朝目が覚めると、焦げ茶色の絨毯の上に抜け殻が落ちていた。ロシアンブルーのワンピースに、黒のストッキング。一体何があったのか、頭に引っ掛かった状態で発見されたガーターベルトを床に放り捨て、佐助はのろのろとベッドから上半身を起こした。だるい。明らかに酒を過ぎたらしく、二日酔い真っ只中だ。記憶も飛んでいる。佐助は痛み剥き出しの頭を抱え、隣に横たわる女を一瞥した。饗宴はもう終わったのだ。用が済めば用無しではないか。用無しなど、さっさとテリトリーから追い出すに限る。
佐助がこのような朝を迎えることは、決して珍しいことでない。むしろ、あの再会を果たして以来、日常茶飯事と言っても過言ではない。佐助が相手にする女は様々で、ギャル系から眼鏡ちゃん、留学生と幅広かった。ただ、皆、佐助に色目を使った点において共通の項目が存在した。言ってしまえば、佐助は据え膳を食って飢えを凌いでいたのだ。
欲を言えば、きりがないことはわかっていたが、佐助はただ一人の女を求めていた。ただの女、と呼ぶには前世の記憶が邪魔をする、強烈な蒼に焦がれていた。
蒼――奥州筆頭、独眼竜、伊達政宗。…元、男。
それが彼女だ。そう、丁度目の前で眠る娘のように、美しい光沢のあるショートヘアで、色白の佳人で、何と言っても特徴的な隻眼の――。
――隻眼の?
「え、隻眼?!」
佐助は目を丸くして、狐に騙されたかのように己の頬を抓った。痛い。夢じゃない。なら、どっきりだろうか。はたして一般人の佐助に誰が仕掛けるのか定かではないことに想いを馳せ、佐助は恐る恐る隣で眠る女の顔を窺った。
やっぱり、勘違いではない。政宗だ。
佐助は背中からベッドに倒れこんだ。昨夜何があったのか、全く覚えていなかった。無様だ。本気で凹むんですけど。
ゴムは付けたのか。付けてなくて出来ちゃったら出来ちゃった婚とかで俺様のもんにすんのに。責任取るからってカッコつけて拝み倒して土下座して搦め手使って無理矢理結婚してやるのに。
咄嗟に過ぎった佐助の邪な考えを嗅ぎ取ったのだろう。ふるりと政宗の長い睫毛が震え、ゆっくりと開かれた。だが、頭の方は未だ目覚めていないらしく、焦点の定まらない眼差しを、息を呑み政宗の顔を覗きこんでいる佐助に注いでいる。そういえば、低血圧で朝は苦手なのだと聞いたことがある。早朝に行われる特別講義中に、政宗がかすが相手にそうぼやいていたのを佐助はしっかりと覚えている。
佐助には、昨夜の記憶が皆無だ。はたして二人の間に何があったのか、知る由もない。だから、政宗の意識が覚醒していない有耶無耶のうちに、押し倒して抱いて、記憶に刻み付けてしまおうか。そして、政宗にも忘れられないような情事を刻み付けて、佐助以外の男が目に入らないようにするのだ。これでも、ベッドの中での遊戯には定評のある佐助だ。それほど無理な話ではない。ゴムは手の届く範囲に見当たらないが、そんなことかまやしない。むしろ、要らない。ていうか、目指せ、出来ちゃった婚。
実行すべく佐助の不埒な手が政宗の細腰に回される。いつも男物のTシャツをまとっている政宗からは想像出来ないほど、細く柔くしなやかな腰だった。ちょっとした感銘を受けて、佐助は空いている右手をもう少し上部に添えてみた。常に晒しでも巻いてんじゃないのかと疑いたくなるくらい厳重に隠されているバストは、こう表現しては何だが、驚くほどしっかりしている。しっとりと吸い付くような柔肌も、ポイントは高い。
流石は奥州筆頭、と妙な感心をする佐助の眼下で、政宗が瞬きをしている。まだ、状況把握は出来ていない。やるなら今だ、と佐助の中で急かす声がする。
しかし、佐助は踏み止まった。無理矢理抱いて満足出来るようならば、佐助はとっくの昔に実行に移していただろう。出来ちゃった婚どころか、確実に刑法に引っ掛かるような手管を用いて、政宗を弄していただろう。薬とか、軟禁とか、監禁とか。だが、佐助の欲は肉欲のみに留まるものではない。ぶっちゃけ、佐助は政宗の何もかもが欲しくてたまらなかった。
佐助を見つめる政宗の焦点がようやく定まってきた。強く鮮烈な意思が取り戻された眼に、一瞬、強い感情が過ぎったようにも思えたが、佐助は見なかった振りを通すことにした。政宗の目に過ぎったのは、失望だ。ならば、見なかったことにしてしまう方が、佐助の心痛は軽い。
「竜の旦那、奇遇だね。おはよ。」
茶化すようにへらりと笑みをこぼす佐助の前で、政宗が唇を噛み締めた。この予兆は、佐助には慣れ親しんだものだ。殴られる。気付いたときには、政宗のエルボーが炸裂していた。疾風迅雷なんて目じゃない。目にも留まらぬ速さのそれに、佐助は軽く意識が飛ぶのを覚えた。
しかも、公式戦で禁止されてる肘での攻撃ってどうなんだよ。俺様を殺す気かよ。その上目を狙わなかったかこの人。
恐れ慄く佐助に跨り、政宗が見下ろしてくる。中々に扇情的な見た目だ。シチュエーション次第では、佐助も喜んで乗っかられたことだろう。だが、紛れもなく、佐助は命の危険を感じていた。命の危険を感じてはいたのだが、やっぱり、扇情的な光景に目を奪われていた。男なのだ、しょうがないじゃん。
佐助の不躾な視線を気にした風もなく、震える声で、政宗が吐き捨てる。
「やっぱ、俺じゃ駄目なのかよ!あんな、女共の方が、お前の隣には相応しいのか!」
「……え?あの?」
正直、佐助は政宗の想像の遥か上を行く抜群のプロポーションに目を奪われていて、左から右へ台詞が素通りしている。それでも、何か聞き捨てならないことを言われた気がして身を起こそうとする佐助のアクションを許さず、政宗ががくがくと肩を揺すぶる。
「Shut up!何も言うんじゃねえ!わかってる、無様だってんだろ。どうせテメエの気を引こうとこんな格好して無理矢理ベッドに連れ込んださ。ああ、嗤いたきゃ嗤えば良い!どうせ俺はテメエの連れてる女共にムカついて、同じ土俵に立ってたまるかって妙な対抗心燃やして、テメエの前ではろくに化粧すらしてねえよ!悪かったな!だからもう、死んでくれッ!!」
首を絞められた。
慌てて、手を振り払った。
「いやいやいやいや、最後のは明らかにおかしいでしょう!どういう脈絡?!勝手に息の根止めようとしないでくれないッ?!俺様にも人権はあるから!ここは現世だから!戦乱の世じゃないから!人がマンションで死んでたら明らかに不審死で通報されちゃうから!俺様も竜の旦那のこと超絶好きだからッ!!」
考えるより先に口が滑ってしまった佐助の本心を、さらりと受け流して政宗が罵倒する。
「性質の悪ぃjokeかましてんじゃねえ!テメエはその場を凌ぐためなら何でもほいほい言うのか!この、忍び野郎ッ!」
「何なの?!忍びってそれ貶す言葉なの!?俺様の前世全否定ですか!??」
「Sure.」
「そこだけテンション下げて素で答えないでくれない悲しくなるからッ!」
生真面目に頷いた政宗の様子にちょっと見惚れていたなんて、とてもではないが、口に出来ない。佐助は情け容赦なく口を極める政宗の攻撃に後手後手になり、結局、有耶無耶のうちに終結させることを決意した。なるべくならば、やりたくなかった行為である。佐助は政宗の口を言葉通り塞ぐと、罵声を紡げないように策を弄した。策なんて上等なものでもないが、佐助が策と言ったら策なのだ。だが、流石は前世で奥州を束ねていただけあって、政宗もいつまでもやられっぱなしというわけではない。口内で蹂躙戦を繰り広げられながらも、懸命に形の良い足で蹴り付けてくる。佐助はその躾けのなっていない足を、これまた力付くで押さえつけた。前世では負けっぱなしだったが、ここに来て、男女の体格差が大いにものを言った形だ。
「俺様もさ、本当はこんな真似したくないんだよ?」
佐助はわざとらしく嘆息して、政宗の脇腹を撫ぜた。うひゃ、と間抜けな悲鳴がする。くすぐったかったのだろう。それすらも可愛いって思うってどれだけ重症なんだ俺様、と自己憐憫も覚えるが、それすら愉悦、というやつだ。
「本当はこんな真似したくなかったんだけど…、俺様の気持ちを口で言ってもわかってくれないなら、体に言って聞かせるしかないよね?」
勿論、嘘だ。本当はやりたくてたまらなかった。だが、直接政宗に言うつもりはない。今は、まだ。
「一度でわからないなら、そう、何度でも、さ。」
佐助はにんまり笑って、眦を赤く染め上げて睨みつけてくる政宗の額にわざとらしく音を立ててキスを落とした。
初掲載 2009年8月29日