを感じて、少しだけ、声が弾んだ。
 山崎は更に困ったように頬を掻いて、いやあそういう訳にもと笑った。そういえば山崎は真選組だ。自分で認めるのは癪だが、仮にも良家の子女を一人で夜の街に放り出すことは出来ないのだろう。
 「ああ、そうか。君にも君の職務があったな。」
 真面目なものだと呟いて、僕は再び前を向いた。
 沈黙が続いた。
 少しだけ彼の存在を忘れていたのは、僕の不注意だったのかもしれない。一人静かに考え事に耽っていたせいかもしれない。あるいは、ひっそりと付いて来る山崎があまりにも存在感がなかったためかもしれない。傍に在りすぎて存在に注意することすら忘れた東城とは違う、似ているけれどその実全く違うその在り方に、僕は少しだけ興味を惹かれた。
 「君は存在感が希薄だな。幽霊でも連れているようだ。」
 些か率直になりすぎたかと思い、僕はしばし思案してから言い方を変えた。
 「違う…忍だろうか。君は真選組で何をやっているんだ?剣客ではないだろう?」
 そういえば昔、お妙ちゃんを嫁取りしようとした際倒した中に居たような気がしないでもない。あまりに記憶に留まらず、一瞬あれと思ってから驚いて振り向いた僕の様子に、山崎が困ったように答えた。
 「一応、観察をやっています。」
 「ああ、だからあんなに弱かったのか。」
 「いや、まあ、柳生流の跡取りにかかれば皆弱いのではないかと思うので、俺だけじゃないと思いたいですけど。」
 「君のそれは願望か?…まあ良い。後で一度手合わせでもしたいものだな。忍相手というのはまだ試した験しがない。」
 異種格闘戦というのもたまには良い気晴らしかもしれない。思って告げると、山崎が引き攣った笑みを浮かべた。
 「いやあ、止めておきましょう。俺如きじゃ相手になれませんよ。」
 「そうだろうか。そう自分を卑下するものでない。」
 「そうは言っても、俺の専門は潜入ですし。戦闘はからきしで、」
 一瞬、間が空いた。
 「…すみません。俺のお客さんのようです。」
 周囲に視線を走らせ小声で言った山崎の姿に、僕は刀の柄に手を置いた。
 「一人で平気か。」
 「大丈夫です。これでも、一応俺も真選組ですし。」
 言うなり手を引かれ、僕は情けない話だが、何があったのかとっさに判断がつかなかった。山崎はそんな僕の様子に小さく謝罪し、僕を抱えて地面を蹴った。東城や坂田銀時に多々言われるように、僕はそれほど小さいのだろうか。憤然と睨み付けた横顔から、優男は片鱗も残さず消え去っていた。その変わり様に僕はただ、ああこれがこの男の本当の姿かと思った。感情を殺す訳ではなく削ぎ落とした横顔は、人形よりも人形らしく、本当に幽鬼のようだった。
 これが、忍の性なのだろうか。忍というものを山崎しか知らない僕にはわからない。
 たん、たんたんと跳躍を続け、屋根を幾度か過ぎ、降り立った路地で山崎はようやく僕を下ろすと改めて頭を下げた。
 「すみません!そういう訳で送れなくなってしまいました。」
 先の様子とは打って変わっての、居心地悪くなるほどの低頭振りに内心僕はうろたえた。初めから腰の低い男だったが、これで真選組が務まるのだろうか。それでも、ああそういえばあの男の部下か、と姦しい店内で一人沈黙を守らされていた真選組局長の姿を思い浮かべ、僕は小さく肩を竦めた。
 「別に良い。…君は一人で平気だな。」
 「はい。」
 「君とは是非、手合わせしたいものだ。」
 山崎は笑った。
 「だから俺じゃあ相手になりませんって。」
 何故かあまりに晴れやかに笑ってそう言うものだから、僕は思わず呆気に取られた。本当に妙なところで妙に自信を持つ男だ。それは自慢になりはしないと教える前に、山崎は別れを告げて再び跳んだ。
 何かを追い回すような怒号、高く澄んだ金属音が響いた。注意しなければわからない影を引きつれ、忍が空を走っている。僕は下の様子を覗き込んでから、やはり出番はなさそうだと判断して歩き出した。あまりに遅いとパパ上が心配する。それに、僕の力は必要なかった。


 ふっと、そういえば山崎に触られても殴りつけなかった事実に気付き、僕は己の掌に目を落とした。何故だろう。影が薄いためなのだろうか。それから男らしさの欠片もなかった姿を思い浮かべ、僕は首を捻りながら歩き続けた。少しだけ、便利だなとも思った。東城もあんな風なら守り役としてこちらも気を張らずに済むのに。しかしそのような東城は想像もつかず、僕は更に首を捻った。変態ではない東城。そんな東城、ありえるのだろうか。それは東城という存在の全否定である。
 何処に居るのかわからなかったが、暗い路地を抜け出ると、僕の屋敷の前だった。随分近くまで送ってももらったことになる。こんな近道があったのかと感銘を受ける一方で、かといって利用出来るはずもない事実に至り、僕は小さく嘆息した。僕はしがない剣客だ。空を跳べる訳ではない。
 家の門を開けながら、明日すべきことを考えた。お妙ちゃんにも会いに行き、真選組にも今宵の送迎の礼を告げよう。それから、やはり手合わせを願わねば。
 嫌がる山崎を思い浮かべて、僕はひっそりと笑った。











初掲載 2007年10月27日