涙の意味を知っているか   ※死にネタ


 久しぶりに天界へ帰ったルシフェルは、ポケットに両手を突っ込み、神の創り上げた庭園を散策していた。永遠を約束された白い花々が、白い木立が、神の望む以上の静謐を織り成している。
 本来であれば、彼に管理を委ねられていたはずの庭園は、管理者を失い、どこか色彩を欠いていた。白いばかりの庭園に色彩を求めるなど愚かな話かもしれないが、ルシフェルにはそう感じられた。まるで、彼の死を悼むように静まり返っている。
 絶え間なく足を進めながら、ルシフェルは、いつか、自らがイーノックへかけた言葉を思い出していた。もしかすると、彼に地上への強い憧れを植え付けたイーノックの説得であれば、彼は考えを改めたのかもしれなかった。あるいは、神やミカエルが嘆息したように、彼の人間的な愛を一身に受けるルシフェルの慰留があれば、諦めたのかもしれなかった。だが、イーノックは彼の決断を受け入れたし、また、ルシフェルも口を出さなかった。自らの手を飛び立った鳥などに、興味はなかったのだ。ルシフェルは、自身へまったき忠愛を捧げる者を好んだ。自ら立ち去った者など、惜しむはずもない。
 やがて、ルシフェルは、全知を許された白い巨木に辿り着いた。いずれかの時代に、ユグドラシルと名付けられることになる樹は、白い葉を揺らして、ルシフェルの訪問を受け入れた。ルシフェルは、無自覚のうちに寂寥を湛えた微笑を浮かべ、右手を宙へ掲げた。
 正直な話、彼が堕天しようと堕天しまいと、ルシフェルにはどうでも良かったのだ。神やミカエルが言うように、本当に彼の「選択」が気にかかるのであれば、ルシフェルは指を鳴らし、時間を巻き戻すだけで良かったのだから。
 そう、今のように。


 巨木の根元では、かつてのように、彼が寝ていた。また、イーノックの語る地上へ憧憬を募らせて、眠りに就いたのだろう。彼はよくそうして、この樹の下で夢を見ていた。彼以上に人間をよく見知っているルシフェルに言わせれば、彼はまるで、恋をしたようだった。永劫、叶うべきではない愚かしい恋だ。
 人魚姫。
 不意に、ルシフェルの頭へ人間の作り上げた童話が呼び起こされた。姫、というにはあまりにも体格に優れているが、彼が叶わぬ夢を見ているという点では、正しく、その童話は相応しかった。まったく、愚かしい。ルシフェルは自らの短絡思考に溜め息をこぼして、彼のだらしなく伸ばされた長い脚を蹴りつけた。
 「おい、起きろ。庭の管理はどうした。」
 軽い衝撃に、彼は肩をびくつかせて、閉ざしていた瞼を開けた。幾度か瞬きし、動揺と眠気が晴れるに連れて、その目は溢れんばかりの歓喜に輝いた。
 「ルシフェル!」
 「与えられた仕事すら満足にできないとは、な。」
 ルシフェルが予定調和のように叱りつければ、彼はその諌めを真摯に受け止め、申し訳なさそうに眉尻を下げた。目には、哀しみが色濃く浮かんでいる。ルシフェルは笑った。彼は、本当に、感情豊かだ。それは、さしものルシフェルも憐憫を覚えるほどだった。感情を覚えるべきでない天使にしては、彼は、あまりに多くの感情を心に溜め込んでしまった。
 その責任の一端は、ルシフェルにあったのだが。
 ジーンズのポケットに両手を突っ込んだまま、見下ろすルシフェルに焦れたのか、彼がシャツの裾をくいと引いた。遠慮がちな仕草に微笑して少しだけ身を屈めてやれば、彼ははにかんで、ルシフェルを抱き寄せた。
 頬へ添えられた大きな掌は、体温を備えたかのように熱かった。細く長い指が、労わるようにルシフェルの耳の外形をなぞった。僅かな思慮を覗かせる瞳は、熱情に浮かされ始めている。
 いつからだろう。ルシフェルは、目で許しを乞う彼へ、触れるだけの口付けをした。一体何が原因で、彼に抱かれようという気になったのか。そもそも、ルシフェルは、彼に自分を与えるようになった原初の「切欠」すら覚えていなかった。あれは、気紛れからだったろうか?それとも、人間に憧れを抱く彼への情けから?思い返すには、あまりに、何度も「切欠」を繰り返し過ぎた。内、幾度かは、彼を断念させるためにやり直した気がするが、ルシフェルの記憶違いかもしれない。何にせよ、ルシフェルは戯れるようにして、彼へ自分を与えた。ルシフェルの味を知ってしまった彼は、もう、元居た場所へは帰れなかった。
 そっとルシフェルの唇が離れた瞬間、彼の肉厚な口が覆いかぶさって来た。貪るキスは、獰猛で稚拙で、ルシフェルの彼へ対する愛情を刺激した。このキスされている瞬間、ルシフェルは何でも彼へ許してやりたい衝動に駆られる。今日も、そうだった。留守がちな手を掴み、誘導すると、許可を与えられた彼は躊躇いがちにルシフェルの肌へ手を這わせた。やがてその手は、ルシフェルの緩めのジーンズをずり下げ、剥き出しの尻を揉みしだいた。
 ルシフェルは樹の幹へもたれかかる彼に圧し掛かるようにして、舌を絡めるキスに荒い息を吐きながら、彼のローブを肌蹴て、よく引き締まった腹部へ跨った。無意識のうちに女の気分となり、濡れ始めている自分に気付いても、浅ましさや呆れより期待が募った。
 とろつく入口周辺へ勃ち上がりかけたモノを擦りつければ、キスの合間に、彼が喘ぎ交じりの呻き声を漏らす。ルシフェルは、それが愉快でならない。これから犯されるのに、犯す感覚。自由に貪られながらも、蹂躙する感じ。もしかすると、ルシフェルが過去の彼を何度も訪問し、何度も勝手を許すのは、それが原因かもしれなかった。
 息を荒げながら、彼が唇を離し、ルシフェルの首筋へぬるつく熱い舌を這わせた。熱心に肌に吸い付かれ、紅い所有印を残されると、それだけでルシフェルはいってしまいそうになる。柔く噛みつかれた拍子に、背筋へ痺れが走り、腰がふらついた。座り込み、踏み付ける形になった彼の大きなモノは、先走りでしとどに濡れ、よく滑った。入口と肉芽を立て続けに刺激され、思わず仰け反るルシフェルに、彼はふっと嬉しそうに頬を緩め、膨らみに欠ける乳房へむしゃぶりついた。
 挿れられてもいない内から、甘い絶頂が緩慢に起こり、濡れてしまう。いつの間に、こんなに淫乱になったのだろう。土塊の身体を持たないはずなのに、こんなにも肉欲に従順な自分に、いつも、ルシフェルは驚きを禁じ得ない。神によって閉ざされた箱庭で純粋培養された、彼のルシフェルに対する愛情が、感じやすくさせているのかもしれなかった。早く。我慢しきれず、先を望んで、腰が揺れてしまう。急かし、彼の性器に自分のモノを擦りつけるルシフェルに、彼は場違いにもはにかんで、あの、真摯な親愛の情からなるキスを落とした。
 ゆっくりと体を繋げていく。彼に引き寄せられているのか、自ら腰を落としているのか。夢中になってキスを交わす今となっては、判別などできない。全て入りきった瞬間、ルシフェルは再度訪れた絶頂に身を震わせ、いっぱいに納まる彼のモノを締め付けた。ぶるぶると悦びに浸るルシフェルに、彼は耐えきれなくなったように、あちこちにキスの雨を降らせる。いつも、彼は、ルシフェルの歓びを自らの歓びと見做し、最優先させる。その想いは、神へ対するもののように純粋で、善なるものとして扱われている。ルシフェルはそれほどまでに自分を敬愛する彼が、愛おしくて仕方なかった。
 やがて、ルシフェルの痙攣が治まり、快楽に蕩けきった眼差しに貪欲な肉欲が翳ろうと、彼はルシフェルと体を入れ替え、獣のように腰を振り始める。髪に手を差し込まれ、キスを強請られ、欲されるままに与えた。ルシフェルはリズミカルに悲鳴を漏らしながら、彼の捧げる悦楽の奔流に身を投じ、全てを委ねた。


 目覚めると、彼の腕の中だった。まるで何かから守り通そうとするかのように張り巡らされた腕の囲いに、ルシフェルは嘆息をこぼして、まだ中に埋め込まれている彼のモノを身の内から引き抜き、濡れた感触に目を眇めた。
 彼は、人間がどのように子を為すか知っているのだろうか。無知ゆえの行為なのか、知っていてなおルシフェルの中へ吐露したのか。最早、今となっては、どうでも良い話だった。
 身動ぎし、ルシフェルの存在を確かめるように辺りを探る手へ手を絡め、軽いキスをくれてやってから、ルシフェルは右手を宙へ掲げた。イーノックの旅は終わったわけではない。お遊びはお終いにしなければ。
 ぱちん、という乾いた音と共に、ルシフェルは再びあるべき時代の天界の園へと姿を転じていた。管理者を喪失した庭園は、やはり、どこか寂しげだ。ルシフェルは苦笑を浮かべて、乱れ切った身だしなみを整え始めた。指を鳴らせば済む煩雑な行為ではあったが、少しだけ、気持ちを整理する時間が必要だった。
 ルシフェルが彼へ教えたのは、肉の快楽だけではなかった。出し惜しみをするルシフェルにしては珍しく、彼には、己の知る全てを教えたつもりだった。おそらく、知識をひけらかしすぎたのだろう。彼は、地上で瞬く儚い生に憧れを抱くようになってしまった。
 ルシフェルは、自身へまったき忠愛を捧げる者を好んだ。自ら立ち去った者など、惜しむはずもない。
 だが、他人にくれてやるのも癪だった。だから、壊した。
 ルシフェルは彼に幾度となくキスをされた唇へ指を当て、酷薄な笑みを浮かべた。どこか、寂寥を湛えた笑みを。
 傲慢。
 ルシフェルは、神に標された自らの罪状を知っていた。











初掲載 2011年5月4日