指の先には、


 「俺、結婚するから。」
 信玄からの文を持参した佐助を待たせ、返事をしたためている政宗のその言葉に、まるでジョークのようだが、佐助は世界が光を失い暗くなった気がした。
 ちょ、待て。竜の旦那は今、何て言った?俺様の聞き間違いじゃなきゃ、聞き間違いであって欲しいけど、結婚する、とか…?
 聞き間違いなわけがなかった。佐助の耳は忍イヤーで、非常に高性能だ。嘆息のような囁きすらも拾い上げ、聞き取れなくとも、唇を読むことで会話を知る。少なくともそのとき、佐助は政宗が「俺、結婚するから。」と言ったのを聞き取った。その上、最悪なことに、政宗の横顔を「やっぱ綺麗だよなあ。」などと呑気に見つめていたがゆえに、唇が紡いだ言葉をはっきりと読みとってしまっていた。
 「…結婚、する?」
 佐助はからからに乾いた口を開いて、おそるおそる尋ねた。意識して努めなければ、涙がこぼれ落ちそうだ。涙など、忍としての精鋭教育を施されてきた佐助は、失してしまったと思っていた。それがどうしたことか、政宗に出会ってからは何事かある度に泣いてばかりいる。我ながら自分が情けない。
 「結婚いいな。」という願望とか、「結婚しようかな。」という予定とか、夢を見すぎかもしれないが、「結婚しよう。」という誘いではなく。「結婚するから。」。それは、もう断定系の、決意に充ち満ちた言葉だ。というか、決定事項として語られている。しかもご丁寧に、「俺、」という前置きつき。
 この前泣いたのは、戦場でまるで知らない他人みたいな態度を政宗に取られたときだった。大道芸と言われたときも、泣いた。ついでに言えば、「俺、たった今アンタのこと嫌いになったよ。」と言ったところ、政宗から何の反応もなかったことに関しては、人気のない場所に行ってから本気で泣いた。嫌われたかと本気で不安になって、焦って、びくついていたところ、その次に会ったときは何事もなかったかのように、というか佐助と戦場で会った過去すらなかったかのように対応されて、またそれが泣けた。
 そんな、今はどうでもいいことを現実逃避でぼんやり考えていると、信玄宛の文を書き終え、政宗が佐助を見た。
 「んだよ。結婚しちゃ悪いか?」
 「え。いや。別、に。…相手はどちらの?」
 目の前には信玄宛の書状。仮に、「幸村をくれ」、などと書かれていたら、佐助はもう生きていけそうにない。目の前で生涯これ以上欲することはないだろうというくらい好いた人が、佐助が離れることは決してできない無二の主といちゃいちゃしていたら、佐助の意外に繊細だったことが最近判明した神経はずたずたに破壊される。きっと、塵芥だって残らないだろう。絶対、再起不能だ。それとも、相手はいつも政宗の隣に侍っている右目だろうか。あの御仁相手では、佐助はみじんたりとも勝てる気がしないし、悔しいくらいお似合いだ。泣けてくる。あるいは、前回攻め入られたときに意気投合したらしい、四国の鬼だろうか。やっぱり気が合ったらしい、風来坊だろうか。
 つまりは、と佐助は思う。つまり、豊臣方を除けば、自分以外の男全員が政宗に気に入られているのだ。小太郎目当てで北条にちょっかいを出している事実を佐助は知っていたし、なんだかんだで光秀とも仲が良いらしいこともまた佐助は知っていた。
 政宗は不思議そうに、思わず腹が立つくらい可愛いらしく睫を瞬かせてから、意味がわからないという風に眉根を寄せた。
 「どちらのって、お前だけど。」
 指の先には、
 「…え?」
 自分がいた。











初掲載 2007年6月25日