眠り姫の外れた目論見   童話パラレル


 蔦を伸ばしてくる蒼薔薇を手にしたナイフで斬り落とすと、佐助は手ごろな切り株に腰を下ろした。棘を斬っては進み続ける、という現状が既に2時間続いている。佐助は順応能力こそ高いので慣れはしたものの、主の幸村とは違うごくごく普通の兵士並みの体力しか持たないので、ぶっちゃけ疲れていた。正直、なんとも無茶苦茶な話だと思っていた。いや、今だって思っている。なぜ、幸村は少しも不思議に思わないのだろう。次男で家を継げないから悲観しているのだろうか?信玄のお気に入りだから、絶対爵位をもらえるだろうに。それとも、絶世の美女に目が眩んで?いや、朴念仁にそんなことあるまい。すぐさま考えを打ち消した。じゃあ、確約された以上の権力と富を欲してのことか?
 (まあ、そんな打算はないだろうけどさあ。)
 佐助は小さく溜め息を吐いた。だからこそ、尚更手に負えない。純粋に己の力を試してみたくて、ここまでやってくるだなんて。
 「佐助!早くしろ、再生してしまうぞ!」
 佐助の前方で幸村が叫んだ。
 再生、その言葉がどんなことを意味しているのか、幸村はわかっているのだろうか。それは、嫁取りに失敗したら帰路も同じようにして進まなければならないということではないか。
 佐助は幸村が見ている手前込み上げた溜め息は飲み込むと、のろのろと重い腰を上げた。いっそこのまま、ここに根を下ろしてしまいたかったのに。こんな薔薇を城周辺に張り付かせ、婿志願者の到来を妨害する姫君なんて。佐助だったら、美貌や地位に名誉が付いてきたってお断りだというのに。
 「旦那、趣味悪い。おかしすぎ。」
 (または、馬鹿すぎ。)
 込み上げた台詞の続きは、どうにかこうにか飲み込んだ。


 そもそもの原因は、佐助の仕える国に謙信の紹介で一人の男がやって来たことだった。男はこの棘に覆われた城の国の重鎮で、名を片倉小十郎と言った。
 片倉は王である信玄の前に引き出されると、一つ小さく咳をしてから、とてつもない鉄面眉でとんでもないことをのたまった。
 「我が国の王、政宗様を娶ってはもらえないでしょうか。無論、国を離れられぬ尊い身なので、婿入りという形になりますが。」
 普通、このような願いを直接しに来ることは、外交上しない。よくよく打診した上で、同盟の礎として婚姻を用いるのが普通だった。いわゆる、政略婚というやつだ。
 「ふむ。そなたの国の王といえば、年は若いながらも賢君で、更には天も羨むほどの美貌だと聞く。上杉が褒めておった。更にその上権力と金力までついてくるとなれば、貰い手は引く手数多なのではないか?」
 実は、政宗は男勝りの胆力と力と絶大な魔力でその上気性が荒いとも聞いていたことは告げずに、何か問題があるに違いないと内心踏んでの信玄の言葉に、片倉は少しも顔色を変えずに返答をした。
 「実は、3ヶ月前に19になられた政宗様が行き遅れているのではないか、と隠居なされました前王輝宗様が心配なされまして。政宗様に結婚を示唆なされました。」
 片倉は、ここで初めて感情を滲ませると、微かに眉根を寄せた。
 「輝宗様の長い説得の末、難色を示していた政宗様も、ようやく結婚話を許可したのですが。ご自身よりも強くなければ話にならないと、その日以来城に立て篭もっているのです。極南の毛利殿や長曾我部殿、南の前田慶次殿や果ては明智殿まで話を持ちかけ、いらしていただいたのですが、どなたも城に踏み込めず。説得をお願いした上杉公は、逆に面白がって戻られる始末」
 政宗様の気紛れにも困ったものです。政務が滞るというのに。
 そう溜め息を吐いた片倉の言葉は、佐助が今まで見聞したものの中で、一番酷かった。
 知略で名を馳せる毛利や兵器において並ぶもののいない長曾我部、単身であれば大陸最強と名高い本多忠勝にも並ぼうというツワモノ慶次、織田勢力で絶大な力を誇る明智。彼らですら敗れないほどの守りを敷き、城に立て篭もる女王。理由は、結婚が嫌で。しかも、説得に向かった謙信まで説得する外交能力の持ち主だと。そんなの、聞いたことも見たこともない。こんな状況でもなければ、性質の悪い冗談と笑ってしまうような、そんな話ではないか。
 唖然とする佐助に対し、信玄は酷く心を動かされたようだった。
 「して、謙信が幸村を推薦したと…幸村よ!」
 信玄が吼え、幸村が熱く応じた。
 「何でござりましょう、お館さま!」
 「主、ちと試して参れ。成功すれば大陸一の美姫を嫁取りじゃ。それに、戦がないあまり身体が鈍っては困るからのう!謙信の紹介、であれば、しかと果たすが良い!」
 そう顎を撫で大声で笑う信玄は、世間一般が評する「懐が広い」というよりは、佐助には熱血「馬鹿」に見えた。力比べ感覚で、そんなとんでもない嫁をもらいに行ってどうする。好敵手が紹介したからといって、快く引き受けてどうする。
 しかし、対する佐助の主は、更に馬鹿だった。佐助を尻目に、幸村は大声で叫んだ。
 「しかと!是非この幸村、成し遂げてみましょうぞ!」


 あの幸村の返答は、普通の馬鹿と戦馬鹿とお館さま馬鹿とで相乗した結果だったのかもしれない、と今になって佐助は思う。随行者がたそがれていることなど露知らず、幸村が城門を仰いだ。
 「おお、佐助!あれは何だ!黒いのがいるぞ。」
 「黒おぉ?何のこ…」
 佐助は幸村の視線の先を見て、絶句した。冷や汗が流れ落ちる。ふと、棘だけが妨害の道のりをこなした後、誰も彼もが門を潜れずに引き返したという事実を思い出した。
 (そりゃ、引き換えしたくもなるだろうよ。)
 佐助は、顔から血の気が引いていくのを感じた。
 門の向こうには、巨大な体躯を捩じらせてこちらを睨みつけるドラゴンが、いた。口に纏わりついた炎がここにいてなお、熱風となって佐助の顔を炙った。酷く、熱い。更には生臭い。ていうか怖い。
 「…旦那、命あってのモノダネって知ってますか?引き返しましょう、そうしましょう。」
 (うおーーー、俺、脚震えてるよ!こんなん初陣以来じゃない!)
 どこかで見当違いのことを半ば意識的に考えながらの佐助の言葉を、幸村は聞いていなかった。視線はドラゴンに釘付けなままで、城門に手をかけ、
 「おお、もしや、あれが噂の奥州の竜か!」
 開いた。佐助が止める暇もなかった。門は、存外呆気なく内側に押し開かれた。
 ドラゴンは城内へ入らないものかと、固唾を呑んで幸村の一挙一動を見詰めていた。ドラゴンが声を持つならば、「ほお、おもしろいではないか小僧。」そんなことを言い出しそうな雰囲気を持っていた。慌てたのは、幸村の部下の佐助だ。上司をみすみす殺してしまっては、立つ瀬がない。減給どころの話ではない。ここで、あるいは国での2択だが、どちらにせよ命がない。
 「だだだだだ旦那!何してんですか!」
 「竜だぞ!伝説の生物だ。佐助は見て興奮しないのか?それとも、もう見たことがあるのか?」
 いくら偵察方だからとはいえ、見たことがあるはずがない。
 神々の時代には隆盛を誇っていたドラゴンだが、その大半は神々と共に異世界へ去ってしまった。現在、大陸で生存を確認されているのは、越後の白龍とここ奥州の黒龍だけだ。信玄の生涯の好敵手の治める越後には、同業者のかすがをからかう目的もあってよく訪れるものの、ドラゴンは神代の生物として春日山の奥深くに祭られているから、上杉の王族以外が目にする機会はない。元々獰猛なドラゴンだ。殺されるのを覚悟で見に行くほどの物好きもいないだろう。普通は。
 だが、普通でない者が、佐助の目の前にいる。先ほど思っていた、「馬鹿の相乗」が再び脳裏に過ぎった。
 「あの外皮はどうなっているのであろう。酷く硬そうだが、伝説の通り、神殺しの剣でないと斬れないのであろうか?」
 わくわくと、気分の高揚のままに近付こうとする幸村を必死で佐助は止めた。命がかかっているので、それこそ死ぬ気で、止めた。
 「旦那ああああああ、止めて!!それだけは止めてえええええええ!!!」
 しかし無情かな。如何せん、幸村の方が佐助よりも力が強い。しかも、佐助はここに至るまでの道中で既に疲労していた。
 とうとう佐助を引き摺ったまま幸村はドラゴンの足元へと辿り着くと、ぺたぺたと無思慮にドラゴンの足を触りながら、感嘆の溜め息を吐いた。
 「おお!佐助、見てみろ!俺の掌と、鱗一枚が、大体同じ大きさだぞ!」
 でかい!
 なにやら満足そうに頷く幸村とは対照的に、一方、佐助は死を覚悟していた。常々馬鹿だ馬鹿だとは思っていたが、想像以上に己の主は馬鹿だったようだ。紙一重で、残酷なことに馬鹿だった。天才ではなく。だが佐助の潤んだ視界の向こうで、ドラゴンが面白そうに喉を鳴らした。
 『我に恐れず、城内に踏み込んだのは主が初めてだ。人間よ。名は何という。』
 「おお、話せるのか!」
 『ふん、我を誰と心得る。お主なんぞより、よっぽど長く生きておるのだぞ。』
 「それもそうか。失礼した。某、真田幸村と申す!」
 これはどこの会話だ。
 幻聴かと耳を疑う、この場では唯一の常識人である佐助の前で、ドラゴンと幸村の不可思議な会話は更に続けられていた。
 「そなたは何と申されるのか?」
 『我の真名を明かすのは、この国の王、とりわけ気に入った者だけよ。主には教えてやらん。』
 「む、では何と呼べば宜しいのか?」
 『気高い漆黒の龍とでも、神話の時代の黒き片割れとでも、黒ちゃんとでも好きなように。』
 ちょっと待て、最後のだけおかしくないか。
 常の佐助であればまず突っ込みを入れている選択肢に、幸村はふむ、と一瞬考える顔をしてから答えた。
 「では黒ちゃんで。」
 (よりによって、その選択かよ!)
 未だ衝撃から立ち直ってはいないものの、それでも佐助は今回は心の中で突っ込みを入れた。
 「して、黒ちゃん。政宗殿はどちらに?」
 『政宗ならばほれ、尖塔が見えるであろう。あそこにいるはずだ。』
 「うむ。ありがたい!礼を申す!」
 意外に呆気なく得られた返答に、幸村が頭を下げた。ドラゴンが空気を振るわせて笑う。熱気が辺りを覆った。
 『なに。相手が我に怯えず城門を超えたら、政宗が婚姻を諦めるのが、当初の取り決めだったのだ。礼を言われる筋合いではない。』
 「しかし理由はどうあれ、黒ちゃんの親切に変わりはなかろう。」
 『おかしなことを言う人間よ。主であれば、政宗と気が合うやもしれん。』
 「おかしい…?某がか?ふむ…?」
 ドラゴンの言葉を理解できぬと首を傾けつつ、幸村は佐助の首根っこを掴んだ。
 「何はともあれ、佐助よ。政宗殿の場所がわかったのだ。いつまで腰を抜かしている。行くぞ!では黒ちゃん、世話になった。」
 ぎゅっと引き絞られた襟元に呼吸困難に陥った佐助が文句を言う前に、ドラゴンは言った。
 『頑張るが良い、真田幸村よ。政宗が城に立て篭もって今日で丁度100日。暇を持て余して寝ているかもしれんが、容赦なく叩き起こして良いぞ。目覚めのキスの一つでもしれやれば良い。我が許す。』
 「そそそそそそそそのようなは、破廉恥な!」
 耳まで赤く染めた幸村にとうとう声を出して笑い出したドラゴンを、佐助は誰かに似ていると思った。後々、城に帰還してから思い出すのだが、それは非常に、事態を面白がっているときの謙信に似ていた。


 辿り着いた部屋は、王の私室にしては意外なほど物が少なかった。整理整頓ができないため雑然としている幸村の部屋とは違い、分厚い書籍が積み上げられた机とコートのかけられているハンガーかけ、ふんわりと盛り上がっているベッドしかなかった。きっと執務室や衣裳部屋は別にあるのだろう。
 「何か、女王さまの寝室に侵入してるわけでしょ、ドラゴンさまの許しがあったとはいえ、俺らって。ドキドキしちゃうよね。」
 ベッドの脇に立てかけられた刀が目に付いた。政宗の剣の腕前は国一番の実力で、軍神と名高い謙信とも互角だという。好き好んで陥ったわけでもないが斬り殺されても文句は言えない現状に、佐助は無理矢理軽口を吐き出した。
 「で、どうすんの?本当にキスとかしちゃうの?それこそ殺されると思うけど。」
 「なななななななな何を申す!そそそそそのようなはっ破廉恥な真似、出来るわけがあるまい!」
 「ですよね。」
 主に幸村が、大きな声を出しすぎたのだろう。ベッドの中の気配が揺らぎ、微かに身じろいだ。一瞬の沈黙。そして。
 「ふわあ眠ぃ…って。あ。」
 上半身を起した政宗と幸村の目があった。
 本格的に眠るつもりだったのか、政宗は昼半ばにして寝巻きだった。薄布越しにも形のわかる細身だがしなやかで官能的な身体つきに、幸村が、叫んだ。
 「は、破廉恥でござるっ!」




 「くそっ、裏切り者め。」
 巣穴へと帰っていってしまったドラゴンに悪態を吐く政宗は、現在、幸村の後ろで馬の背に揺られている。結婚が本気で嫌で魔力で棘を張らせたり、ドラゴンに威嚇を頼んだり、説得に来た謙信を説得したりと、大層な仕掛けまでして拒んだというのに。最終的に婿として現れ、試練に成功したのは、「破廉恥でござる!」などと叫ぶと、鼻血を吹きつつ逃げ去っていくような年下の男だった。床に滴り落ちた血を拭いていた従者の方が、まだ、相手としてマシだったと思う。だが、約束は約束だ。約束は果たされなければならない。
 眼前の幸村の腰に回す細腕に力を込めると、政宗は肩口に顔を埋めるようにしてしな垂れかかった。隣を行く佐助の咎めるような視線に少しわざとらしくなったかと思うが、まあ、幸村は気付かないだろうと判断した。幸村の紅く染まった目元と耳元が可愛らしく、政宗の悪戯心を煽った。何にせよ、自分の婿はこの男になってしまったのだ。であれば、少なくとも楽しまなければ。幸村改造計画を脳裏で立てながら、政宗は小さく笑った。
 まさか、1ヶ月と経たないうちに幸村の純情さにほだされて、1年後には前田夫妻もかくやというほどのおしどり夫婦になるなどと。
 幸か不幸か、今の政宗は、知らなかった。











初掲載 2006年10月25日
改訂 2007年9月20日