Crossing on the red light 第三話 (発売前)   現代パラレル


 PM02:46
 
 「私が思うに、あいつは異常だ。」
 第一声、ルシフェルは受話器越しに吐き捨てた。
 場所はマンションの自室。ルシフェルは受験勉強に励むという建前で、部屋に籠城していたが、机上に投げ出されたテキストが手をつけられる気配は一向にない。今更知識を詰め込まなくとも、ルシフェルには推薦枠で合格する自信があった。それ以上に、募る怒りのあまり、勉強できるような気分でもなかった。
 『…また何ですか、藪から棒に。』
 呆れ交じりの従兄弟の問いかけは、僅かに面白がるような色を含んでいる。誰が?と問われなかったのは、この数カ月に亘ってルシフェルが、特定の人物の話題しか振らなかったからだろう。
 ルシフェルにとって、大学生のサリエルは兄のような存在で、何でも腹蔵なく話すことができた。共同生活を送る問題の副担任との一件は、これまでの経緯に明るいこともあって、尚更相談しやすかった。
 先を促す沈黙に、ルシフェルは腹立ち紛れに罵った。
 「あいつときたら、まだ手を出そうとしない。」
 『それは、今回に限ったことではないでしょう。』
 サリエルの後方から届く雑音に、ルシフェルは柳眉を吊り上げた。
 サリエルは恋愛を尊び、愛情を傾けている。その情熱は異常な程だ。大学でも愛を主眼にギリシャ哲学を専攻し、鞄の中へ常に敬愛するアリストテレスの『ニコマコス倫理学』を忍び込ませている従兄弟は、恋人を大量生産する術に長け、ルシフェルには理解し得ないことに、今やハーレムを作り上げていた。寵愛者と呼ばれる彼女らの間で、痴話喧嘩やサリエルの取り合いは存在し得ない。何故ならば、サリエルは惜しみなく愛し、愛されたからだ。
 その従兄弟は、今日も寵愛者の一人と仲睦まじくいちゃついていたらしい。リア充爆発しろ。心底忌々しそうに通話口を睨みつけ、ルシフェルは現状を説明した。
 「やはり、きみの言うとおりだったよ。私とあいつは最後までしていなかった。それで、仕切り直しをしようと約束したのが――先週のことだ。」
 自然とルシフェルの口から舌打ちがこぼれた。思い返すだけで腸煮えくり返る。
 さあ召し上がれ、と両手を差し伸べたルシフェルを、あろうことかイーノックは拒絶したのだ。あれほどもの欲しそうな眼差しを向けておいて、何を今更躊躇しているんだ。いきり立ち問いかければ、イーノックは眉尻を下げた。愛しているからこそ卒業まで云々という口幅ったい主張を端的にすると、「教え子の処女は奪うに忍びない。」とのこと。
 その後、一週間。幾度かの誘惑を試み、数多の挫折を経て、今やルシフェルのプライドはずたずただった。
 「サリエル、そこできみに頼みがある。」
 『………何です?』
 従兄弟が警戒心を覗かせた。伊達に長い付き合いではない。このようなときルシフェルがどのような行動に出るか、サリエルは知っている。ルシフェルは声を上げて笑った。
 「これ以上は時間の無駄だ。あいつが重いと言うなら、処女なんてさっさと捨ててやるさ。それから、改めて誘惑は遂行する。」
 飲酒も喫煙も、ルシフェルに仕込んだのはサリエルだったが、流石にセックスも教授を乞おうとは思わない。数か月前までのルシフェルならば、それでも良かった。しかし、イーノックと知り合った今となっては、別だ。下手に関わりがある男よりも、後腐れない方が良い。
 このまま負けて堪るか、一矢報いてやる。ルシフェルの唇に凄惨な笑みが浮かんだ。
 「だから、サリエル。私が処女をくれてやるに足る、一番良い男を紹介してくれないか?」
 イーノックにも伝えてあったが、ルシフェルは待たされることが嫌いだ。最早、我慢は限界だった。


 PM07:28
 
 それから数時間後。ルシフェルは件のスポーツバーに程近い、ジャズバーにいた。
 鞄の中で、マナーモードに切り替えた携帯が震えている。この1時間で、一体、何度目の連絡だろう。ルシフェルは鞄の中の携帯へ手を伸ばした。
 1時間前、ルシフェルは今夜帰らない旨を同居人へメールした。共同生活始まって以来の外泊だ。イーノックはさぞ不思議がることだろうと思い、わざわざ、ルシフェルから連絡を取ったのだった。帰宅が遅い件でやきもきさせるのが、今回の目的ではない。
 ルシフェルが目論んだ通り、イーノックは理由を知りたがった。勿論、ルシフェルは正直に返信した。
 『きみがもらってくれないなら、他のやつにくれてやることにしたんだ。きみだって、私が処女でさえなければ、手を出すのを躊躇ったりしないだろう?昼すぎには帰るよ。戸締りと火元には気をつけて。きみも良い夜を。』
 そして、連絡を絶った。5通目を無視したところで、メールでは埒が明かないと理解したのか、イーノックの攻勢は電話に移っていた。コールが止む気配がない。
 「出なくて良いんですか?」
 「ああ。大丈夫だ、問題ない。」
 ルシフェルは発信者がイーノックであることを確認すると、意地の悪い笑みを浮かべて、電源を切った。隣からサリエルの同情めいた嘆息が聞こえ、ルシフェルは心外だと片眉を上げてみせた。ルシフェルに非はない。万が一、ルシフェルに非があるとしても、それはイーノックの罪で十分に相殺されるレベルだろう。
 今日、ルシフェルはサリエルの助言に従って、女物の衣服をまとっていた。外見が男性寄りのルシフェルにとって、稀有な恰好だ。だが、目的を考慮すれば、この装いこそが最良の選択だった。
 地声が低いので、ニューハーフの女装姿のように違和感が生じるかと懸念もあったが、美容室勤めの寵愛者の手を借りて、メイクやヘアアレンジに努めた結果、ルシフェルは驚くほど「女」めいて見えた。確かに、女にしては上背がありすぎた。しかし、そのような些事が問題にならないほど、今夜のルシフェルは艶めかしく、美しかった。
 サリエルが用意した候補は5人。いずれも、サリエルの一押しだという。
 合コンという形態に則り、ルシフェルは甘ったるい笑みを振りまいた。正直、興味もない男たちの相手を務めるのはストレスだったが、あくまでも、ルシフェルの態度は恭順だ。巧いことお持ち帰りされるのが目的なのだから、素を曝け出すなどという失態を犯そうはずもない。ぼろが出ると拙いので、極力、飲酒も控えた。酒を過ごしたせいで、判断を過ちたくはない。
 品定めに勤しむルシフェルの隣で、携帯が鳴った。寵愛者からだろう。
 彼女たち寵愛者は実に温和な性格で、サリエルを取り合うような醜い真似をしたりしない。サリエルが哀しむからだ。しかし、仲間以外の同性に対しては、相応に嫉妬したりもする。それがまた愛らしい、とサリエルが頬を緩めて惚気る事実を知っているので、ルシフェルは敢えて興味を示そうとは思わなかった。
 「俺は少し席を外しますが、大丈夫ですか?」
 小声で問いかけて来るサリエルに、ルシフェルは頷いた。
 「大丈夫に決まっている。」
 実を言うと、まったくの虚偽だった。前列に居並ぶ男たちを用意してくれたサリエルには悪いが、ルシフェルの目には、イーノックとの相似しか快く映らないのだから、目的を果たせるのかどうかさえ怪しいものだ。
 プロのサッカー選手だという男の日に焼けた筋肉質な身体。アメリカからやって来た留学生の色の濃い金髪。サリエルと同ゼミに属するという優男の柔らかな気遣い。バンドマンの熱っぽい眼差しに、教育学部生の説明するような語り口。
 それら好ましいと思えた類似点も、イーノックのオリジナルに比べれば、何もかもが見劣りして見えた。何より、一番の問題は、彼らがイーノックではないことだった。
 相手が自分に好意を寄せてくれているのは、わかった。妥協して彼らを選べば、処女を失くすことはできるだろう。だが、その後は?ルシフェルが処女を捨てたからといって、イーノックが抱いてくれるとは限らない。誰にでも足を開くのだと誤解されて、かえって遠ざけられたら、立ち直れそうになかった。
 そこでようやく、検討してしかるべき問題点に気付き、ルシフェルの笑顔は強張った。潔癖なクリスチャンであるイーノックが、他の男と寝たルシフェルを許すものだろうか。ひくりと頬が引き攣った。もしかすると自分は怒りに駆られて、大変拙いことを仕出かしてしまったかもしれない。
 「あれ、ルシフェルちゃん。顔色悪いけど、大丈夫?」
 「あ、ああ。勿論。大丈夫だ、」
 問題ない、と返そうとして、横から伸びた手に手首を掴まれる。ルシフェルが驚いて視線を向ければ、そこには、イーノックが立っていた。


 PM09:12
 
 状況が把握できない。存在するはずのない男の姿に、ルシフェルは動転していた。容赦なく握り締められた手首が痛い。力加減を忘れるほど、イーノックは怒り心頭に来ているらしかった。強く手を引かれる。ルシフェルはよろけつつ、慌てて立ち上がった。
 「ちょ、ちょっと待ってくれ。話し合おう。」
 これでは、あんまりではないか。ルシフェルの悲鳴にも、イーノックは僅かに目を眇めてみせただけだ。こちらの立場など、知ったことではないと云うことか。
 周囲は、突然始まった騒動に目を丸くした。しかし、合コンでは比較的ありふれた類の光景であったらしい。痴話喧嘩に違いないと当たりをつけた彼らは、何事もなかったかのような顔つきで、談笑へと戻った。男性の内、幾人かはルシフェルに物欲しそうな恨めしそうな視線を寄越したが、それだけで、強いて引き留めようとしなかった。恐らく、イーノックが怖かったのだろう。
 こんな意気地のない奴らを初めての男に選ぼうとしていたとは。ルシフェルは自らの愚行を振り返り、羞恥と憤怒に顔を赤らめた。こうなれば、男たちには期待できない。他に、誰か、自分に味方してくれるものはいないだろうか。ルシフェルは目を輝かせた。そうだ、サリエルがいるはずだ。
 店入口まで連行される最中、ルシフェルは手の拘束を振り解こうと必死で抗いながら、従兄弟の姿を周辺に探した。それが無駄な努力だったと悟ったのは、5秒後のことだ。
 「ああ、ちゃんと見付けられたんですか。それは良かった。合コンの主催者としては、まさか、メインを連れ去るのに一緒について行くわけにもいかなかったのでね。」
 「サリエル、お前、裏切ったのか!」
 非難を浴びせるルシフェルに、サリエルは無責任な笑い声を漏らした。
 「責任転嫁しないでください。俺に、処女を捧げるに足る一番良い男を頼んだのはあなたですよ。あなたの一番は彼でしょう?では、良い夜を。」
 そう言って、どこ吹く風で手を振って見送る従兄弟を、ルシフェルは本気で悪魔だと思った。どうやって、良い夜を過ごせというのか。眼前のイーノックは不気味な沈黙を守っている。ルシフェルは初めて、イーノックに恐怖を覚えた。
 イーノックに手を引かれるまま、繁華街を歩いていく。履き慣れないパンプスのせいで、足元が覚束ず、ともすれば躓きそうになったが、イーノックが気にかけてくれる気配はない。ルシフェルは必死で目の前の背を追いかけた。
 「いい加減、離してくれ。こんな状況で、どうすれば逃げられると言うんだ?」
 返事はない。ルシフェルは嘆息した。これも自分が拱いた状況なのだから諦めるよう諭す内なる声がある一方で、理不尽だと声高にイーノックを糾弾する声もある。ルシフェルは、どの声に従えば良いのか判断がつかなかった。
 やがて到着したのは、ビジネスホテルだった。ルシフェルがイーノックと初めて夜を過ごした場所だ。
 思惑を計りかね、目を丸くするルシフェルの前で、イーノックが手早くチェックインを済ませた。そのまま部屋へ押し込まれ、性急にベッドへ押し倒された。
 「イ、イーノック…?!」
 動揺して呼びかけるが、それでも返事はない。固唾を呑むルシフェルの前で、イーノックがTシャツを脱ぎ捨てた。男ならば誰もが望んでやまないような、引き締まった肉体美が露わになり、視線が釘付けになる。その熱視線に気付いたイーノックが、口端に笑みらしきものを湛え、ようやく重い口を開いた。
 「ルシフェル。あなたが望むとおり、仕切り直しをしよう。」
 ぎしり、とジーンズに覆われた膝がベッドにかかった。イーノックが優しい手付きで頬を撫ぜてくるが、生憎、目が笑っていない。ルシフェルはイーノックの怒りに、身を竦めて怯えた。鼓動が早鐘のように鳴り響いている。思わず目を瞑るルシフェルの唇へ、宥めるキスが落とされた。
 「今夜は怖いと泣かれても、止められそうにないな。」
 ルシフェルの太腿に手を這わせながら、イーノックが苦笑をこぼした。その発言に恐る恐る開いた目が自然と、イーノックの股間へ向かってしまう。ジーンズ越しにもわかる、大きさ。今更ながら、あんな巨大なものを受け入れられるとは思えず、ルシフェルは改めて視線を泳がせた。
 そんなルシフェルの様子に、イーノックは快活に笑って圧し掛かって来た。思いの外早く、怒りは拡散したらしい。
 噛み付くようなキスをされて、ふるりと睫毛が揺れる。それが未知なる体験への恐怖というより、快楽への期待によるものであると自覚して、ルシフェルは愛する男の首へ腕を巻き付け、先を強請った。


 AM08:11
 
 呼びかけられるまで、泥のように眠っていた。
 「ルシフェル、そろそろチェックアウトの時刻なんだが、起きれそうか?」
 ゆるりと頬をなぞられ、ルシフェルは長い睫毛を瞬かせた。身体がだるい。重い。一体、何があったのだろう。頭はまだ眠さで朦朧としている。それでも、幸せな雰囲気にまどろみ、その手へ頬を擦り寄せると、嬉しそうな笑い声が響いて抱き寄せられた。ちゅっと音を立てて、キスを落とされる。
 「ルシフェル。なあ、起きてくれ、ルシフェル。」
 間断なく襲い来るキスの嵐に、ルシフェルは顔をしかめた。まったく、何事だろう。煩わしい。そう何度もぺたぺた触ってくるな、まだまどろみたいのに目が覚めてしまうではないか。うーとささやかな抵抗を示して手を振り上げれば、嬉しそうに、掌へキスされ、犬のように舐められる。何だ、この状況は。
 仕方なしに、ルシフェルは重い眼を開いた。乾いた涙がこびりついた眦が、僅かに痛む。一体、何があったのだろう。ああ、もう、わからない。混迷は深まるばかりだ。だが、視界いっぱいの満面の笑みを見て、ルシフェルの低血圧にようやく記憶が追いついた。
 「おはよう、私の可愛いねぼすけさん。」
 止めのキスをされて、ルシフェルは嘆息した。すっかり寝ぼけていた。そういえば昨夜は、イーノックの協力の下、念願を果たしたのだ。足の付け根は、数ヶ月前など比にならない鈍痛を覚えている。身体も重い。時間さえ許すならば、泥のように眠りに落ちたかった。
 ルシフェルが寝不足と疲労で腫れぼったい瞼をこすっていると、甲斐甲斐しくイーノックが世話を焼いてきた。ひどく嬉しそうだ。キャミソールを着させられて、スカートをはかされた。先程までルシフェルの下敷きになっていたそれらは、しわだらけで、目の毒だ。
 「すまない。脱がせ方ならわかったんだが、これで大丈夫か?」
 着せ替え人形よろしく女物一式を着用させると、イーノックは自信たっぷりに、どや顔してみせた。ルシフェルはうろたえた。散々「待て」をさせられた末にようやくご飯にありついた大型犬を彷彿とさせるそんな姿を見せられると、何も言えない。本心を言えば、少しだけで良い、ルシフェルの身になって考えて欲しかった。しわくちゃのスカートに乱れきったキャミソールをまとってホテルから出てきたら、何があったのか、想像を働かせる余地などないだろう。知人に見られたらどうするつもりだ。この馬鹿犬。
 だが、勿論ルシフェルには、褒めて欲しいと尻尾を振って待機する犬を叱ることなどできなかった。帰宅までの我慢だと自分に言い聞かせ、捨て鉢な気分で、ルシフェルはイーノックへ謝意のキスをした。床に落ちているストッキングは、帰り際に回収するとしよう。「女」らしく見せるために寵愛者から借りた補正下着はどこに、とルシフェルは室内を見回した結果、頭を抱えた。これは、駄目だ。何と言うか、駄目だ。洗濯すれば、許してもらえるだろうか。いや、仮に許してもらえるとしても、ルシフェルが許せそうになかった。こんなもの返却できない。新しいものを購入して、返すこととしよう。
 「さあ、帰ろう。」
 犬がにっこり笑って、キスし返してきた。ルシフェルは諦めまじりに首肯した。もう、好きにしてくれ。
 フロントへ向かう狭苦しいエレベーターの中で、ルシフェルはぼんやりとイーノックを見詰めていた。未知なる経験に挑んだ身体はひどくだるかったが、何だか心はふわふわして、取り留めない幸福で満たされていた。今なら、素直に、イーノックを愛していると思えた。
 そこで、ルシフェルはふとある事実に気付き、イーノックの手を引いた。
 「そういえば、なあ、イーノック。私は言っただろうか。」
 「何だ?」
 そっと躊躇いがちに繋いだ手を、イーノックが強く握り返してくる。逃がさないと宣言されているようでもあるし、放したくないと意志表明されているようでもある。ルシフェルは小さく笑って、イーノックの肩へ手をついた。
 「きみを愛しているよ。」
 少しだけ爪先立ちして、その眉間にキスをする。
 ちん、と軽い音を立てて、エレベーターが1階についた。良かった。ルシフェルは胸をなでおろして、繋いだ手を離した。もう少し遅かったら、他人に見られていた。イーノックには悪いが、人前で恋人らしいことをするには、まだ腹を括るだけの時間が必要だ。ルシフェルはチェックアウトを済ませるべく、イーノックの手から部屋札を取り上げると、フロントへと向かった。
 そのとき、肩に手をかけられ、イーノックに札を奪い取られた。どうも、ホテルの支払いは自分が持ちたいらしい。イーノックの態度は、まるで支払いが男の沽券に関わる問題だと確信しているかのようだった。ルシフェルは肩を竦め、足取りを緩めた。時間ならまだたっぷりある、好きにすれば良いさ。
 追い抜きざまに、イーノックが呟いた。
 「早く帰ろう。そんな嬉しいことを言われてしまったら、また、あなたを愛したくてたまらなくなってきた。…大丈夫か?」
 表情は窺えないが、その耳は赤く火照っている。ルシフェルは瞬きした。イーノックの熱が燃え移ったように、顔が熱くなってきた。羞恥のあまり、膝を抱え座り込んでしまいたくなった。しかし、本心を隠す術に長けたルシフェルは、表面上だけでも、人を食った笑みを浮かべてみせた。
 「ふっへへ。勿論、喜んで付き合うとも。何度でも。」
 予想していたことではあるが、すでに、人の話を聞く習慣のないイーノックは足早にフロントへと向かっていた。ルシフェルは笑った。どうやら相手はもうやる気満々らしい。昨夜あれだけやったのにまだ足りないとは、素晴らしい精力だ。そこで堪え切れず欠伸が漏れて、ルシフェルは口を覆い隠した。
 「まあ、私の体力が持つ限りは、だがね。」
 引き返して来たら、猪突猛進する同居人に一言言ってやろう。人の話には耳を傾けるべきだと。とはいえ、体力が回復した後までイーノックの相手を拒むつもりはない。ルシフェルは幸福に顔を綻ばせた。今から、イーノックに愛される夜が楽しみだった。











初掲載 2011年2月9日