隣のお姉さん   現代パラレル


 月曜の全校朝礼、いつきはぼんやりとしていた。
 昨夜は隣向かいのお姉さんに遅くまで勉強を見てもらう、という名目でお姉さんの家に泊まった。いつきには良くわからなかったが、お姉さんは大学院、それも法学部に通っていたから、教育ママであるいつきの母の心証も良く、「勉強を教えてもらうんだべ」、その一言で大抵のことは見逃された。実際は夜通し飼い犬と戯れていたため、いつきは少し寝不足気味だった。いつきは犬が大好きなのだ。それなのに、母は「犬なんて飼って、それが勉強の何に役立つの?」と飼わせてくれない。その点、お姉さんは犬好きのいつきにとってとても良い隠れ蓑であり、それと同時に非常に大好きで目標にすべき人物でもあった。いつも眼帯をしているのが少々難だが、そんなの問題にならないくらい美人なのだ。いつきがお姉さんに初めて会ったとき、思わずモデルかと思ったくらいである。おまけに頭も良いし、どうやら金持ちでもあるらしい。いつきが尊敬の念を抱くのも当然のように思われた。
 校長の話はいつも通りもったいぶっていて、真面目に聞くと更に眠気を増長させた。首がカクンと前に倒れそうになるのを、いつきはどうにかこらえ、わいた欠伸もかみ殺した。
 (もういい加減終わって欲しいべよ。)
 うつらうつらとしながら、いつきは矢継ぎ早に紹介されていく教育実習生の中に、見た覚えのある人物を見た気がした。


 ところで、美人のお姉さんには当然のように恋人がいる。美人は世間が放っておかない、ということなのだろう。
 お姉さんの恋人に、いつきは直接会ったことはない。ただ遠くから、あれがあのお姉さんの恋人かと観察しただけである。観察という点では母の方がしっかり見ているようで、「あれは年下ねえ。」とか「格好良いわねえ。」などと何故か自分のことのようにはしゃいではいつきに報告してくる。母が言うとおり、お姉さんの恋人は見た目は格好良かった。だが、笑うといっぺんに可愛らしく見えてしまうような人でもあった。愛嬌があるとでも言えば良いのだろうか。くるくると目まぐるしく変わる表情にお姉さんもつられるのが、いつきには少し不思議で、でもそれは何となくではあるが嬉しいことでもあった。
 お姉さんの恋人を見るたびに、いつきは思うことがある。
 お姉さんの恋人、その人は本当に犬に良く似ているのだ。思わず、もしかしてしっぽがついているのではないか、と後ろに回って確認したくなるくらいである。犬ならば触ってみたい。それが、最近のいつきの願望である。


 朝礼が終わり、クラスごとでのHRの時間になった。1時間目はLHRだ。今日は何をするのだろう、といつきは大きく欠伸をしながら筆記用具を机から取り出した。
 その時、後ろの席の女子に小さく袖を引かれた。
 「ねえねえ、うちに来る人、どんな人だろうね。」
 「?何がだ??」
 「えー、いつき聞いてなかったの?今日から教育実習生来てるでしょ。うちのクラスにも来るんだって!」
 「へえ。」
 そういえば、聞き流していたが、そんなことも言っていた気がする。
 気のないいつきの様子にも気付かず、女子は言葉を続けた。
 「わたし、あの格好良い人が良いなあ。恋人いるのかな。」
 そわそわと落ち着かない様子から察するに、どうやら恋の予感がしているらしい。
 「そったら人覚えてねえけど、恋人いねえと良いな。」
 昨夜のお姉さんの飼い犬の夏毛に生え替わるモコモコ感を思い出しながら、いつきはそう言った。
 そのとき、やっと担任が教室に入ってきた。後ろに何やら若いのを引き連れている。あれが教育実習生であろうか。犬の回想に熱中していたいつきは、さして気にも留めず、手をにぎにぎさせていた。
 「じゃあ、さっきからみんな気になっていると思うが…教育実習生を紹介する。…じゃあ、あとは。」
 「はい。」
 だから、いつきはこのとき初めて教育実習生の顔を見たのである。
 「今日から1ヶ月お世話になる、真田幸村と言います。若輩者ですが、宜しくお願いします。」
 直角になりそうな勢いで頭を下げた教育実習生に見覚えのあったいつきは、ぽかんと口を開け、思わず、言った。
 「政宗姉ちゃんの恋人さん、なしてこんなところにいるだか?」
 その言葉に「え?」という顔をしたのは、真田だけでなく、いつきの後ろの席の少女も同じだった。違うのは、その後真田が顔をゆでたこのように赤くし、反対に少女はみるみる間に泣き出そうな顔になっていった点だろう。




 こうして、何気ないいつきの一言で、真田はこれからからかわれまくるであろう教育実習を始めなければならないのだった。
 なお、いつきは一念発起し、念願の真田の背後に回り込んだが、やはり人間らしくそのおしりにはしっぽはなかった。











初掲載 2006年9月12日