政宗の姿を求めて駆け出した幸村は、外の様子に小さく息を飲んだ。風が強い。嵐が近いのだ。
だが、だからといってここで挫けるわけにはいかない。最愛の者の命がかかっていた。
「…もう亡くなってるかもしれません。」
つつがなく式を終え浮かれた幸村に、佐助はそう言った。若干伏せられた目は沈鬱な色をしていた。
「少なくとも、帰ってくることはないでしょう。」
理由は教えられなかった。佐助は頑なに口を閉ざし、わけがわからず呆然と立ち尽くす幸村にそっと視線を流すといずこかへ去ってしまった。
風が頬を打った。幸村は顔を腕で庇い、走り続けた。屋敷の馬は一頭も欠けることなく、揃っていた。誰かが助けを出さない限り、政宗は徒歩でいるはずだ。
佐助は政宗が死んでいるかもしれないと言った。
何故、政宗は幸村の元を去ってしまったのだろう。皆に祝福されながら式を終えたのは、ほんの先程のことだった。
幸村は唇を噛み締め、一心不乱に北を目指した。佐助の言葉が真実ならば、恐らく政宗は北にいるに違いない。北には、天空に切り立つような崖があった。
吹き荒れる暴風の中、黒雲を従えるようにして政宗は崖に立ち尽くしていた。
「政宗!」
ゆらりと政宗が振り返る。その白い面に、幸村は隠しきれない絶望を見た。
「政宗、どうしてこんなところに…。さあ、共に帰ろう。」
「来るな!」
政宗へと駆け寄った幸村に政宗が叫び、強い拒絶の言葉に幸村の動きが思わず止まった。
数歩進めば手が届く位置にいるにもかかわらず、幸村は政宗を酷く遠くに感じた。
「政宗…?」
青い唇を慄かせ、政宗は何かを言うように口を開いた。だが、噛み締めるように引き伸ばし。
政宗は歪んだ笑みを浮かべた。
「…お前が殺したのか。」
政宗は今、何を言ったのだろうか。
「今、何と。」
漏れ出たのは吐息のように掠れた声だった。
「お前は、…。」
政宗が腰に穿いた刀を突き出すのに合わせ、天から雷光が落ちた。切っ先を向けられたが、あまりの衝撃に何の感慨も覚えなかった。
政宗は、今何と言ったのだろう。
「お前だったのか、幸村。」
戦場で見かけた青い龍に魅入られた幸村が、政宗を手に入れるため払った犠牲は少なかった。
だが一つ。どうしてもばれてはいけない真実があった。
あの日。豊臣との戦で負傷した片倉に止めを刺したのは幸村であると。
決して政宗に知られてはならなかった。
真実を知る者はいなかったはずだ。その場にいた者は皆、敵味方を問わず殺めた。そして豊臣を倒し、無二の腹心を失くした伊達を武田の傘下に納め。そんな中、幸村は傷心の政宗に近付き、傍らに並ぶ権利を手に入れた。
先程挙式を終え、もう何も不安材料は残されていなかったはずなのに。
佐助が洩らしたのだろうか。
雲の僅かな間隙をつき、月光が一筋射した。荒れ狂う風はより一層激しさを増している。
「政宗。」
眼前の刃が雷を反射して放つ光を、幸村は不思議と白い気持ちで見詰めていた。
政宗から最愛の存在を奪ったのは幸村だ。それは変わることない事実だった。
許されたいとは思わなかった。ただ、狂おしいほどに政宗の全てが欲しかった。他には何一つ要らなかった。
「…幸村。」
憎悪ではなく絶望と悲痛に、政宗の隻眼から一筋の涙が流れ落ちた。
涙を拭うため伸ばした腕は払いのけられることなく、政宗の血の気の引いた青白い頬に触れた。
悲しみを覚えるほど、その頬は冷たかった。
全てを暴く月明かりを閉ざした闇の中でなら、
この想いは報われるものと信じていた。
初掲載 2007年1月15日