Trick or …? (※BL、両性、女体化含みます。)


 それは、肌寒い朝のことだった。
 イーノックは忍び寄る冷気に身を震わせ、傍らにある温もりを抱き寄せると、毛布を肩まで引き揚げた。毛布のごわつく感触は、それが羊毛をざっくばらんに縒って作られた安価な代物であることを示している。
 安宿の夜は、備えつけの薪が不足しているために、部屋の隅に設けられた囲炉裏に火をくべても中々暖を取ることが出来ない。それゆえ、イーノックは野宿で利用している厚手の長袖をまとい、刺客に不覚を取らない程度に酒を嗜んでから寝るのが常だ。
 ルシフェルが常々からかうように、隣で寝る女の一人でもいれば、また話は違ってくるのだろう。だが、ルシフェルがわかった上でからかっているように、イーノックは徒に女と通じるような性質ではない。娼婦など以ての外だ。
 うつらうつらまどろんでいたイーノックは、そこで違和感に気付き、重い瞼を開いた。今更ながらに、己が裸である事実に思い至ったのだ。着込んでいれば、安っぽい毛布の感触に不快がる必要もない。
 それに、この傍らにある温もりは、一体――?
 まるで誂えたかのように肌に馴染み、すっぽり腕の中に納まるものを見て、イーノックは絶句した。それは、抱き込んでいる「もの」がルシフェルだったからである。
 イーノックは勢い良く上半身を起こした。いつになく鼓動が乱れている。まさか、そんな、という驚愕と不信ばかり募り、正常な思考を妨げる。
 普通に考えてみれば、「そんなこと」があろうはずもなかった。だが、ルシフェルは女性体でいる。あんなにも、天使らしい、男性的な無性体のフォルムを気に入っているというのに、である。
 イーノックは恐る恐る毛布を捲り上げた。地上に居た折は妻帯していたので、イーノックにはシーツの乱れと汚れがどんな行為に起因するものか難なく判別がついた。再び、イーノックは言葉を失った。
 寝乱れたシーツ、使用済みと思しき性器と隣で朝寝を貪る裸の想い人。この状況を整理すれば、否応なしに、自ずと一つの結論に辿り着くことになる。どういうわけか、イーノックは、触れることすら叶わなかったはずのアストラル体の想い人と、禁断の一夜を過ごしてしまったようなのだ。
 人間と身を通じた堕天使討伐の旅の最中だというのに、己は何ということを仕出かしてしまったのだろう。イーノックはざっと青褪めたが、寝乱れたシーツに点々と残された血痕に気付くと、今度は頭に血を上らせた。
 ルシフェルは、処女だったらしい。
 感極まったイーノックは、今度は打って変わって、ルシフェルの寝顔を熱っぽく見やった。神によって創造された万物の中でもっとも美しいと尊ばれる想い人を自分が手折った事実に、不謹慎ながら、胸にこみ上げるものがあった。これが独りきりのときであったなら、イーノックは思いの丈を大声に替えて、いかに自分が幸運か、世界中に喧伝していたことだろう。
 天の国は、ここにあったのだ。
 そのとき、頼りなく伸ばされた白い腕がイーノックの腰へ絡められた。直接伝えられる温もりに、幸福感が募る。しかし、毛布の隙間から入り込む冷気にルシフェルが眉根を寄せたのを見て取ると、その意図を悟り、イーノックは再び横たわって毛布をかけ直した。
 それだけではまだ寒いのか、柔らかな甘い肢体を擦りつけられ、どうしたものかと頭が痛くなる。先ほど一見した限りでは散々使われた様子の男性器が、再び熱を帯び始めたのも、イーノックには深刻な悩みの種だった。
 誤って障りが触れぬよう背を向ければ、その広い背へ、ルシフェルがよりいっそう身体を預けてくる。まさか想い人と同じ空間にいる状況で、いきり立つ半身を自ら慰めることも出来ず、イーノックは鼻息も荒く瞼を閉ざした。
 一転して、天国が地獄になる。
 結局、イーノックの健闘は、ルシフェルが目覚めるまで続くこととなった。


 「…イーノック。お前、何があったか覚えてるか?」
 ルシフェルの掠れた第一声に、当然のことながら、イーノックは正直に頭を振って良いものか悩んだ。だが、その一瞬の迷いを見て取るだけで事足りたらしく、ルシフェルが気だるげに肩を竦めてみせた。
 「まったく、散々だったよ。シードルを飲んだ途端、お前ときたら人が変わったようになって…いや、あれは正しく人が変わっていたな。」
 「しーどる?」
 「林檎の醸造酒…ほら、あれのことだ。」
 イーノックが投げかけられた視線の先を追えば、ルシフェルの差し入れと思しき深緑の硝子瓶が転がっていた。張りつけられたラベルには何か記されているようだが、未来の言語な上に土埃で汚れていることもあって、理解が及ばない。
 まだ痛むものか、ルシフェルが腰を擦りながら立ち上がった。完璧に形作られた乳房やくびれ、内股へ執拗に散らされた鬱血の痕やその上を滴り落ちる白濁を見て取ってしまい、イーノックが赤面する。
 そんなイーノックの、毛布で覆っているにもかかわらず力強く自己主張するものを一瞥したルシフェルは、苦々しげに指を鳴らすと、いつもの姿へ戻った。
 「それにしても、酔ったお前はあんな風に強制的に女の気分にさせることも出来るんだな。これからは、気をつけることにするよ。」
 そこで、ルシフェルは疑念に満ちた視線をイーノックへと向けた。一体何を言われるものか。顔を強張らせ、身構えるイーノックへ、ルシフェルは再び細い腰に手を当てながら、不満をこぼした。
 「お前、自覚はないかもしれないが…馬鹿丁寧というか、あんなねちっこいのは嫌われるぞ。」
 「……!ルシ」
 性交渉を繁殖のための行為としてしか捉えられなかったために、生前、妻には淡白だと散々詰られたイーノックである。ルシフェルの感想は、殆んど言いがかりに近い。
 反論しようとしたイーノックの顔面に、固い枕が飛んで来た。
 「言い訳は止してくれ。さっさとその臨戦態勢のブツを何とかしろ、この絶倫馬鹿。」
 ルシフェルの蔑視に耐えられなくなり、イーノックは羞恥から顔をうつむかせた。
 そのときのイーノックの心境としては、神に許されるものならば、苦難の旅を中断して穴を掘って埋まりたいくらいだった。


 それ以来、イーノックは意識してシードルを避けるようになった。
 同時に、イーノックはルシフェルを抱いた事実を務めて忘れようとしたが、そちらは上手くいかなかった。元来、天へ召されるほどに朴訥で正直な性質である。
 己の顔を見るたびに顔を赤らめるイーノックに、ルシフェルは些か辟易した様子ではあったが、指を鳴らして「なかったこと」にはしなかった。全ての時間軸に置いて同一存在であるルシフェルに起こった事実は、時間を巻き戻したところで変えようがない。
 加えて、――イーノックには自覚こそなかったが――実はルシフェルがイーノックと関係を持ったのは、最早、両手足の指では足りない数に及んでいたのだ。


 この日も、ルシフェルは昼中からイーノックに抱かれていた。どうせ行き先が同じなら、と、軽い気持ちで護衛を請け負った商人が別れ際にくれた麦酒は、醸造の際に林檎を利用した代物だったらしい。
 いつ旅人が通るともわからない街道沿いの茂みでのこと。強制的に疑似エーテル体にさせられたルシフェルは、片手を生い茂る樹の幹へ絡め、もう一方の手をともすればだらしなく嬌声が漏れ出そうになる唇へ押し当てた状態で、後ろから揺さぶられていた。
 釦を全て外されたシャツは、イーノックの腰つきにあわせて揺らめき、時折、立ち上がったルシフェルの男性器に絡み付き、染みを残す。晒された白い項にイーノックが獣のように噛み痕を残し、舐め上げて唾液塗れにした。
 イーノックに対する意趣返しのつもりで、ルシフェルがこのようにわざと男性体のフォルムを選び取ったことも、一度や二度ではない。その度に、ルシフェルは、元々受け入れる機能の備わっていない身体で抱かれたことをひどく後悔することになるのだが、最初からさもイーノックに抱かれることを期待しているかのような女性体になることは、無駄に高いプライドが邪魔するのだった。
 前立腺をイーノックの太く固いもので押し上げられ、男性器が戦慄く。
 最初こそ、惨めさばかり募り、苦痛と吐き気しかもたらさなかった行為も、幾度か数をこなすことで快感を拾うことが出来るようになってしまい、引き際を見失ったルシフェルは、イーノックに強制的に女の気分にさせられない限りは、こうして男性体で喘がされることとなる。
 男性体でいるときの方が、手酷く扱われるので、素直に女性体でいた方が良いのだろう。それに、イーノックは女性器に子種を注ぐことに固執しているようなので、端から女性体でいた方が双方にとって都合が良い。
 ルシフェルにも、それはわかってはいるのだ。
 わかっては、いるのだが。
 「あぁっ、…ん!やら、いぃのっ、イきたっ…!」
 解放寸前で根元を堰き止められたルシフェルの眦を、大粒の涙が彩る。とうとう耐え切れず、口元から手を離して懇願するルシフェルへ、イーノックは何処吹く風で噛みつくようなキスをした。呑みきれなかった唾液がこぼれ、ルシフェルの顎を伝い、滴り落ちる。
 この時分になると、大抵、ルシフェルは自分の快楽を追うことに必死で、イーノックへの対応がおざなりになる。
 自ら腰を振り、旅人の往来など一切気にかけた様子もなく喘ぎ声を上げて善がる天使長の痴態に、イーノックが苦笑をこぼして、男性器の下へ指を滑らせる。すると、そこにはふっくら赤く充血した花弁を持つ女性器が生じた。イーノックが指の腹で撫ぜれば、そこは糸を引くほどに濡れている。
 躊躇いなく、イーノックは長大なものを挿入した。一息に奥まで突かれたルシフェルの身体が、樹に添えた手だけでは心許なくがくんと倒れかける。自然、突き上げられる形になった白い尻を鷲掴むと、先程まで散々嬲られ哀れにもひくついているアナルを太い指で慰めてやりながら、イーノックは自慢の一物で子宮口をノックした。
 「ルシフェル、こっちはこぼさないで全部飲んでくれ。」
 乳首を摘まれ、引っ張られた瞬間、ルシフェルの頭は真っ白になった。
 無意識のうちに締めつけた瞬間、イーノックも達したらしい。一滴も零すまいとするかのように最奥へ押し込まれたものから、熱が迸り、再びルシフェルは意識を遠のかせた。
 とろんとした目で小波のように押し寄せる快感を耐えていると、身体が反転され、地面へ横たえられる。いつの間にか、青草生い茂る地面には、敷布代わりの毛布が敷かれていたようだ。
 ルシフェルがぼんやりしている間にも、殆んど用をなさなくなっていたシャツは剥ぎ取られ、大きく脚を開かれた状態で、下半身をイーノックの腰の上へ引き上げられる。
 ルシフェルの浅く上下する薄い腹へ手を置き、イーノックが一人ごちた。
 「貴方が早く私の子を孕んでくれれば良いんだが。」
 ネフィリムのこと、だろうか。
 だが、問いかける間もなく、ぐっしょり濡れそぼった場所へ太いものを突き入れられ、ルシフェルの身体が跳ねた。掌越しに、イーノックの男性器が胎の中で激しく抽送されているのがわかり、どうしても顔が赤らんでしまう。
 いやらしい水音が、否応なしに二人の興奮を高めていく。
 結局、ルシフェルがその日の旅の行程を諦めるのには、そう時間はかからなかった。


 そういうわけで、イーノック本人に自覚がないだけで、ルシフェルとのふしだらな愛欲の日々は順調に続いていた。もう、三百余年の月日が流れようとしている。
 シードル、リンゴジャム、林檎のコンポート。
 どうやら、イーノックの人格が切り替わる条件は、「林檎」のようだ。ルシフェルは十分距離を置いた状態で、イーノックの人格が切り替わる様子を観察していた。
 イーノックは何故、甘いものが別段好きではない自分が、万聖節の前夜祭で浮かれる街の只中で、貴重な砂糖を用いた林檎の菓子を口にしているのかいぶかしんだ様子ではあったが、ルシフェルが未来から持ち込んだものだと納得したらしい。収穫物をどっさり詰め込んだ籠を手にはしゃぐ子供へと菓子を与えて、宿屋に向かって歩き出した。
 ルシフェルはそんなイーノックの後ろをゆっくり追いかけた。
 今日はルシフェルにとって、半年に一度あるかないかの、自主的な女の気分だった。大抵、イーノックに押し倒されて済し崩しに抱かれてしまうため、ルシフェルがこうして進んで抱かれようと望むことは少ない。
 冬の入りということもあって厚手のウール地の民族衣装で包んでいるが、神が万物に与えたもうた内で最も完璧な肢体は隠し切れるものではない。ルシフェルは小振りの尻をこれ見よがしに振りながら、軒先に並んだ屋台を覗くイーノックの元へ歩み寄った。
 いつも同じ色調では詰らないだろうからと、ちょっとした悪戯心で、毛髪と眼の色彩は、ミカエルを参照していた。だが、これでわからないはずもないだろう。何せ、三百余年に亘って、あれだけ散々好き勝手やらかしてくれているのだ。ルシフェルが視覚に頼らずともオーラでイーノックを認識できるように、イーノックもルシフェルのことを認識できるはずだった。
 「――ふふ、誰だ?」
 イーノックの瞼へ両手を当て、笑い交じりに問いかける。
 その視界に金色を見止めた瞬間、イーノックが驚愕から眼を丸くした。
 「イズメル…?」
 思いがけない返答に、ルシフェルは眉根を寄せて、眼前の男を見やった。ミカエルなら、まだ何となくわかる。前妻エダニの名でも、まだ許そう。だが。
 ルシフェルは腹立たしさのあまりイーノックに張り手をかますと、怒りに打ち震える声で吐き捨てた。
 「イズメルってどこの女だ、この浮気者…っ!」
 傾国もかくやという凄艶な美貌の女との修羅場に、衆目を一身に集めたイーノックが、狼狽気味にルシフェルの細い手首を掴んだ。初めて目にする林檎版イーノックの狼狽に、ルシフェルの胸は空く思いだったが、人気のない路地裏へ連れ込まれると、一転して焦りが募った。
 既に、祭りの灯りは遠い。
 「…ルシフェル、嫉妬か。」
 「違う、そんなはずあるわけないだろう。問題をすり替え、んんぅっ…!」
 唇を奪われ、次第に力が抜けていく身体を壁へ押し付けられる。厚手の足首まであるワンピースを腰上まで捲りあげられ、気分を盛り上げるためわざと着用していた絹の黒ショーツを膝下までずり下げられた。
 「…愛らしいが、邪魔だな。ルシフェル、少し支えていてくれ。」
 反論する時間も与えられぬまま、イーノックにワンピースの裾を握らされる。ルシフェルが眼を白黒させている間に、イーノックは片膝をつき、ルシフェルの滑らかな恥部へ顔を近付けた。啄ばむように先端を含まれ、柔く歯を立てられたかと思えば、鼻先でくすぐられ、分厚い唇でじゅるじゅる漏れ出る愛液を啜られる。
 ルシフェルは壁に背を預け、内股の柔肌を震わせて、イーノックの愛撫に耐えた。ワンピースの裾を持つ手が震え、ともすれば、手放してイーノックの上へ覆い被せてしまいそうになる。
 ショーツとお揃いのブラジャーを鎖骨辺りへ押し上げられ、乳房まで無遠慮に揉みしだかれる頃には、ルシフェルは息も絶え絶えに愛液を地面へと垂らしていた。
 ねっとり糸引くそれを指で切り、イーノックがルシフェルの片足を抱え上げた。
 「…今日はやけに濡れているな。どうしたんだ?」
 「うるさ…っ、ふっ。ぁ。…はや、く!」
 粗相を彷彿させるほどに濡れそぼった女性器へ、イーノックのいきり立った剛直が擦りつけられると、ルシフェルの身体が期待に震えた。
 イーノックの逞しい首へ、腕を回さされる。
 幸福感にぎゅうぎゅう乳房を押しつけ抱き締めると、苦笑交じりに動けないからと窘められたが、そう言うイーノックの口調が砂糖菓子のように甘い事実に気付いているルシフェルは、締まりのない笑みを浮かべてキスを強請った。
 キスの合間に、ゆっくりと、イーノックが入ってくる。
 結局、その後、ルシフェルは、路地裏で一回。中に入れたまま人気のない道を通って宿へ帰り、部屋に入ってすぐさま一回。ベッドの上では、朝が白むまで、夜を徹してイーノックと睦み合うこととなった。


 そんな最中に、イーノックがタワーを制圧した。
 それは、良い。イーノックの試練が終わったことは、祝福すべきことだろう。神に次ぐ者として名を賜ったことも、神に次ぐ力を得たことも、祝福すべきことだ。
 だが、ルシフェルは抑えきれない不満を募らせていた。
 久方ぶりに天界の書記官の執務室へ戻ったイーノックを突き飛ばし、性急にベッドへ押し倒したのは、ルシフェルなりの祝福であったのかもしれない。
 「…イーノック、お前が欲しい。」
 いつの間にか女性体になっていたルシフェルは、気恥ずかしそうに眼を伏せながら、薄手で衣服として用を為さないシャツを、華奢な肩から落とした。イーノックの視線が、シャツの下で存在を主張している愛らしい乳首に釘付けだったということは、承知の上だ。
 わざとらしくならない程度に頬を赤らめ、ばれないように胸を寄せ上げながら、いつもよりタイトに仕立てたジーンズのファスナーを下ろす。
 ルシフェルの女性器が既にジーンズに糸を引くほど濡れている事実に気付いた瞬間、イーノックの理性の限界は訪れた。
 気を配ることすら失念し、本能に支配された獣のようなイーノックに、勢い良く壁へ押し付けられ、唇を貪られる。ジーンズを下から押し上げている規格外の男性器を膝で擦り上げると、イーノックが荒い息を漏らして口を離した。
 三百六十五年もの間蓄積され続けた我慢が崩壊した今、イーノックの目はぎらついて、知性の片鱗もない。再び荒々しく唇を奪われ、ルシフェルは身を震わせた。次第に募る快楽で震える指先を弄し、どうにかしてイーノックの男性器を取り出す。撫で擦り、先端を親指の腹で意地悪く弄ると、溢れ出た先走りが手首まで伝い、濡らした。
 ルシフェルはうっとり舌なめずりをして、手を引き、椅子へ腰を下ろさせたイーノックへと微笑みかけた。
 「イーノック、……メタトロンへの就任おめでとう。」
 そのまま、顔を落としていく。
 上目遣いにいきり立ったものを口に含み、時に袋をはみ、舌を這わせると、長い試練の間、自らを慰める行為を一度もしなかったイーノックは呆気なく達してしまった。
 呑み切れなかった白濁で汚れた顔を引き寄せられ、何度も何度も繰り返しキスされる。
 机上でルシフェルがイーノックのもので貫かれたときには、もうぐずぐずに思考が溶けきっていて、快感を追及することしか考えられなかった。
 眩暈すら覚えるほど乱暴に揺すり上げられ、ルシフェルは振り落とされまいとイーノックの腰へ足を絡めた。
 「なかぁっ、なかにっ、ほし…ぃっ!い…ーのくっ、ぁ…はぁっ、ん!あ、あ、あっ!」
 律動に合わせて弾む乳房を欲望のまま揉みしだかれ、絞られる。奥まで突き上げられる衝動に仰け反る白い首を舐め回され、軽く頂点を極めたルシフェルの中が締まった。
 同時に、イーノックが果てる。
 イーノックの太い首へ絡めた手を引き寄せ、もっととキスを強請っているとき、ルシフェルはこれ以上ないくらい幸福だった。




 「…それで、私の出番はもうないものだと思ったのだが。」
 「ふっへへ、そうでもないさ。」
 何故呼び出されたのか理解に苦しむといった呈で、顔を顰める林檎版イーノックの眼前には、深緑の硝子瓶がある。散々抱き合って咽喉が渇いただろうから、とシードルを差し入れた当の本人は、何気なくうそぶいた。
 「なあ、メタトロン。」
 感情の読めない固い眼で、頬杖をついたルシフェルが問いかける。
 「お前がわざわざ「未来」から「過去」の私にちょっかいを出しに来ていたということは、この後、私はお前の傍にいないんだろう?」
 僅かに顔を強張らせたメタトロンの顔に両手を添え、優しくキスの雨を降らすと、ルシフェルはいつにない慈愛の笑みを浮かべた。
 疑念を覚えた切欠は、彼がルシフェルと間違えたイズメルという存在だった。ルシフェルのようでありながら、ルシフェルでない存在。イーノックのようでありながら、イーノックでない存在。
 疑念は、此の度、イーノックがメタトロンに就任したことで、確信に変わった。
 「それが何を意味しているのかくらいわかるさ。無駄に長く生きているわけじゃないからね。」
 そのとき過ぎった諦念の色に、メタトロンは胸が締め付けられる思いだった。
 ぱちんと指を鳴らし、いつも通りの無性体へと変化したルシフェルがあっけらかんと言う。
 「頼みがあるんだ。お前と関わった記憶の全てを消してくれないか?これから堕ちる私には、お前と過ごした日々は少し残酷みたいだ。」
 「…それが出来るくらいならっ、」
 わざわざ過去まで来て、貴方を孕ませて、天へ繋ぎ止めようとしない。
 言い募ろうとするメタトロンの唇へ指を当て、押し黙らせると、ルシフェルは呆れ交じりに言った。
 「じゃあ、言い方を変えるよ。記憶三百六十五年分、私が戻るまで預かっていてくれ。それなら、出来るだろ?」
 メタトロンは慄く口を開いた。
 眼前のルシフェルは、美しく微笑んでいる。
 「Trik or …treat?(ごまかすのか、それとも…慈悲をくれるか?)」
 メタトロンはどちらを選ぶべきか、わからなかった。











初掲載 2011年10月30日