明らかに場違いな、どこか場所を間違えてはいませんか?と問いかけたくなるような高級感溢れるベンツが目の前に停まったのを、寒さに震える俺はぼんやりと眺めた。
センター試験当日ということで、俺の通っている大学は受験生に占拠されるため立ち入り禁止になった。とはいえ、コンビにはまたとない売り上げアップのチャンス。特設コーナーの主に任命された(というのは建前で誰もが寒いからやりたくなくて、一番下っ端の俺に回されてきただけだ。)俺は肉まんやあんまんの入った保温機を隣に、店の前でねばっていた。
(こんだけ寒い中頑張って、こっちは時給800円だっつのに。)
何年働いたらあんな車買えるのかななどと空想に浸り、とうてい買えそうもないという結論に達して、俺は憂鬱な気分になった。
(10円傷でもつけてやろうかちくしょう。)
そんな俺の方へ車から降り立った美女が歩み寄ってきたのは、本当、何かの間違いなんじゃないかと思った。金持ちは肉まんが珍しいんだろうか。珍しいからつい車から出て買ってしまうんだろうか。本気でそう思った。
その美女は、年はそう俺と変わらないように見えた。それが余計さっきの空想に打ちひしがれた俺のハートから希望の二文字を奪い取った。けれど、見たこともないほど綺麗で、スカートだけどスーツというストイックな格好をしてるのに思わず目を逸らしたくなるほど何故かセクシーな出るとこしっかり出たスレンダー系の美女に、俺は内心「まあいいか。」と鼻の下を伸ばした。
「?」
ふと、眼帯で覆われた白い顔が何かにひっかかった。
それが何なのか考える前に、美女は笑って右手を軽く挙げた。
「hi.元気だったか猿飛。」
中学時代。
その頃の俺はといえば、かすがの発育の良すぎるタイツでくっきりと線の浮き出た足に釘付けだった。俺の中学には学区内でも有名な美少女が3人いて、そのうちの1人が、ナイスバディが売りのかすがだった。
勿論、ちょっと暗く固すぎるところがとっつきにくいとはいえ、俺は3大美少女の1人、お市ちゃんの儚げな美貌も好きだった。タイツほどではないものの、紺のハイソックスは清楚でそれがまたツボだった。基本、それは変わらず今もだが、俺は女の子が大好きだったのだ。
あの日、俺は体育の授業を仲の良かった元親と一緒にサボり、そんな美少女が勢ぞろいしてダンスしているはずの体育館にいた。覗くためだ。
「かすがのあれ、ほんと何度見てもやっばいよね」
体育で短パンから覗くむっちりした足と、胸のサイズに合わせたのか手の甲を覆いきるサイズの大きなジャージを着込んだかすがを食い入るように見詰めていた俺は、不覚にもさっきまで隣にいた元親が消えていることに気付かなかった。
「そうか?」
「うん、だってエロす」
(…あれ?声違くない?)
そこで俺はハッとして、さっき相槌を打った存在の方を振り返った。
「だだだだだ」
「何言ってんだ?」
右隣で俺と同じようにヤンキー座りをして体育館の格子前にいるその存在は不思議そうに首を傾げ、恐ろしさと混乱から、俺は指をさして叫んだ。
「だっ、伊達ちゃん…!」
「馬鹿、ばれるだろーが。」
少しも慌てることなく、けれど問答無用の強さで口を塞がれた。
伊達ちゃんは主に女子生徒からの支持を集める、三大美少女の一人だ。なぜか、いつも男物の制服をまとっている。男装の麗人、という言葉が似合う伊達ちゃんは、確かに「きれいなひと」という意味でなら麗人ではあった。だが線の細い冷たい美貌は、胸がないことと、ジャージか学ランかの2択で絶対に足を見せないしスカートも履かないこともあって、俺にはとてもじゃないが中性的な美少年としか思えなかった。女の子である確証がちっとも得られないのである。
大体、伊達ちゃんは暴力的すぎた。クラスでは一番良いはずの俺の動体視力でさえようやく追える速さの蹴りと、その速さに比例する蹴りの破壊力は全国上位レベルものだ。それはジャンルが違うとはいえ、俺が一時期通っていた柔道道場の全国レベル実力の持ち主である武田師範が「競技は違えど見事よな…!」と珍しく声をつまらせて絶賛していたほどの凄まじさを誇った。ある日間違えて入り込んだゲーセン脇の路地裏で、大の男が伊達ちゃんの蹴り一つで吹っ飛んでいくところを見てしまって以来、そんな伊達ちゃんへの畏怖は尽きるところがない。
そういうわけで、俺には伊達ちゃんを異性として、とてもじゃないが見れるはずがなかった。
「ふーん。猿飛お前、エロいのが趣味か?」
一応分類上は女の子に属する伊達ちゃんに率直に訊かれ、俺は多少たじろいだ。
「ま、まあ。そりゃ男だし色気はないよりはある方が?」
「そういうもんか。」
「うん。」
もぞもぞと居心地の悪さを感じながら一人で逃げた元親を呪いながら答える俺に、伊達ちゃんは「ふぅん。」とつまらなさそうに相槌を打って立ち上がった。
「あ、体育に戻るの?」
「no.今日は所用があってちょっと学校に来ただけだ。かったりい授業なんざ出ねえよ、すぐ帰る。」
「そう。」
それから何を考えているのか。伊達ちゃんはひどく冷めた目で俺のことを上から下までなめるように見た後、「はん。」と不服そうに鼻を鳴らした。
「な、何?」
「いや別に。…猿飛。」
「?」
「see you again.」
次の日から、伊達ちゃんは学校に姿を見せなくなった。
伊達ちゃんが転校したのだと担任が説明し、女子生徒たちの絶望の溜め息の中、英語で「また会おう。」と言われたような気がしていた俺は教室の窓から空を見上げながら首を捻った。
そんなことを、まるで走馬灯を見るかのように一瞬で思い出していた。
寒さに震える俺の目の前で、真っ赤な唇を心底楽しそうに吊り上げて笑っているのは誰なのだろう。
「覚えてねえか?」
不思議そうに首を傾げるその姿が、かつての同級生と重なった。恐ろしさと混乱から、俺は指をさして叫んだ。
「だだだだ伊達ちゃん!」
「お、忘れずに覚えてたか。」
「……何…しに来たのさ。…肉まん?あんまん?ピザまんとかもあるよ。」
店の中から、痛いほどの視線を感じた。同じバイト仲間で特設ステージの魔の手から逃げた、要領の良い慶次と、会話が成り立たないから裏方をやらされてる小太郎のものだ。そろそろ受験生が昼休みで大勢やって来るのに何やってんだと思われてるのかもしれない。
「久しぶりなのに随分な挨拶じゃねえか。」
「久しぶりすぎるから全然わかんないんだよ。何で伊達ちゃんがこんなとこにいんのか。」
「まあ、偶然にしちゃあ出来すぎてるかもな。」
にやりと人の悪い笑みを浮かべた伊達ちゃんを前ほど怖いとは思わないのは随分長い間は慣れていたからかもしれないし、伊達ちゃんがあまりにも変わりすぎたからかもしれない。それ以上に、どこかで「また会おう。」というあの台詞を気にしていて、それが我ながら恥ずかしかったからかもしれない。
そういえばこの再会は本当に偶然なんだろうか、なんて考えが浮かんだのはそのときだった。
「実はな、」
ぐいと胸元をつかまれ、伊達ちゃんの方へ引き寄せられた。
「宣戦布告しに来たんだよ。」
「なっ、何が?」
吐息がかかるほどの近さに、あの真っ赤な唇がある。そんな動揺を悟られまいと必死な俺の努力も解さず、俺の姿を目を細めて笑い伊達ちゃんは言った。
「お前、かすが見てsexyなのが好きだって言ってただろ?」
「…よく覚えてたねそんなの。」
俺にとっては覚えてるも何も今も変わらない好みだけれど、と口には出さず胸の中でそっと呟いた。
「で、確認なんだが。俺は八月だったんだけどよ、お前は昨日ようやく二十歳になったんだよな?」
「う、うん。」
伊達ちゃんが何を言いたいのかわかりかねる俺の胸元を離し、いったん伊達ちゃんが身を引いた。
「お前、loverは?」
「え、いない…け……ど。」
その真意をようやく悟った気がして愕然とする俺に、伊達ちゃんは憎らしいほど晴れやかに笑った。
「もう親がどうのこうの出る年でもなくなったし、俺も変わったから。お前を今日から本気で落とそうと思って。」
それだけ伝えたかったんだ、と。どんな感情によるものだかわからないけれどぶるぶる震える俺の頬に、柔らかい唇が効果音でも使ってんじゃないかというくらい綺麗に音を立てて触れ、離れた。
「see you again.今度はもっと近いうちに、な。」
胃が痛くなってきたことを理由ににやにや笑う慶次に無理矢理ほんの少しだけ特設コーナーを任せて店内の休憩室に戻ると、後ろから小太郎がついてきた。
「…何?」
あれはいったい何だったのか俺にはさっぱりわからないし、もしかしたら夢だったのではないかとも思う。そんな出来事の理由を尋ねられても困るのだけれど、小太郎はそういうことを聞きたがってわざわざついてくるような性格でもない。いぶかしんで尋ねた俺に、小太郎は気の毒そうに眉を下げ自分の頬を指差し、ついでにぐいと、同じバイト生の女の子が休憩室に置いていった鏡を押し付けてきた。
「…。」
真っ赤なキスマークに現実を知らされた俺は慶次が何であんなにも笑っていたんだか理由を知ったわけだが、あれは俺の妄想だったと現実逃避することすら出来ないことを悟りざっと青褪めた。
あの伊達ちゃんから逃げられる気が、全くこれっぽっちもしなかった。
She has surpassed her master
開戦たった2分にして、敗戦の色は物凄く濃い。
初掲載 2007年1月19日
改訂 2007年9月19日
Rachaelさま