武田と上杉との最後の戦いが川中島で行われることが決定したその日。血を血ですすぐ激しい合戦になることが容易く予想される決戦の前に、佐助は悔いを残さないため、米沢城を訪れた。
「あのさ、話が、あるんだけど。」
予告なしに訪れるのはいつものことだったが、天井から突然現れたと思ったら畏まった様子で正座した佐助に、書類と格闘していた政宗は不思議そうに数度瞬きをしてから相対した。佐助に合わせ、政宗もとても真面目な態度になる。
「どうした今日は。」
「いや、あの。」
言葉を濁す佐助を急かすでもなく、政宗が続きを待ってくれたので、佐助は勇気を振り絞って言ってみた。自分に悔いを残さないための、悩み悩んだ結果の、駄目で元々の言葉だった。
「結婚しませんか?」
佐助と政宗の恋人としてのお付き合いは、今日でおよそ一年になる。
出会いは、本能寺だった。信長を暗殺するため忍んだ佐助が、その不幸を遺憾なく発揮して光秀の謀反に出くわしてしまい、そうして光秀に殺されようとしているところにやって来たのが、政宗だった。信長を倒すため軍を率いてやって来た政宗は、伊達軍が到着する直前に謀反を起こして信長を殺めた光秀を、瀕死の佐助の前に割り込んで倒したので、結果的に、佐助は政宗に命を救われたことになる。とはいえ、その後、すでに重傷を負っていた佐助はその場に放置されたのだが、一応、上田に連絡を入れて助けに向かわせてくれたようなので、佐助は釈然としないものを多少感じつつも、政宗に篤く感謝したのだった。なにせ、一緒に現場に居合わせたかすがなど、信長がすでに討たれていることが判明すると、光秀に舌なめずりされている佐助を放置してさっさと帰りやがったので。
それがどう事態は転がっていったのか佐助の記憶は定かでないが、気付いたころには、政宗といわゆる恋仲という関係になっていた。身分違いだとか敵方だとか、そういう考えは不思議と湧かなかった。
佐助が政宗との付き合いを真剣に捉え、結婚を考えるようになるまでは。
本能寺の変ぶりに再会した、政宗と実は仲の良いかすがに罵られたのである。
「貴様、政宗がまがりなりにも深窓の姫君だとわかっているのか!」
かすがに本能寺の変のことで絶対文句を言ってやろうと思っていた佐助は、出鼻をくじかれる勢いで放たれた台詞に、初め、深窓の姫君ってどういう意味だっけ、と思った。深窓、の、姫君。それは、政宗に最も似合わない言葉に違いない。確かに政宗が大事に育てられたのも姫なのも事実ではあるが、どうも、につかわしくない。
佐助が首を傾げていると、かすがが力いっぱい佐助の鎧で覆われていない尻を蹴りつけた。
「ってえ!何すんだよ!」
「貴様が短慮で馬鹿で阿呆で駄目男だからだ!」
その後ひとしきりかすがに罵られ、蹴られ、冷笑され、そしてようやく佐助は悟った。政宗はあれでも、やんごとない身分の姫様なのだ。敵国の戦忍である佐助ごときが話すことは勿論、恋仲になることは元より、抱いてしまったりするなど本来なら到底ありえない話なのだ。佐助は自覚がなかったとはいえ、自分のしでかしてしまった大事に焦った。かすがに文句を言うことなど、すっかり忘れていた。
そりゃあ好いた人とはいつも一緒にいたいし何しでかしたかも自覚したから責任取らなきゃとは思うけどでも俺様ごときがお姫様に結婚の申し出とかしちゃって許されるわけ?でも今更別れたくないっていうか忘れるなんて無理っていうか。でもでも政宗が他の男のところに嫁ぐ、いや違うか、婿取るのは絶対嫌だし俺様耐えられないっていうか。
「どうしよう…。」
頭を抱えて座り込み、本気で、佐助は困ってしまった。本能寺で光秀に、「おや、私など及びもつかない血の香りが。」とうっとり見詰められ、鎌を構えられたときよりも困ってしまった。
更に先日、止めとばかりになされたのは、主幸村の提言である。
「佐助よ。」
かすがとの一件以来、悶々と悩み続けている佐助を呼び寄せ、幸村はこほんと一息ついてから言った。
「ところで、半月後には上杉との決戦があるが…。」
「そうね。それがどうかした?」
「いや、…お主、政宗殿とのことはどうする。」
色恋沙汰に疎く、政宗とのことに関してはこれまで一切口出ししてこなかった幸村の言葉だけあって、佐助は心底驚いた。
「生きて帰る決心で戦場に赴くのは当然だが、今回ばかりは、そうも言っていられん。俺の口出しすることではないかもしれないが、政宗殿に何か言っておいたらどうなのだ。何かがあってからでは、何か、言い残すこともできぬであろう。…というか、佐助お主。政宗殿に何か言いたいことがあるのではないか?」
生還が難しい戦であることは、佐助も百も承知であったが、幸村が不本意ではあるが死を覚悟している事実は衝撃的だった。その上、幸村は佐助が政宗関連で迷いに迷っていることを、口に出さぬながらも察していたのである。
唖然とする佐助に、幸村はどこか恥ずかしそうに、こほんとまた咳をした。
「まあ、俺の口出しすることではないかもしれないがな。しかし悔いがあっては、戦うにも死ぬにも辛かろう。」
いつの間に幸村はこんなに良い男に育っていたのだろう。佐助は小さい頃の幸村を思い出し、ちょっぴり守役としての寂しい想いと男としての敗北感を感じながら、すっくと立ち上がった。幸村が突然立ち上がった佐助を見上げる。
「旦那。悪いけど俺、ちょっと出かけてくる!」
「用意ももう済んでおる。ぎりぎりまで帰ってこなくて良いからな。」
「それはわからないけど。」
ていうか駄目だったらすぐさま半泣きで逆戻りだとは思いますけどね、今日中に。
そんな心情など勿論吐露できるわけもなく、佐助はとりあえず曖昧に笑うと取るものも取らず、考え続けていた結論を、駄目で元々ながらも実行するため、米沢城まで飛んだのだった。
佐助の突然の結婚の申し込みに、政宗は再び数度瞬きし、それから面白そうに笑った。
「何だ。凄え真剣な顔してっから何かと思ったら。そんなことかよ。」
「そんなってっ!」
佐助がどれだけ悩んでいたか少しも考慮してくれない、あまりにあんまりな言葉である。政宗はくつくつ殺しきれていない笑い声を洩らしながら、それまで正していた身じまいをだらしなく崩して答えた。
「Ok. I assent your proposal with pleasure.」
「…え?おーけー?おー…、けー…?」
政宗が後半に何と言ったのかわからなかったが、政宗が良く使うので佐助もOkの意味くらいなら覚えていた。確か、良いよ、とか、承った、という意味だ。
良いよ、とか。承った、とか。
良いよ…?
小首を傾げ逡巡すること数十秒。うっかり停止させていた思考を再び起動させた佐助は、正気に返ると同時に、心底驚いて思わず変な悲鳴を上げてしまった。佐助の反応を窺っていた政宗が楽しそうに笑い声を立てる。
「まじで?!」
「うん?yes.俺が嘘ついたことあったかよ?」
そんなの、考えるまでもない。
「今まで散々あったよ!」
「そうか?」
まだ笑い続ける政宗の様子に、佐助は思わず脱力してしまった。佐助やかすがが思っていたより、事態は深刻ではなかったのかもしれない。幸村のあの神妙な態度も、案外見当違いのものだったのかもしれない。というか、政宗の手によってあまりに些細な出来事で、あまりに見当違いの心配にされてしまった。
ひとしきり笑うと満足したのか、政宗は笑いすぎで滲んだ涙を拭った。
「まあでも、全部はテメエが帰ってきてっからな。」
「え?」
「せっかくこの俺がproposal受けてやったんだ。川中島ではしゃいで死んでくれるなよ、佐助?」
こういうところがあるから、侮れない。あーもーだから大好きと胸中で叫びながら、佐助はぎゅうと政宗を抱きしめた。
腕の中では、政宗が再び吹き出していた。
初掲載 2007年4月21日