割烹着という古来日本の家事スタイルで、ランサーはギルガメッシュの寝室の扉を叩いた。当然、応えはない。もう朝食だというのに、まだ寝ているのだ。いつものことだった。
ランサーは嘆息をこぼした。朝食は全員で取るのが、ランサーのマスター、凛の方針だ。凛はとても良い女なのだが、人使いの粗すぎる点が、難といえば難だった。命令を速やかに遂行しなければ、マスターに無能のレッテルを張られてしまうことだろう。ランサーとしては、どうしても、それだけは避けたかった。
しぶしぶ、ランサーは大声で断りを入れてから、ギルガメッシュの寝室の扉を開けた。寝汚いお姫さまは、まだぐっすり眠りにしがみついていることだろう。
元々、ギルガメッシュを起こすのは、士郎の仕事だった。しかし、その仕事を含め、教会における家事をランサーが担うようになったのは、その士郎が離反してしまったせいだ。原因は不明だ。敵となる道を選んだ士郎の独立を、養父である綺礼は祝福した。一方、密かに想いを寄せていたらしい凛は、サーヴァントであるランサーに当たるようになった。良い迷惑だった。
寝室に入るとすぐ、黄金の天蓋つきベッドが目につく。サイズは部屋に見合ったものだが、中は異空間に繋がっており、ハーレムを収納できそうな面積を保有している。これでも、宝具なのだ。その広大な面積のせいで、室外から声をかけても届かないのではないかと、ランサーは常々疑っていた。
「おい、ギルガメッシュ朝だぞ。起きろ。なあ、聞こえてんだろ!」
閉め切られた黄金のカーテンを前に、ランサーは呼びかけた。カーテンを開けようとしたところ、中から宝具で攻撃されたことは記憶に新しい。何と言っても、まだあれから2日しか経っていないのだから、忘れる方が難しいだろう。ランサーが慎重になるのも当然だった。
中から呻き声が聞こえた。むにゃむにゃと何やら反論めいた寝言に、ランサーは肩を竦めた。早くしなければ、凛に無能呼ばわりされてしまう。
ランサーが根気強く呼びかけ続けると、ようやく、中でもぞもぞと動きだす気配を感じた。しばらくして、まだ眼が半分寝ているギルガメッシュが、カーテンの間から顔を覗かせた。髪がぼさぼさだ。口端には涎の跡があった。
「やっと起きたか。早くしろ。言峰と凛が待ってんだよ。」
「うむ…大儀である…。」
のそのそと天蓋つきベッドから降り立つギルガメッシュは、いつもどおり、下着姿だ。際立った美少女の黄金比の肢体を前に、役得と思うべきなのだろうが、そう思うにはあまりにも関係が近すぎた。ランサーはまだ寝ぼけてふらつくギルガメッシュの身体を支えてやった。
「ほら、これで顔拭け。」
温かさを保っている濡れタオルを手渡し、ブラシで髪を梳いてやる。サイドのくせっ毛は、どれだけ櫛を入れても直しようがないことは、実証済みだ。ランサーは挑戦することもなく、くせっ毛を放置した。ギルガメッシュは不明瞭な文句を吐きながらも、ランサーのお節介に従順だ。顔を拭いた後、大きく欠伸を漏らすと、どこかとろんとしている眼を瞬かせながら、ランサーの用意した服を身につけていった。
「まだ眠いぞ、狗…。」
「飯食ってから寝ろ。あんまり凛を待たすんじゃねえよ。ほら、行くぞ。」
「むう…わかった…。」
不承不承頷くギルガメッシュの頭を優しく叩くと、ランサーはその手を引いて、寝室を後にした。
そういうわけで今朝がたまで、正確に言えば、14時間半前まで、ランサーとギルガメッシュの関係は、兄妹、家族、同類以上のなにものでもなかった。
その関係がそれだけで済まなくなったのは、全て、士郎のせいである。ギルガメッシュを自分のサーヴァントにしようと目論んだ士郎のせいで、ギルガメッシュと綺礼の契約に不具合が生じ、パスが正常に働かなくなった。そのため、凛の命令で、これで中々魔術に造形の深いランサーがパスの修復と魔力供給をしなければならなくなったのだ。つまり、セックスである。ランサーはギルガメッシュとセックスを強いられているのだ。
こんなまだるっこしい真似をせずとも、サーヴァント契約に綻びが生じたのならば、一度契約を解除し、再契約をすれば良いだけのようにも思えるのだが、その手段は使えないらしい。表面上は心底いかんそうに、しかし内心面白がっていることを隠そうともせず頭を振った綺礼の首をランサーは締め上げたかった。
ランサーの眼前で、天蓋つきベッドのカーテンは開閉を繰り返している。中にいるのは、当然のごとく、寝室の主ギルガメッシュだ。様子見で開けられたかと思えば、視線が合った途端、慌てて閉め切られるカーテンに、ランサーは辟易し始めていた。同時に、柄にもなく、不安でもあった。この1時間あまりの不審な言動から、ギルガメッシュが処女なのは明白だ。ランサーとしてみれば、任務とはいえ抱くのだから、どうせならばギルガメッシュを満足させてやりたかった。だが、処女を満足させられるのか、ランサーは大いに不安だった。
「お前、いい加減にしろよ…。」
ランサーは嘆息交じりにカーテンへ手をかけた。びくりと肩を震わせたギルガメッシュが後ずさる。ギルガメッシュはベビードール姿だった。扇情的な黒の下着を着用し、爪を真紅のネイルで彩ったギルガメッシュは、背伸びをして大人ぶっているようにも見える。ランサーには、重傷を負わされ、手篭めにされかけ、先ほどまで死にかけていたサーヴァントのする恰好とは到底思えなかった。凛の助言か、綺礼の仕業か定かではないが、悪趣味だ。
僅かに頬を紅潮させ、気まずそうに眼を逸らすギルガメッシュの姿に、ランサーは頭を抱えた。思いの外純情な素振りで可愛らしい態度を見せるお姫さまは、ランサーのタイプには程遠い。ランサーのタイプはどちらかといえば、凛のような肉食系のお姉さまだ。だが、空前絶後の美少女が自分を男として意識しているという今の状況は、ものすごく、そそった。それが、ギルガメッシュを不出来な妹のように捉えていたランサーには、はなはだ不満だった。
「お前、覚悟は…?」
「覚悟ならば疾うにできておる。」
羞恥に目を濡らしながらも、高慢そうに顎をつんと持ちあげるギルガメッシュに、ランサーは再び嘆息を吐いた。今度は、呆れからではなく、諦めからだった。ランサーには生前から守ると誓っている誓約(ゲッシュ)がいくつかあった。その筆頭は、手っ取り早く言うと「寝た女は死んでも守る」というものだ。どうやら、ランサーも腹をくくらねばならないらしい。
「そうか、わかった。なるべく優しくするが、後で文句言うなよ。」
言いながら、滑らかな頬に手を添えると、肯定するため頷いたギルガメッシュが強く瞼を閉じた。ランサーは誘われるまま、唇を重ねた。
まったく、今生で誰かとセックスするつもりなどなかったのに。それもこんな、身体はともかく精神が育ち切っていないようなお子さまと。
嘆いたところで、後の祭りだった。
翌日、最初に口を開いたのは、ランサーの懸念していたとおり、凛だった。その日ばかりはランサーの代わりに朝食を用意した凛は、それだけの報酬があってしかるべきだと思ったらしい。
「それで、どうだったの?ランサーは上手だった?」
身を乗り出してギルガメッシュに問いかけるマスターを、ランサーは牽制した。凛は詰らなさそうにランサーを一瞥したが、まだ夢見心地でほわほわしているギルガメッシュの態度からランサーの巧拙を推察したらしい。いつもどおりランサーに手を引かれて入って来たギルガメッシュの、いつもと異なり覚束ない足元も、思い出したのかもしれない。
「まあ、良いわ。なんとなくわかったし。」
ひどく可笑しがるような笑みを浮かべると、凛はあっさり身を引いた。しかし、ランサーはまだ安心できなかった。凛以上に性質の悪い綺礼が無言を貫いているのだ。不穏としか言いようがない。
固唾を飲むランサーの前で、綺礼はふっと微笑を浮かべて、ギルガメッシュを見やった。愛しいものを見る眼差しだった。思いがけず温かな視線にランサーが眼を見開いて驚きを表すよりも早く、綺礼は爆弾を投下した。
「見た限り、魔力の供給も円滑に済んだようだ。サーヴァント同士のセックスなど異例中の異例…そうだな、孕んだ場合は、私が子の洗礼を受けもとう。」
「…は?」
「ちょっと、何を言ってるのか説明してちょうだい。」
「言ったとおりだ。なぜ、サーヴァントが孕まないのかは理解しているだろう。限られた期間の召喚、霊体化、そして一番の壁は、霊格が同格でなければ精子を注がれたとしても魂が芽生えることもなく死滅してしまうことにある。だが、その壁が全てなければどうだ。受胎する可能性は十分あると思うがね。ギルガメッシュは全てをクリアしている。」
そこで、綺礼は、見せられたものが不安に苛まれるような人の悪い笑みを浮かべた。ランサーは眩暈がした。
「無論、一度限りとは言わない。孕むまでしてくれても良いのだが。ランサー、お前は不満か?」
ギルガメッシュを知ってしまった今、その言葉を否定できるだけの意志は、総動員したところで掻き集められそうにない。そのとき、返答を渋るランサーの代わりに、沈黙を守っていたギルガメッシュが口を開いた。
「のう、綺礼。それはつまり、その、……良いのか?」
ギルガメッシュの期待に輝く眼の奥に、欲望の影がちらついていた。ランサーは昨夜の出来事を思い返して、身を強張らせた。まさか、いつも怠惰に寝てばかりいる眼前の少女が、あんな娼婦さながらの痴態で乱れるとは、綺礼だとて思いもよらないだろう。ランサーにしても、実際に体験するまで想像できなかった。かっと熱を帯び始める下半身に、自己嫌悪から頭を抱えるランサーを一瞥した綺礼が、ギルガメッシュに問いかけた。
「良いも何も、私がお前の意志を妨げたことがあったかね?」
「…そういえば、そうだな。うむ!悦べ、クーフーリン。綺礼もこう言っている。我も嬉しいぞ。」
喜色満面の笑みを浮かべたギルガメッシュが、ランサーに照れたようにはにかんだ。ギルガメッシュが名を呼ぶのは、本当に気を許し、実力を認めた存在だけだ。ランサーはそれを知っていた。ランサーの胸は熱くなった。たかが任務に過ぎたる報酬だ。それだけで、ランサーは命を賭して誓約(ゲッシュ)を守ろうと思った。
「なんかつまんないわね、リア充爆発しろ。」
「そう言ってやるな、凛。」
そのとき、身に過ぎたる幸福を噛み締めるランサーは知る由もなかった。しかし、二人の関係を面白く思わない凛と、完全に面白がっている綺礼によって、幸運Eのランサーは翻弄され続けることになる。
初掲載 2012年5月20日