恋とはどんなものかしら


 釜から出したそれを見て、初めてにしては上出来だと政宗は満面の笑みを浮かべた。宣教師による説明と英語で書かれたレシピを頼りに、政宗が勘で作り上げた海向こうの料理、林檎のパイだ。
 政宗は一応生物学上は女であるが、男として育てられたためか元々なのか、甘味はあまり好めない。それでもこんな甘ったるいだけの洋菓子をちゃんと出来るかはらはらしながら作り上げたのは、幸村が甘いものが好物だからだ。
 林檎の礼に後でいつきにも作ってやろうとパイの乗った鉄板を持ち上げて政宗はくるりと一度回り、はっとして周囲を見回した。菓子作りを成功させた喜びに当主がこんなに浮かれているなど、見られて嬉しいものでもない。恥ずかしいにもほどがある。しかし幸い誰もいなかったようで政宗はほっと胸を撫で下ろし、それから窓へ視線を向けた。書状に記されていた到着時刻にはまだ大分時間があるが、この後、生クリームが控えているのだ。あれを作ってミントと共に添えなければ、完璧主義の政宗としては納得出来そうになかった。何しろ、幸村に出す物でもある。慌てて鉄板を卓に置いて政宗は氷室へと走った。時間は大分あるにはあるが、絶対に相手は気付かぬだろうが、その後おめかしも待っているのだから急ぐに越したことはない。
 不本意なので誰にも言わないが、最近、政宗には好きな男が出来た。言わずとも喜多や愛にはばれている上、小十郎に至っては相手を斬り殺してくれようと刀を研ぎつつ機会を覗っているらしいが、好きな男が出来てしまった。大抵のことは既にやり遂げ、残るは天下取りくらいなものだと思っていたが、人生初めてのそれに政宗は正直戸惑っている。まさか他国の年下男、それも好敵手を好きになってしまうとは。成実が出奔する訳である。


 全部準備を整えてしまい、政宗は今か今かとその到着を待ち受けていた。到着まで一応執務をすることにしたのだが、一向に進む気配はない。ふと思ったように墨を磨ったり筆を墨汁に浸してみるが、いっかなやる気が出てこない。ちらちら何度も外を見やってはまだかまだかと待ち続け、政宗はとうとう音を上げた。気にかけているとばれたくない。ばれたくはないが、それでも気になる。
 「小十郎、」
 政宗が振り向くと、それまで政宗の挙動不審を指摘したりせず静かに控えていた小十郎が呆れたように溜め息を吐いた。
 「政宗様、お召しに墨が垂れそうです。まず筆を置くのが先決かと。」
 「…。」
 「それに、着いたならばあの煩い武田の小僧のことですから、すぐさまわかるでしょう。」
 「…、そうだな。」
 その返答に己のことが恥ずかしくなり僅かに耳を赤くした政宗に、小十郎が一言告げて部屋を出た。すぐさま戻るということである。その後何かを殴りつけるような重い音が廊下から微かに聞こえてきたが、最近はよくあることなので政宗もさほど気にしなかった。
 そのとき、たのもーと大きな声がした。幸村が来たのだ。政宗はばっと立ち上がりかけ、それから慌てて再び座った。幸村の到着にこれほど胸を焦がしているなど、ばれて嬉しいものではない。大体、前に猫は笑って政宗にこう言った。
 「大体、男なんて待たせるものですよ。待たせて待たせて待たせ続けて、そうして欲しいと懇願させる。それが女の駆け引きってものです。」
 だが、とそのとき政宗は出かけた言葉を飲み込み、こちらを見詰める猫に笑った。
 「…殿、何か誤魔化していませんこと?何を仰ろうとしましたの?」
 猫は眉をひそめてそう訊いてきたが、政宗は曖昧に笑い誤魔化した。だが、男にその気がなかったら、女の仕掛け損じゃないか。空回りなど見苦しすぎる。それは伊達の矜持が許さない。
 だが、結局、政宗は空回りしている。幸村のために洋菓子を作り、幸村のためにめかしこんで、こんなのは俺じゃないと思いながら空回りし続けている。居た堪れなくなり政宗は俯いてから、やっぱり無理と立ち上がった。


 応接間に案内されていた幸村は政宗の登場に目を輝かせた。
 「政宗殿、本日も麗しく!」
 はにかんでそう言われればそれだけで嬉しさが込み上げ、政宗は必死に顰め面を作り上げねばならなかった。それでも可能な限り素っ気無い声で政宗が幸村の訪問の用件を訊ねると、幸村の呼び声に応えて何処からともなく佐助が現れ、書状と小箱を手渡した。
 「お館様からこの書状で、」
 幸村は政宗に書状を渡して躊躇うようにいったん詰まり、ちらりと政宗を見上げた。
 「その、某から…是非受け取って頂きたく!」
 「…この箱か?」
 「はい!政宗殿に似合うのではないかと思いつい持ってきてしまった!」
 差し出された小箱は掌に納まるサイズで、見慣れない手触りの良い布張りの箱だった。それは初めて見るタイプの箱で政宗はどう開くのかわからなかったが、政宗の掌からそっと小箱を取り上げて幸村が上下に蓋を開いた。興味を惹かれて覗き込めば、中には指輪が収められている。指輪を随分丁寧に仕舞ったもんだと政宗は内心密かに思った。女として生きてきた過去がないので、それがどれくらいの価値があるのか正直政宗にはわからなかった。
 「thanks.…でもこれ、高いんじゃねえのか?」
 「そのような!政宗殿はお気になさらず…某が贈りたくて贈ったのだ。」
 「…そうか。じゃあ、有難く頂戴するぜ。」
 指輪をしげしげ見詰めてから、政宗はそれを受け取った。一応貰いはしたものの着けるかどうかわからなかった。指に装飾品など着けていては刀も満足に握れないし、手作業するにも邪魔である。それでも幸村にもらったものだと思えば、正直嬉しくてたまらなかった。何か佐助が口を出そうとしたようだったが幸村がすぐさま目で制したので、「そういえば俺も幸村にやりたいものがあるんだ。」とパイを取りに向かった政宗は気付かなかった。


 パイを乗せた大皿を手に持ち戻ってくると、佐助の姿が消えていた。政宗は首を傾げながら卓の上へ皿を置いた。
 「忍はどうした?」
 「その、言い難いのだが喧嘩をいたした。」
 「喧嘩?あんな短い合間にか。」
 「短くとも喧嘩をするときはある。…それは見た事がない食べ物だが、何でござろう。」
 政宗は話を逸らされた事実に気付いて、その話題にはもう触れないことを心に決めた。
 「これはアップルパイ、林檎の焼き菓子だ。向こうの菓子で丁度レシピが手に入ってな。暇だし試しに作ってみた。」
 勿論、嘘だ。懇意の宣教師からレシピをもらい、どうにか頼むと教えを乞うて、その上航海士からビタミン補給用の大事なレモンまで分けてもらった。今回のために釜も改造し飯炊き女に嫌がられたが、それも当主の遊びのうちだとやっとの思いで見逃してもらった。朝から必死に小麦粉と格闘し続けた。全部、幸村のためだった。偶然でも何でもない。政宗の努力の結晶だ。しかしそんなことを告げられるはずもない政宗は努めて偶然を装い、切り分けたパイを皿に盛り付けた。勿論、生クリームとミントの葉を添えることも忘れなかった。
 「ほら。」
 「おお、有難く頂戴いたす!」
 「良いって。まあ、大したもんじゃねえが。」
 宣教師からもらった茶も入れ、幸村のものにはミルクと砂糖をたっぷり入れた。政宗は勿論ストレートだ。それをゆったり飲みながら、隣で美味い美味いとパイを食べる幸村に政宗は胸が苦しくなった。やっぱり誰にも言いたくないが、幸村のことが好きでたまらない。


 その頃、従者たちはといえば。
 「わーざわざそっちの流儀に合わせてあげたのになんで向こうの風習知らないわけ?旦那が身振り手振りで宣教師に聞いて調べて、頑張ったのに。しかもすっごい高かったのに、そっちが気付かないもんだからそのままあげちゃってるしさあ。」
 「はっ。んなこと知ったことか。てめえらの方こそ政宗様がどれだけあの菓子を出すのに大変な目にあわれたか思い知るんだな。その上、折角めかしこんでいらっしゃるのに、てめえの主の朴念仁はそれに気付きもしねえじゃねえか。」
 小十郎の執務室で佐助と小十郎はしばし睨み合い、ふんと互いに顔を逸らした。主馬鹿の二人である。その大好きでたまらない主を、自分から奪い取りそうな者の右腕である相手が気に喰わないのはお互い様だ。第一、話しているだけで胸糞悪い。佐助はさっさと用事を済ませてしまおうと懐から信玄の書状を取り出した。
 「うちの大将からあんたたち三傑にって。」
 「政宗様ではなく俺たちに…?一体、何の用だ。」
 「知るわけないじゃん。一介の忍の俺様が。」
 へっと鼻先で笑った佐助を小十郎は視線だけで殺せそうな勢いで睨み、それから書状を開き検め、勢い良く立ち上がった。強かな動揺に、書状を握る手が震えている。一体どんなことが書いてあったのだろうと流石の佐助も気になった。
 「何が書いてあったわけ?」
 「…てめえのとこの、主に。」
 「旦那に?」
 怒りに続けることが出来なかったのか、小十郎は佐助へ書状を投げつけた。それに強く不満を覚えたものの、非難するのは後でも出来ると佐助は書状を読むことにした。そして、叫んだ。
 「っんなっ、何これ!はあ?!」
 「知るか!文句はてめえのとこの大将に言え!うちの政宗様はやらんぞ!」
 「うちの旦那だってあげないよ!うちからそっちに婿入りって書いてあるじゃん!」
 あらまたやってるのねと茶を出しに来た喜多は微笑み、そそくさと茶を差し入れ立ち去った。実はこっそり廊下で話を聞いていたので、手にはしっかり書状があった。結婚に反対必至の弟に隠蔽されてはたまらない。喜多にとっては幸いなことに、頭に血が上っていた二人は喜多が来た事実にすら気付かなかったようである。小十郎が口出ししない今のうちに、全部決めてしまいましょう。喜多の足取りは軽かった。努めて我慢しなければ笑い声を洩らしそうだ。成実は出奔を機に諦めたようだし、綱元は元から賛成している。何より当人たちが乗り気なのだから、この縁談は成立するだろう。今、さっさと決めれば良い。
 式には是非いつきも呼びましょうと決めて、喜多は愛と猫の元へ向かった。











初掲載 2007年10月18日