聖杯がある限り、再会は必然だった。
「貴様は何を知っている、雑種。」
遠坂邸の庭では、白薔薇が咲き乱れている。第四次聖杯戦争の折には、屋敷で過ごしたこともあるギルガメッシュは、庭へ設けられた椅子へ腰を下ろし、長い足を組んだ。全てを己のものだと公言する王だ。この場所も、己の所有物だと信じているらしい。周囲から聞く限り、かつての主が、この傲慢な王の興を得ようと、仕向けてそのように思わせた節もあった。もっとも、その主も、王の不興を買い、殺されて久しい。
アーチャーは腹の内を読ませない笑みを浮かべると、ティーセットを手に取った。ちょうど、紅茶を入れている最中だった。所要を思い出したと言って、凛は席をはずしているが、もう間もなく戻って来るだろう。そのとき、主然として侵入している部外者を見て、烈火の如く怒るのは想像に難くなかった。
ギルガメッシュの眼下へ老いたティーカップへ、白磁のティーポットを傾けて紅茶を注ぐ。アーチャーにしてみれば、渾身の出来だった。何せ、傲岸な王へ捧げるものだ。味に確信を持てなければ、献上することすら許されないだろう。
だが、ギルガメッシュは流麗な眦を吊り上げると、カップの中身をアーチャーの顔へぶちまけた。どうやら、ギルガメッシュの不興を買ったらしい。アーチャーは苦笑をこぼし、濡れて額へ張りつく前髪を掻きあげた。もとより、最初からわかっていたことでもあった。アーチャーは、ギルガメッシュに退席願いたいのだ。ギルガメッシュと通じていることを知らせ、凛の心象を悪くするつもりはない。今は、まだ。
「お気に召さなかっただろうか。生憎、ワインは切らしていてな。」
「そうではない。我をたばかるか!」
ギルガメッシュの手が飛ぶ。無論、アーチャーにはそれを避けることも出来たが、あえて喰らうことにした。ぱしんという小気味いい音と共に、頬に熱が走る。いつになく沸点が低いのは、いつもアーチャーに良いようにされているからだろう。この王は、いついかなるときでも、我を通さないと気が済まない。それは、閨においても変わらなかった。そして、世界が違っても、変わらないらしい。
ギルガメッシュの金糸を手に取る。指先からさらさらと零れ落ちるそれは、砂金を思わせる。どれだけ零落れようと、豪奢で華美な本質は変わらない。口端を歪めたアーチャーは、見咎められないよう唇を落とした。
「王よ、凛が戻って来る。続きはまた今度。」
そう言ってひらりと手を翻せば、ギルガメッシュは舌打ちを零しながらも、従順に姿を消した。ギルガメッシュにも、それは得策ではないとわかっているのだ。それでも姿を見せずにいられなかったのは、ひとえに、アーチャーが凛の傍を離れようとしないせいだろう。
「…続きはまた今度。」
小さく呟き、左手の薬指へキスする。アーチャーの言動をギルガメッシュがいぶかしむのも、当然だった。ギルガメッシュには、アーチャーが平行世界のエミヤシロウだと知る術もないのだから。
あちらの世界で、エミヤは長い間、ギルガメッシュとパートナーだった。パートナー、と呼ぶには歪な関係だったかもしれない。大切なものを失くした二人が、喪失された部分を埋めようと手を取っただけの話だった。セイバーを失くした当時のエミヤには、ギルガメッシュから差し伸べられた手が唯一の救いに思えたのだ。失われたものは、何にもまして美しく見える。エミヤにとってセイバーがそれであったし、ギルガメッシュにとっては言峰がそれだった。
エミヤは闇に冒されたセイバーを救うため、魔力供給の目的で、ギルガメッシュと体を重ねた。セイバーに執着を見せるギルガメッシュの本意を、読み取れなかったのは、エミヤの力不足だろう。エミヤは心から正義なるものを信じていた。その想いは、他人にも及ぶものだろうと確信していたのだ。愉悦のために多くの人間を犠牲にしたギルガメッシュ相手に、何とも甘い考えだった。
意図しなかったとはいえ、はじめてのセックスが同性同士のものになったことは、まだ年若かったエミヤを困惑させたが、ギルガメッシュは手慣れた様子でエミヤを包んだ。何も知らなかった童貞のエミヤに、セックスを手ほどきしたのは、ギルガメッシュだ。エミヤはギルガメッシュしか知らない。ギルガメッシュの良いところを知り尽くし、悦ばせることができるのも、それしか知らないせいだ。
力及ばず、セイバーを救うことができなかった事実は、エミヤの心に深い傷として残った。エミヤはその分も、ギルガメッシュにのめり込んでいった。興じれば誰にでも足を開くギルガメッシュが、言峰とは寝ていなかったという事実が、エミヤの心を浮き立たせた。
セイバーに対する無念が、エミヤが力を求める理由になった。エミヤはめきめきと力をつけ、頭角を現していった。ギルガメッシュのために、エミヤは力が欲しかった。もう二度と、何にも踏み躙られることのない力が。
おかしい。
ギルガメッシュに対する疑惑は、ささいなことが切欠だった。今となっては、それが何であったか思い出すことすらできないほどだ。当時も、決してその実力を疑っていたわけではない。ギルガメッシュの言動は、己の実力に対する過信に満ちていた。だからこそ、セイバーを救うために、エミヤはギルガメッシュの手を借りようとしたのだ。そして、魔術師としての頂点を極めた今では、ギルガメッシュの実力が揺るぎないと知っている。
力が及ばなかった、とギルガメッシュはエミヤに説明した。ギルガメッシュの実力のほどは知っている。十分魔力供給ができなかったのは、自分の落ち度だ。それはエミヤを苛め続けた「事実」だったが、本当に「事実」だったのだろうか。真相は違うのではないか。
ならば、何故、自分たち二人は生き延びている。他の誰もが死んだのに。
急に、ギルガメッシュがセイバーに負けるはずがないという事実が、腑に落ちてしまった。
帰って来るなり真相を問い質すエミヤへ、ギルガメッシュはつまらなさそうに一瞥投げかけた。相手にする価値もない。目が、そう告げていた。つまり、エミヤの推測は正しいのだ。
かーっと頭に血が上って、考えるより先に、ギルガメッシュの胸倉を掴みあげていた。床に押し倒されても、ギルガメッシュは余裕を崩さなかった。ギルガメッシュにしてみれば、目をかけてきた小姓が癇癪を起したていどの話なのだろう。自分はそのていどにしか思われていないのだ。
「お前なんか、お前なんか殺してやる!」
振るいかざして来た正義も忘れて、エミヤはギルガメッシュの首を絞めた。だが、ギルガメッシュの余裕は崩れない。息苦しいだろうに、そんなことはおくびにも出さず、ギルガメッシュはエミヤの蛮行を鼻先で嗤った。
「ほざくな、雑種が。救うためだけに剣を振るってきた貴様が、我を傷つけるために拳を振るえるものならば、してみれば良い。」
事実、そのとおりだった。
エミヤはギルガメッシュから手を離すと、子供のように泣きじゃくった。あのとき、他にどのような手段があっただろう。どうすれば、みんなを救えていたのだろう。悔恨の涙をこぼすエミヤの首へ腕を回し、ギルガメッシュが囁いた。
「可哀そうに。すべてを忘れたいのであろう。良い。この我が、すべてを忘れさせてやる。」
悪魔の囁きだった。だが、何よりも、今はそれが救いに思えた。エミヤにはギルガメッシュが必要だった。たとえ騙されているとわかっても、セイバーのいないエミヤには、ギルガメッシュしかいなかった。守るべき存在は。
エミヤはギルガメッシュへ覆いかぶさり、いつになく乱暴にその身体を暴いた。しかし、それすらも、王にとっては余興に過ぎないのだろう。血が流れるほど激しくされても、ギルガメッシュはエミヤの下で楽しそうに笑い声をあげていた。
まるで、あの惨劇のような、悪夢のような夜だった。
翌朝、ギルガメッシュはエミヤの前から姿を消した。深い絶望のうちに、エミヤは自分を棄てて次へ去っていくギルガメッシュを怨んだ。
だから、最初は、報復のつもりだった。さんざん自分を玩具にしたギルガメッシュに対する、報復。それは何にもまして甘美に感じられた。
聖杯戦争が始まって間もなく、出会い頭に自由を奪った。ギルガメッシュは、自分を押し倒す不敬な存在が、召喚された英霊だと気付きはしたらしいものの、何故このような目にあうのか皆目見当がつかないようだった。当然だ。「こちらのギルガメッシュ」と「アーチャー」を繋ぐものなど、何もない。
ギルガメッシュは無力だった。腕力でも叶わず、足を開かれ、良いように扱われる。まったく、良いざまだった。羞恥に顔を赤らめ、殺してやるとうわ言のように繰り返すギルガメッシュに、アーチャーのものはいきり立った。爛々と殺意に光る目を前にして、胸がすく想いがした。あちらのギルガメッシュには、殺意など示されたこともなかった。それは、玩具風情に本気になることなどないという余裕の表れだった。
何度か乱暴に抱いてやると、やがて、ギルガメッシュは自ら進んでアーチャーの許へ来るようになった。あちらのギルガメッシュに仕込まれた技が、こちらのギルガメッシュの目を引いたらしい。享楽的なところのまったく変わらないギルガメッシュに、アーチャーは、笑いが止まらなかった。かつてあちらの世界でされたように、ギルガメッシュを弄んで捨ててやるつもりだった。最期の最期で、希望を断ち、見棄ててやるつもりだった。正義など、もう、アーチャーには必要なかった。
それがどうして、こんなに、魅了されているのか。
アーチャーは腕の中でまどろむギルガメッシュの金糸を梳いた。昼間はあれだけ機嫌を損ねていた王も、夜にはミルクを与えられた猫のような満悦を見せる。折角の逢引に真相を問い質すのも無粋と感じるのか、それとも、下手に刺激すればアーチャーが抱かないとでも恐れているのか、頑なに口を噤むところも愛らしかった。
今、一つの計画がアーチャーの頭に兆していた。失われたものは、何にもまして美しく見える。かつての世界では、アーチャーにとってセイバーがそれであったし、ギルガメッシュにとっては言峰がそれだった。だが、今はその「事実」が確定していない。ギルガメッシュにとって興味の対象である現在、アーチャーが言峰に成り変るのはそう難しくはないだろう。この手で、言峰を倒せば済む。ギルガメッシュはいくらか別離を惜しむかもしれないが、それしきの男だったのだと早々に見切りをつけるだろう。最上級品を好む王が、敗者に用などあるはずもない。
煌めくこの不遜な王を、自分だけのものにしたら、どれだけ幸福だろう。アーチャーは低く笑い声を漏らしながら、ギルガメッシュにキスを落とした。恋していた。愛していた。もう二度と、誰の手にも渡すつもりはなかった。
あの日喪失された幸福は、ギルガメッシュを掌中に収めたとき、ようやくこの手に還るのだ。
初掲載 2012年3月20日