オウサマノミミハネコノミミ (発売前)


 未来において2月2日と呼ばれるこの日は、猫の日に当たるらしい。にゃんにゃんだからだ、と得意顔のルシフェルに説明されたのだが、私には良くわからなかった。にゃんにゃんとは何ぞや?もっともこの偉大なる大天使の高説が、私に理解出来た験しなどないので、深く詮索しようとも思わず、後でアークエンジェル辺りに尋ねるのが妥当なところだろうと見当をつけて頷くに留めた。
 私が思うに、朝から妙にハイだったルシフェルのテンションが最高潮に達したのは、ナンナが猫の耳を模した帽子をかぶったときだろう。銀髪に色を合わせた毛皮の帽子の耳は、ナンナが動くたび、ふりふり揺れた。サイドから垂れた毛糸のもこもこも、ルシフェル的にはツボだったらしい。感動とMOEに心打たれた様子で、ルシフェルは戦慄く口元を覆い隠した。
 「なあ、イーノック。イーノック!見てみろ!まるでナンナがニャンニャのようだ!」
 そう言って、私の肩を掴み、揺さぶって来る。良く回る舌を珍しく噛んだのだろうか。
 不可解さに眉をひそめる私の前で、彼は悶えた。モエなるものが良くわからない私には、理解出来ない反応だ。まあ、一般的に言って、ナンナの今の恰好は可愛らしいと思うが、決して、それ以上ではない。
 「私もニャンニャには負けていられないな。これは…ちょっと待っていてくれ。神に、一番良い装備を頼んでくる!」
 何やらそう意気込んで、ルシフェルが姿を消したのは5分前のこと。
 そして、5分経った今。私は生まれて初めてMOEなるものに遭遇していた。
 漆黒の髪の合間、明らかに人工物でないそれがぴょこんと生えている。物音に反応してぴこぴこ動くそれは、愛らしい猫の耳の形をしている。我が眼を疑い何度か強く擦ってみたが、消えてなくならないので幻視ではないらしい。その証拠、とでもいうように、いつもはあるはずの人間形状の耳が不在だった。
 その猫耳だけでも、かなりの衝撃であった。
 だが、私の眼を釘づけにしたものは、いつもより低めに下ろされたジーンズから覗く、尾てい骨の延長線上にある尻尾だった。艶めかしくくねる漆黒の物体は、白い背に映えた。加えて、ジーンズがいつもより低めに下ろされているのだ。低めに下ろされているのだ。大事なことなので二回言ってみたが、ジーンズがいつもより低めに下ろされているのだ。(結果的に三回言ったことになるが、後悔はしていない。ルシフェルは、大事なことは二度言えと言っている。三度繰り返したところで悪いことはあるまい。)
 さて、何が言いたいかと言うと、「愛用するジーンズを傷つけずに尻尾を出す」という努力を試みた結果、ルシフェルの尾てい骨はもちろんのこと、お尻のえくぼまで全て丸見えだということである。この大天使、もう少し恥じらいというものを持った方が良い。
 いっそ、後少しだけずり下げて、そのままの状態で抱いてしまおうか。まあ、ナンナがいるので、どれだけ悶々としようとも実行には移せないわけだが。
 口惜しさに歯噛みし、生唾を呑んだ。ああ、あの柔肌に歯を埋めて、泣かせてやりたい。
 そんな不謹慎なことを悶々と考えている私の眼前で、盲目のナンナにぺたぺた耳を触らせて遊ばせていたルシフェルが、びくりと身を震わせた。一体どうしたのだろう。不思議に思って首を傾げると、ルシフェルがナンナの手をやんわりと外した。何か問題でもあったのだろうか。
 まさか、ナンナに耳を触られて感じてしまったとか。だが、そんなはずもないし、などと、首を捻る私に向かって、当のルシフェルが勢い良く歩いてきた。
 腕を絡められ、ぐいぐい引かれる。
 ぱちん、と耳慣れた音が聞こえたときには、既に寝室のベッドの上だった。
 もつれるようにベッドへ倒れ込み、馬乗りでキスされた。いつもの誘惑するものではなく、我武者羅なそれに、私の理性はぷっつんと切れた。腹筋をまさぐる手を掴み、口内をしゃぶり尽くそうとする舌を吸い返す。辛うじて引っかかっているジーンズを押し下げ、腰を押さえつけ――後は、済し崩しだった。
 本能が理性に勝ってしまって、何も考えられない。散々やり尽くした後で、はたと、眼下でへたばっているルシフェルに気付き、気を遣い始めるのが常だ。
 今日も例外ではなかった。
 私は愛欲の限りを尽くした後になって、ようやく、青ざめた。ルシフェルの腕でわだかまっているシャツには汗染みが浮き、最終的に邪魔で放り出されたジーンズは、叩きつけられた壁の下で丸くなっていた。
 ルシフェルが物憂げな眼差しで、それらを一瞥した。これはまずい。やたらファッションにはうるさいルシフェルのことだ。まず間違いなく、叱られる。
 本気で怒り出したルシフェルの恐怖を知っているがために、私は身を竦めた。だが、どういうわけか、身体の下のルシフェルは甘ったるい笑みを浮かべて、両手を差し伸べた。
 「イーノック、もっと。」
 欲情にとろんと溶けきった眼は、罪の果実の色をしている。何と美しいのだろう、と馬鹿面晒して身惚れていると、首に腕を絡められ、キスを奪われた。引き寄せられる重みで、そのまま押し潰してしまいそうだ。
 何とかそれだけは避けようと無駄な足掻きをしていると、鼻から抜ける声で続きを強請られ、私の理性は再び崩壊の日の目を見た。手酷く抱いた後は、そっけない対応を取られるのが常なのに、一体どうしたというんだ。ああ、しかし、ビバ!我が愛しのビッチ。
 乞われるまま、差し出された肢体を貪った。身体の下では、愛らしい子猫が咽喉を鳴らして、愛撫に酔い痴れている。
 私は深く感動して、思わず泣きそうだった。



 翌朝、ルシフェルは痛む腰を押さえながら、嘆息した。
 「イーノック、お前、発情しただろう。」
 「?」
 わけがわからずぽかんとしていると、ルシフェルは例の如く、これだからお前は話を聞かない、とでも言いたそうな顔をした。
 「理由は知らないが…、私がナンナと話しているときに、発情しただろう。お前のせいで、つられてしまった。」
 まだ、巧く呑み込めない。首を傾げる私に、ルシフェルは「まあ、詳しい猫の習性についてはアークエンジェルにでも訊ねてもらうこととして。」と前置きし、
 「オスが発情期に陥るのは、メスの発情期に誘因されてのことだ。つまり、どちらの性も兼ね備えた私は、お前の…、…。…いや、後は説明しなくてもわかるだろう?」
 そう言って、ルシフェルは気まずげに、キスのしすぎで赤く腫れた唇を噛み締めた。消えかかり短くなった尻尾が、ぴょこぴょこと落ち着きなくシーツを叩いている。昨夜は猫同様の位置にあった耳も、まだ毛だらけで尖がってはいたが、ほぼ人間らしい形状と位置に戻っていた。
 それらを見た瞬間、昨夜の出来事が走馬灯のように脳裏を横切った。力なくへたった耳や、毛が膨らんだ尻尾、もっともっととせがんで止まない甘い声。
 そうか、これがMOEか。
 「まったく、変なオプションをつけて!後で、神には文句を言わないとなあ。」
 ルシフェルは頻りに文句を口にするが、私はむしろ逆だ。ああ、ビバ!我が愛しのビッチ!発情しすぎてとろとろに溶けきっていた大天使の、何と、愛らしかったことか!
 「神よ、あなたさまの一番良い装備に感謝いたします…!」
 その一言に、ぎろり、とルシフェルが私を睨みつけた。
 心で祈りを捧げたつもりが、うっかり声に出してしまっていたようだ。私は青ざめて、ぎこちない笑みを浮かべた。これはいかん。
 そんな私がルシフェルにこってり絞られるのはまた別の話である。











初掲載 2011年2月22日