第二話 秋風のフロイライン   学校パラレル


 障子越しに射す朝日に、幸村は目が覚めた。枕元に置いておいた携帯を見てみると、時刻は未だ5時半だった。昨夜は佐助と騒ぎ随分遅くまで起きていた気がするのだが、いつも通りの起床時刻だ。寝不足のためか、常ならば目覚めた瞬間からすっきりとしているはずの頭は重い。幸村は込み上げた欠伸をかみ殺すと、大きく伸びをした。再び布団に潜り込む気にはなれなかった。
 担任である上杉は、確か昨夜、寺のお勤めの方に顔を出すと言っていた。お勤めが何時から始まるのか幸村にはわからなかったが、暇だし行ってみようかと思った。しかしその様な場所に一人で行ってみる勇気もなかったので、悩んだ末選択肢から削除した。部活の顧問である武田は秋祭りだからと理由をつけてたらふく酒を飲んでいたから、昼頃まで寝ているだろう。隣で枕を抱きしめ熟睡している佐助を起こすのも忍びない。
 幸村は佐助を起こさぬように、そっと布団から這い出ると、部屋を出た。さて、どうしたものか。ふと幸村は、部屋から少し寺の方へ向かったところに庭園があるのを思い出した。他に向かうべき場所も、コレと言って特に思いつかない。幸村は小さく頷くと、縁側に昨夜の秋祭りから放り出しておいた下駄を引っ掛け、縁側沿いに庭の方へと歩き出した。
 踝を撫でる早朝の空気は幾分か冷たい。秋を実感しながら、幸村は歩を進めて行った。何となく頭もすっきりしてきた気がした。
 「おはよう。」
 後ろからかけられた声に幸村が振り向くと、斜め後方の廊下に政が立っていた。政とかすがが泊まっている部屋を幸村は詳しく聞いた覚えはなかったが、もしかしたら政の背後の障子の向こうが、女性陣二人の部屋なのかもしれない。
 「真田早いな。もう起きたのか?」
 「おはようございます伊達先生。いつも通り目が覚めてしまって。」
 「そうか。」
 浴衣一枚の幸村とは違い、政は上掛けを羽織っていたが、寝起きらしく、普段はきっちり決められている格好が全体的に緩かった。何処となくしどけない姿にドキドキしてしまい視線を逸らす幸村に気付かず、政が問いを口にした。
 「それで、お前どうかしたのか?」
 「いえ、あの。暇なので、昨日見かけた庭でも見に行こうかと思って。」
 「ああ、散歩か。」
 「はい。」
 「ふーん。」
 政は眠いのか幾度か瞬きをし、それから幸村に言った。
 「俺も行こうかな。興味あるし。」
 図らずも片想いの先生と二人きりで散歩をすることになった幸村は、ひたすら緊張していた。今まで政と接する場合は、必ず佐助かかすがか上杉か武田か。何れにせよ、誰か他の人物が間にいた。政と何を話せば良いのかすらわからなかった。何より、政の格好がある。幸村はそれまで、普段のスーツ姿や昨夜の秋祭りで着こなしていた藤の浴衣のような、かっちりした服装の政しか見たことがなかった。しかし寝巻き代わりの藍染の浴衣は、油断など微塵も感じさせない常の雰囲気を、寝起きということもあり随分と緩めていた。
 (ヤバイ。どどどどうすればいい?!佐助、かすが…っ!誰か教えてくれ!)
 隣を歩く政はそんな幸村の心情を、実際はどうかわからないが知らぬ気に、面白そうに庭木や庭石を眺めていた。風流を好む上杉の実家らしく、庭はとても趣味が良かった。幸村はそんな政の横顔を盗み見しながら、ぐるぐると混乱している頭で何を言うべきか悩んでいた。
 「だ、伊達先生。」
 「ん?」
 「そ、その。」
 答えを待つ政に見詰められ、幸村は焦った。顔に熱が集中しているのがわかる。きっと耳まで赤くなっていることだろう。幸村は泣きたい気持ちになり、更に何を言うべきなのかを見失った。
 その瞬間、脳裏にある言葉が湧いて出た。それは常に幸村が抱いていた願望だった。その望みを口にするならば、政の雰囲気が柔らかい今しかないとも思った。幸村はごくりと湧いた唾を飲んだ。
 「実習が終ったら、会いたい、です。」
 緊張で掠れた声は、いつもの幸村からは想像も出来ないほど小さなものとなった。
 「実習って教育実習か?」
 「っ、はい。」
 「終っても、じゃなくて、終ったら。なのか?」
 日本語の間違いを指摘する口振りでの政の問いに、幸村は高鳴る心臓に負けないよう拳を握り締めた。ともすれば心臓は口から飛び出しそうだった。掌は汗で湿っていた。
 「いえ、その。」
 それは、年齢によるものだ。大人の余裕だと、直感力だけは誰にも増して優れている幸村にはわかっている。幸村の未だ歩んでいない歳月を進んだ政の、人生経験差によって生じる余裕だ。そもそもの点で、政が幸村よりも冷静沈着であるということも理由には挙げられた。しかし幸村には、政のその余裕が、現在の『教師』と『生徒』という関係から生じるものに思えて仕方なかった。
 「伊達先生が先生じゃなくなったら、会いたいです。」
 「…そうか。」
 (…ああ、)
 敏い政はおそらく幸村の明け透けな想いなど、疾うの昔から気付いているに違いない。幸村の周りには口の軽い佐助や、女らしく恋の好きなかすがもいる。彼らによって、幸村の恋心が知らされていても不思議ではなかった。
 (それでも伊達先生は、こんなに綺麗に笑う。)











初掲載 2006年12月7日