窓の外、青く澄み渡った空には、ぽつりぽつりと取り残されたような白雲が浮かんでいる。良い天気だった。こういう日に釣りや庭いじりができたら、どれだけ楽しかったことだろう。事実、何事もなければ、ランサーは今ごろ教会に咲き乱れる白薔薇の剪定をしていたはずだった。
だが、実際はどうだ。現実はといえば、ランサーはショッピングセンターに設けられた喫煙スペースの壁にもたれかかり、ギルガメッシュが店員によって服を当てられるさまをかれこれ1時間以上眺めていた。
まるでランサーを待たせることを愉しんでいるかのようなギルガメッシュの態度に、ランサーは辟易していた。事実、ギルガメッシュは焦らして面白がっているのだろう。いつもならば迷うこともなく、店ごと買い占めるような暴挙に及ぶがギルガメッシュという女である。ランサーは腕時計を確認し、舌打ちをこぼした。そろそろ夕飯の支度をしなければならないというのに、何故、自分はこんなところで買い物に付き合わされているのだろう。はなはだ疑問だった。
それもこれもすべてマスターである凛のせいだ、と言い切ってしまうのはランサーとしても抵抗があった。確かに、凛はランサーに、今日一日ギルガメッシュに付き合うよう命令した。とはいえ、令呪を用いられたわけではない。水面下で凛とギルガメッシュの間にどのような取引が行われたのか定かではないが、抵抗しようと思えば抵抗できる程度の命令だった。
最大の疑問は、ランサーが呆れていることを承知しているにもかかわらず、ギルガメッシュがご満悦の様子で買い物に勤しんでいることにあった。新都まで買い物に来たからか、多少めかしこんでもいるようだ。愛らしい唇はいつも以上に瑞々しく艶めき、珍しくマスカラを塗りつけたのか、黄金の長い睫毛が黒く彩られていた。
ショップ店員にも勘違いされたように、傍から見れば、デートのように見えないこともないだろう。事実、デートと言ってもあながち間違いではなかった。朝から二人きりで出かけ、流行りの店でランチを取り、当て所なく市街をぶらつきながらアイスクリームを食べる。
無謀にもトリプルを頼んだギルガメッシュに、もう食べられないからと押し付けられた残りを食べながら、ふっと実感がわいて、ランサーは狼狽した。デート。最古の英雄王と、まさかのデート。しかも、こういう風にギルガメッシュに振り回されても嫌ではないのだ。由々しき事態だった。
苦虫を噛み潰した表情で、ランサーはまだ半分残っている煙草を灰皿へ押し付けた。眼前では、会計に向かったギルガメッシュがこちらへ手を振っている。来いということだろう。無邪気で横暴な態度に嘆息しながら、ランサーは喫煙コーナーを抜け出た。
「遅いぞ。狗であれば、呼んだらもっと早く来るのが筋であろう。」
「うるせえ。狗って言うんじゃねえよ。」
「ならば真名で呼んでやろうか?良いから早く会計を済ませよ。我は待っておるのだぞ。」
「…てっめえ、帰ったら覚えてろよ。」
ランサーは舌打ちをこぼして、薄い財布からなけなしの紙幣を取り出した。勿論、ランサーがギルガメッシュのために服代を払ってやらなければならない義理はない。これは、ショップ店員の手前、女のギルガメッシュの支払いをさせれば男の沽券に関わるから、一時的に立て替えてやるだけなのだ。そう己に言い聞かせながらも、満更でもない自分にランサーは腹が立った。
ショッピングセンターの外は、思いの外蒸し暑かった。湿度が高いようだ。どうやら噂に聞いていたように、日本の夏は西洋のそれとは違うらしい。
初めて過ごすことになる日本の夏にうんざりして立ちすくむランサーの荷物を持たない方の腕へ、ギルガメッシュの腕が絡められた。ランサーは視線を落とした。得意満面の笑みを浮かべて、ギルガメッシュが三軒先の花屋を指し示した。
「喜べ、ランサー!我と一日過ごせてすでに幸福であろうが、今日という記念に、特別に花を贈らせてやる。」
「いや、お前が欲しいだけだろ。」
「何を言うか。王の配慮を解せぬとは無礼だぞ!」
不満そうに頬を膨らませるギルガメッシュの胸が、腕に押し付けられる。無自覚なのだろうか。ギルガメッシュには甘えている自覚がないらしい。考えてみれば、綺礼や士郎相手にもよくこのような行動をとっている。だが、状況が状況だ。まるで本物のデートをしているかのような錯覚に陥り、ランサーは嘆息した。こうなると、墓穴を掘りそうで、反論さえ面倒臭い。
「わぁったよ。で?どれが良いんだ。」
「無粋な男よ。贈らせてやろうというのだ。貴様が選ぶに決まっているだろう。」
ふふんと胸を張るギルガメッシュに、ランサーは反論が思いつかず、ぐしゃぐしゃと髪を掻き乱した。対応の面倒臭さ以上に、満更でもない自分に心から危機感が募っていた。もしかすると、こうなることがわかっていたからこそ、凛も面白がってギルガメッシュにランサーを貸し出ししたのかもしれない。
ギルガメッシュの視線は、大輪の真紅の薔薇へ向けられていた。ちょうど今が旬だ。ここで、薔薇の花束でも買ってやるのがモテる男のなのだろうが、生憎、ランサーはモテたいわけではない。大勢の女に均等に愛情を注げるほど器用ではないし、愛すべき女は一人で十分だ。それに、金も持ち合わせがなかった。
ランサーは薔薇の隣に飾られている美しいピンク色の花の前で足を止めた。ベゴニア、と表記された花は薔薇のように色づいている。
「店員さん、これくれ。」
ランサーの選んだ花を見て、ギルガメッシュの眉間にしわが寄せられた。再び、頬が膨らんでいる。心底不満そうだ。
「…花と言われて、どこに鉢を贈りつける愚かものがおる。」
「ベゴニアのどこが悪いんだよ。綺麗な花じゃねえか。しかもこれ見てみろよ。リーガースベゴニアだぞ、リーガースベゴニア。お前、知ってるか?」
「リーガースもリーヴァイスも知らん!なんだその品種は、どこにも記載がないではないか。我は花束が良かった、鉢では話にならんっ。」
「わぁった、わぁった。帰ったら庭に植えてやるからなー。それまでちょっと黙っとけー。」
「……っ!人の話を聞かぬか!」
それでも、初老の店員から鉢を律儀に受け取ったギルガメッシュに、ランサーは頬を緩めると頭を撫でてやり、歩き出した。慌てて追いすがるギルガメッシュの腕が、ランサーのそれに絡められる。
どういうわけか、ギルガメッシュの機嫌はあっさり直っていた。ランサーを追って踵を返す間際、店員に耳打ちされていたようだ。ろくでもないことを吹き込まれたのかもしれない。ランサーにはそれが懸念だった。永遠の栄え、愛の告白、片想い。そんな花に託したギルガメッシュへの告白は、ランサーだけが知っていれば良い。
ランサーは嬉しそうに口端を綻ばせているギルガメッシュに一瞥投げかけると、嘆息をこぼした。自然、ギルガメッシュの歩幅に合わせて、歩調は緩やかなものになっている。ランサーはギルガメッシュに甘い自分に呆れが禁じえなかった。真紅ではないが、庭の薔薇でも贈ってやろう。真紅よりも純白の方が、眼下の女には相応しい。真意を告げるつもりのない心とは裏腹に、どこかで頭が考えを巡らしていた。
「クー・フーリン。」
ふいに真名を呼ばれて顔を向けると、首へ腕が絡められた。一瞬だけ、唇に温かく柔らかなものが触れる。ランサーは瞬きをしてから、何事もなかったかのような顔でそっぽを向いているギルガメッシュの耳元に囁いた。
「……なあ、ギルガメッシュ。」
緊張にこくりとギルガメッシュの咽喉が上下した。頬は赤らんでいる。珍しく、なけなしの女らしさを披露するギルガメッシュの頬へ思わせぶりに指を滑らせて、ランサーは続けた。
「グロスは止めとけ。不味いし、くっつく。」
「………っ!!いっ、狗…貴様ァアアっ!!!」
眦に朱を走らせたギルガメッシュが肩を怒らせて怒鳴った。衝動に駆られてからかってしまったが、これは、機嫌を直すのに骨が折れることだろう。薔薇で機嫌が直せれば良いのだが。羞恥と憤怒に駆られて罵詈雑言を吐くギルガメッシュを前に、ランサーはあっけらかんと笑った。
どういうわけかそれでも、現状を一言で言い表すとしたら、幸か不幸か、ランサーは「幸せ」だった。
初掲載 2012年6月3日