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 明るい日差しの下、男は郊外にある冬木教会を目指して歩いていた。とても機嫌が良さそうだ。男はスーツのポケットへ両手を突っ込んだまま、教会を取り囲む林を進んで行った。
 男の記憶が違えていなければ、“お姫様”は日課の贄に餌をやる仕事を終えて、聖堂で聖歌をハミングしている時間だ。光が差さない闇の中で、どれほどあの歌声に惹かれたことだろう。
 「ここに来るのも久しぶりだなあ。」
 辿り着いた教会を見上げ、感慨深そうに男が漏らす。教会の地下で贄として育てられた男が、地下を脱してから、実に久しぶりの帰還だった。
 閉ざされた聖堂の隙間から、微かにハミングが漏れ出て来る。
 男は満足そうに頬を緩めると、聖堂の扉へ手をかけた。古い木材の扉が開く軋む音に、彼女の歌声がぱたりと止む。男はそれを残念だと思った。これまでの8年を埋めるべく、もっと、彼女の声が聞きたかったのに。
 「アーチャー、会いに来たよ。」
 陽光を背に負う男の姿は影になり、アーチャーからは見えない。目を眇めて見定めようとするアーチャーへ、男はにっこり笑いかけた。アーチャーは少し警戒しているようだ。そういえば、外に逃げてからアーチャーと会うのはこれでようやく二度目だった。男は笑みを深くした。警戒する必要などないのに。だってこれは、アーチャーにとって、運命の王子様の帰還だ。
 泰然自若と構えるアーチャーに、男はゆっくり近づいていった。
 『なあっ、あのさあ…っ。きみの名前、何て言うんだ?』
 あのとき、外に出たばかりで世事に疎い男にはあれが精一杯だった。自己弁護になるが、8年も闇の中で生きていたら、仕方がないと思う。その直後振りかかった災難のせいで、残念ながら、愛しの彼女と親交を深める機会もなかった。
 あれから、男は必死に知識を埋め、相応の立ち振る舞いを身につけ、立派な“正義の味方”になった。あのとき恋人たちの逢瀬の邪魔をした無粋なサーヴァントは、足止めしてある。今回、男の邪魔をするものはいない。
 「久しぶり、元気だったか?あっ、訊くまでもなかったな、元気そうで良かった。」
 「貴様は…、」
 「俺?まあ、俺も元気かな。」
 「違う。貴様は、何者だ?」
 「ああ、ごめん。そういえば、肝心の名前を言ってなかったな。俺は士郎。きみの王子様だよ。」
 微笑を湛えて手を差し出す士郎に、思わず後ずさるアーチャーの踵が説教台にぶつかる。小さく舌打ちをこぼすアーチャーを、士郎は朗らかに窘めた。
 「駄目だろ、女の子が舌打ちなんかしちゃ。そんなとこも可愛いけど。」
 士郎の発言が、アーチャーには不可解だったらしい。真意を見定めようと細められた目は、鮮やかな血色をしている。士郎は幸せに胸を焦がした。この生の営みの色を持つ美しいひとが、自分の伴侶なのだ。
 士郎は壁に手をつき、アーチャーを腕の囲いに閉じ込めた。
 「やっぱり正義の味方にはヒロインが必要だろ?でも、あんまりオイタがすぎるようだったら、やっぱり俺が窘めてやらないといけないと思うんだ。」
 「貴様は何を言っている…?」
 士郎には、眉をひそめたアーチャーの中で、警戒と好奇が目まぐるしく入れ替わるさまが簡単に見て取れた。王の中の王は、この状況を劣勢とも思っていないようだった。常に余裕を崩さないアーチャーの気位の高さは好ましいが、軽率は話が別だ。これでは、どこの馬の骨に足元をすくいとられるかわかったものではない。士郎は危惧を覚えた。まだ、士郎が四六時中傍に付いてやれるわけではないのだ。自分の身は自分で守ってもらわなければ。
 「きみも早く正義に目覚めて、俺に安心させてくれれば良いんだけど。」
 士郎の冷たい声色に、アーチャーが身を引いて“黄金の京”を開こうとする。だが、士郎の方が早かった。士郎はアーチャーの手首を掴み、勢い良く床へ押し倒した。手から離れた“黄金の京”の鍵が、床を滑っていく。
 「あぐっ…!」
 衝撃に息を詰まらせたアーチャーが激しく咽た。
 宝具頼みの戦闘を繰り広げるアーチャーの身体能力は、それほど高くない。人間である士郎ですら制することができるレベルだ。
 士郎は冷めた目で見下ろしながら、咳き込むアーチャーに跨り、修道女服へ手をかけた。厚手の布は上等な代物らしく、アーチャーの柔肌に食い込んだ。手で破ることが困難だと悟った士郎は空中から干将を取り出した。首元から胸元へ差し込まれた刃の冷たさに、アーチャーの身が強張る。
 「大丈夫、きみを傷つけるつもりはないから。」
 士郎は安堵させるための笑みを浮かべ、逆手に握り締めた干将で、十字架ごとアーチャーの服をへそ下まで一気に引き裂いた。十字架が弾け飛び、無理矢理曝け出された肌に、アーチャーの頬へ赤味が差す。咄嗟に胸元を覆い隠そうとするアーチャーの手を掴み、頭上でまとめると、士郎はアーチャーの白い首にキスをした。
 「可愛い下着だな、すごく良く似合ってる。やっぱり女の子はこうじゃないと駄目だよな。」
 士郎の手がフリルのあしらわれたブラジャーに触れる。アーチャーは羞恥に眦を吊り上げたが、ここで士郎を刺激することは得策ではないと断念したのか、開きかけた唇を噛み締めた。“黄金の京”の鍵が手元を離れてしまった今、アーチャーにはランサーの到着を待つことしかできない。初めて、アーチャーは心の底から女の身を恨めしく思った。
 士郎が困ったように微笑んだ。
 「ごめん、俺も本意じゃないんだけど、初めてで良くわからないからさ。」
 胸の谷間に差し込まれた冷たい金属の感触に、アーチャーの肝が冷える。ぶつんと音を立てて、ブラジャーが切断された。乳房を晒され、屈辱に歪められたアーチャーの美貌にキスの雨を降らせながら、士郎が快活に笑った。
 「なるべく優しくするつもりだから、手を焼かせないでくれよ。」


 敵の追撃をかわし、ランサーは一心不乱に冬木教会を目指していた。過度な運動に肺が焼けつくように痛む。だが、ランサーは立ち止らなかった。
 以前、アーチャーに名を尋ねていたあのスーツ姿の男。名を士郎と言ったか。ランサーは歯軋りした。士郎が何者なのか、ランサーは知らない。しかし、今日、あの男の掌で踊らされたのは事実だ。士郎の目的はアーチャーだろう。それがわかるからこそ、ランサーは走るしかなかった。
 教会はいつもどおり静寂に満ちていた。ランサーは勢い良く聖堂の扉を開いた。
 「アーチャー、無事か…!」
 何を慌てておる、煩いぞ狗。
 いつもどおり不機嫌にたしなめられて、肩すかしを喰らうことができればどれだけ良かったことか。
 薄暗い聖堂内には、小さな嗚咽が響いていた。白い足の間に身を任せていた士郎が、ゆっくりと後背を振り返った。呆然と立ち尽くすランサーにむかって言う。
 「……何だ、思ったより早かったな。もうちょっと時間がかかるかと思ったのに。」
 士郎はいまだ中に埋めていたものを取り出すと、労うようにアーチャーへ最後のキスをした。
 「また会いに来るよ、俺のお姫様。」
 アーチャーは答えない。ただ、まるでただの“女”のように身を震わせて泣きじゃくっている。返事をしないアーチャーに、士郎は困ったように肩を竦めると、聖堂入口へ向かって歩き出した。
 士郎が通り過ぎ去ろうとしてようやく、ランサーは衝撃から我に返った。
 「てっめえ……ッ!ふざけやがって、ただで帰れると思ってんのか!」
 胸倉を掴みあげるランサーを、士郎が嘲笑った。
 「勿論、帰れる。正義の味方は無事帰還するものだって、知らないのか?それに、キャスター相手に消耗しきったきみじゃ、俺には勝てないよ。」
 ランサーは呻き声を上げた。士郎が言うとおりだったからだ。士郎は悔しさから歯噛みするランサーの手を振り払うと、ゆったりした歩調で再び歩き出した。
 ランサーはその後ろ姿を睨みつけていたが、やがて見えなくなると、アーチャーの許へ駆け寄った。
 アーチャーは交差させた両手で目元を覆い隠し、泣きじゃくっていた。散々、良いように嬲られたのだろう。アーチャーの身体にはあちこちに手の形をした痣があり、鬱血の痕があり、白濁が付着していた。脚の付け根からは、大量に吐き出された浅ましい欲が、白い太腿を伝って流れ落ちていた。
 そんなアーチャーを前にして、ランサーは何と声をかけるべきかわからなかった。肝心の姫の危機に間に合わない騎士など、言語道断だ。自己嫌悪から唇を噛み締めたランサーは、引き裂かれた修道女服の胸元を掻き寄せ、アーチャーの素肌を隠した。涙に濡れた頬に手を当てて、嘆願のように愚痴をこぼす。
 「おいおい…、いつもの威勢はどうしたんだよ。」
 嗚咽を漏らしながら身を震わせているアーチャーを、衝動のままランサーは掻き抱いた。
 「これじゃまるで俺が弱い者苛めでもしているみたいじゃねえか。…なあ、アーチャー?」
 宥めるように背を撫ぜるランサーの背へ、アーチャーの腕が躊躇いがちに回される。しばらくしてから、アーチャーが囁いた。
 「……喜べ、駄犬。我の背中を預けることを許す。次は、間に合えよ。」
 その声からは、涙の跡など消えている。深く頷いたランサーは、駄犬呼ばわりに文句も漏らさず、アーチャーを抱き締めながら敵のことを思っていた。
 戦いの最中に、罪悪を感じる必要などない。いつか、綾香に告げた言葉だ。
 だが、今は何にもまして、ランサーはアーチャーを守りきれなかった事実に対して罪悪を感じられるのだった。











初掲載 2012年4月8日