神奈川県小田原市にほど近い場所に、ほうじょう商店街はある。「ほうじょう」という名の由来には数説あって、豊臣秀吉による小田原征討までこの一帯を支配していた「北条」氏から取ったものであるという説、それなりに大きな仏寺があることから「法場」という説、「放生」会が行われる際の出店がいつしか商店街化していたという説、いつのことだかは定かではないがかつては肥沃な土地であったため「豊饒」という説がある。他には、自称北条氏の子孫であるという豆腐屋の「北条」さんから取ったという説もあるにはあるが、あまりにそれは荒唐無稽なのでおそらくないだろう。
何はともあれ、そのほうじょう商店街は今大変な危機に瀕していた。隣町に総合スーパーができてしまったのだ。その総合スーパーは全国的にCMも大々的に流しているような大企業関連のもので、市長自らが必死になって誘致しただけあって、とてもではないがほうじょう商店街では太刀打ちできそうにない立派なスーパーだった。
それでも最初のうちこそ、ほうじょう商店街の面々は何とかなるのではないかと楽観視していた。今まで培ってきた客との絆や商店街ならではの個性溢れる商品が、総合スーパーごときにそう易々とやられるはずがないと信じていたのである。しかし二ヶ月も経つ頃には、それが甘い考えであったことを否応なしに知らされるのだった。総合スーパーができるまで活気付いていたほうじょう商店街は、閑散としてしまっていた。
「なあ、やっぱここはオレ達が何とかしねえといけねえんじゃねえのか?若い衆としてよう。」
人気のない商店街を見回しそう言う(有)長曾我部工務店の若頭、長曾我部元親に、毛利医院の跡取りである毛利元就は面倒臭そうに視線を投げかけた。
「だが、何とする。口先で言うだけならば、鮪でも出来るぞ。」
「いや、まぐろは無理だろ。」
そもそもなぜ鮪を例えに出したのか理解に苦しむが、この元就という男は魚を例えに出すのが好きだった。元就は表情を少しも変えず、鼻で小さく笑った。
「第一貴様、そう言っては商店街おこしと称してイベントを開催しているようだが、一向に成功していないではないか。この前は、出店を呼んで祭りを開いていたな。」
「うっ、」
元親は元就の台詞に反論できず、たじろいだ。
先日、元親の発案で行った放生会復活イベント(仮)は昔ながらの出店を呼び、結果、その日に関してはそれなりの集客効果はあったのだが、その日一日限りの成功となった。その日以外、客が来なかったのである。再び開催しようにも、出店の電気コードや商店街内の通達や出店と商店側の軋轢など、多くの問題が発生したため、あまり上の人間が乗り気でない。自称青年会及びほうじょう商店街復興会の会長である元親は、育った環境柄年長者に重きを置く傾向があるため、上の人間が嫌だと言えばあまり強硬手段にも出ることができない。
元就はいじけ始めた元親をしばらく面白そうに眺めていたが、ほうじょう商店街を見回し、溜め息を吐いた。
「しかしやはり、貴様の言う通りこのままではなるまいな。」
ところで自称北条氏の末裔であるという北条豆腐店の店主は、現在はご隠居の身である北条さんがどこからか拾ってきた青年である。名を風魔小太郎という。北条さんが何となく犬猫でも拾うような感覚で連れてきた小太郎青年は、試しに豆腐作りの手伝いをさせてみたところ、北条さんが唸るほど覚えが早かった。幸か不幸か、北条さんは子どもとの間に軋轢があったため跡取りもなく、歴史ある北条豆腐店はすわ閉店の危機かと思われていたが、北条さんは持病の癪がどうのこうのと小太郎をうまいこと跡取りにさせてしまった。小太郎は、呆れるほど人が良かったのである。何より小太郎が、身寄りのない北条さんを哀れに思っただけでなく、豆腐作りに愛情を感じ始めていたことも、店を継ぐ決心をした理由には挙げられよう。
こうして北条さんから秘伝の技を学び、北条豆腐店の店主となった小太郎だが、この小太郎の従兄弟の猿飛佐助という男の元に、餅は餅屋、元就の提案で元親が連絡をしたことから全ては始まるのである。
「ん?」
その日佐助は、出勤して早々開いたメールボックスの受信箱に、見慣れない宛先からの一通のメールを発見した。HSRCとなっている。新規の顧客だろうかと佐助が恐る恐るメールを開いてみると、はたしてそうであった。ほうじょう商店街復興委員会、ホウジョウショッピングストリートリバイバルコミッティをどうやら略してHSRCとしているようである。
ほうじょう商店街、どこかで聞いたような名だ。佐助は缶コーヒーのプルタブを引き上げながら、首を捻った。はてさて、どこで聞いたのだったか。ほうじょう商店街。商店街に知り合いなどいただろうか。男やもめの佐助は主にコンビニのお世話になっていているし、仕事でも商店街に関わった覚えはない。
咽喉元まで出てきているようなもどかしさに頭を抱えながらも、佐助はひとまずメールの内容を見て、困ってしまった。大体宛先を見た時点で予想はついていたが、到底、佐助の勤めている武田広告代理店では受けられそうにない内容だった。商店街の町おこしをして欲しいというのだ。昨今は「なんでもやります」と掲げる広告代理店が多く、武田広告代理店も一応そう売り込んでいるが、実際には得手不得手、できることとできないことというものがある。武田広告代理店は、武田不動産屋を運営している信玄社長が、どうせならばと広告部門を別に会社として起こしたのがそもそもの始まりということもあって、旅行や不動産関係に強い広告代理店であったが、他の分野には疎かった。何より、町おこしができるような規模のでかい店でもなかった。
しかし、どこかで聞いた覚えのあるようなデジャブを感じるほうじょう商店街だ。何とかしてやりたい気持ちも起こる。佐助は頼れそうな商売仲間の顔を、次々に脳裏に浮かべていった。上杉広告代理店に勤めるかすが。しかしかすがは社長秘書であって営業や企画に携わっているわけではないし、上杉広告代理店は女性をターゲットにした飲食やホテルや美容などといった分野しか仕事は請け負わない。織田広告代理店、ここは町おこしもできそうな大手代理店ではあるが、不動産を得意としているので武田広告代理店と何かと客層が被る傾向にある。つまりライバル店なのだ。わざわざ敵に客を回してやることもあるまい。
他にも数店候補を挙げてみたが、何だかんだで候補から消えていき、とうとう佐助はつまってしまった。元々、佐助の知り合いの広告代理店というものは小さい規模のものが多いのである。町おこしには適さない。
「町おこし、ねえ。いや、この場合は商店街おこしって言うべきなのか?何にせよ困ったな。」
「佐助よ、何を独り言を言っておる。」
ふいに降った声に佐助はパソコン画面から視線を外し、背後を振り返った。そこには武田不動産所属だが佐助の上司でもある真田幸村が立っていた。
「旦那。どうしたの今日。こっちに来るなんて珍しいじゃない。不動産の方は?今週いっぱいつぶれるとか言ってなかったっけ?」
「物件のことで保険会社との話が入っていたのが、意外に速く終わってな。昨日で終った。だから今日一日暇なのだ。」
「そりゃいいね。」
やるべきこともやったのだ。ならば少しくらい休めば良いのにと佐助などは思うのだが、仕事の鬼でもある幸村は、尊敬する信玄が働いている限り休もうとはしないのだった。
「それで、何が困ったのだ?」
「いやね、それが。町おこし…商店街のなんですけど、依頼が入りまして。」
「それで何を困っているのだ。受ければ良いではないか。」
佐助の上司ではあるが不動産一筋でやってきて広告業務にはノータッチということもあって、中々に勝手なことを言う男である。しかしいつものことなので、佐助はこれも信頼の証かな、と思いながら幸村に告げた。
「うちみたいなところじゃ、町おこしなんて引き受けられませんよ。うちの主力は不動産で、しかも別にこれといって実績もないでしょ?」
「実績がなければいけないのか?」
「そりゃあ、ないよりはあった方が安心ですし。復興のためのプランニングもありますから、例え向こうがプランニングに納得したとしても、うちのプランニングが駄目で町おこし失敗したなんてことになったら、莫大な費用の請求が来ますよ。たぶんですけど。」
「ふむ…。」
顎に手を当て、考えること数秒。幸村は言った。
「町おこしの実績はないが、政宗殿のところならどうだ。会社を興したであろう。」
「ということで、伊達ちゃんどう?」
ほうじょう商店街復興委員会から仕事を請けるか否かは別としてひとまず資料だけ請求し、その資料を手に佐助は伊達アドバーティシングエージェンシー、略してDAAを訪れていた。DAAは上杉広告代理店で腕を磨いた政宗が去年独立して興したもので、設立してまだ間もないが、実績だけは誇っていた。
上杉代理店時代から敏腕で知られる伊達政宗は、スリットスカートのブラックスーツに黒皮の眼帯という珍妙ないでたちの女だが、それが非常に似合う美しさとそのような形でも咎められないだけの実力を有する実業家である。政宗は形の良い長い足を組みながらざっと書類に目を通すと、ひどく楽しそうに唇を吊り上げた。
「商店街で町おこし、か。面白そうじゃねえの。なあ、小十郎?」
政宗の問いかけに、背後に控えていた強面の一見した限りではその筋の男である片倉小十郎が、意見した。
「しかし政宗様。これは少々、規模が大きすぎるのでは…。」
「Ha!何言ってやがる、小十郎。これくらいこなさねえと、上場はいつまでたっても夢のまた夢だぜ。それに、成功すりゃ社の良いadvertisementになりそうだしな。」
仕事を持ってきた佐助は、いつ見てもそっちの世界の人間にしか見えないよなこの二人、と思いながら政宗と片倉のやりとりを眺めていた。組長か幹部の愛人と、その護衛といった感である。これで実際は大手メーカー元会長の長女で元社長候補と、元々はその社長の幹部候補生だったというのだから、見かけで人はわからないものである。
実は今回、佐助がDAAに仕事を持ってきた理由には、その莫大な資金力も挙げられた。お家騒動で跡取りからは外されたそうだが、未だに政宗は大手メーカーの株の15パーセントを有する大株主なのである。比較すれば広告代理店の給料など雀の涙でしかないほど、株による収入は大きい。
「それで、受けてくれる?」
佐助の問いに、片倉を納得させた政宗はにやりと笑った。人の悪い笑みだった。
「sure!俺に万事任せておけ。」
期待通りの返事だ。佐助はへらりと笑った。
まったく、佐助の趣味ではないが、いい女である。
佐助から連絡をもらった青年会会員、正確に言うと自称会長によって会員に任ぜられた元就と小太郎は、町唯一のファミリーレストランで元親と広告代理店の人間が来るのを待っていた。当の会長が未だ来ていない事態に、元就の機嫌は恐ろしく悪い。待たせることは好きだが、待たされることが嫌いなのである。その上、小太郎が極端に無口なこともあるし、元就もそう積極的に話す方ではないので会話もない。元就は舌打ちを堪えながら、隣でドリンクバーの緑茶を飲んでいる小太郎に言った。
「餅は餅屋。今度こそ上手くいけば良いがな。大体、初めからこうしておけば早かったのだ。あの使えん男が使えん案を出して自力でどうかしようなどおこがましい。鯨を沼で釣ろうとするようなものだ。」
確かに鯨は沼で釣れはしないが、何ともコメントのしがたい表現を用いる元就に小太郎は内心困った。目も据わり始めてきているし、元就は本気で苛立っているようである。このままでは、馬鹿馬鹿しいと言って帰ってしまうかもしれない。元就がいなければ元親と小太郎でどうにかするしかないが、二人ではどうにかする自信がまったくなかった。
「悪い悪い!待たせちまったな。」
その不穏な状況を露知らぬ元親が鷹揚に、元就と小太郎の着いているテーブルへと歩いてきた。後ろにその筋の人間にしか見えない男女を連れている。またぞろトラブルを背負い込んだのではあるまいな貴様、と眉間の皺を深めた元就に、元親は朗らかに告げた。
「そこでちょうど広告代理店の人とあってよ。」
「DAA代表をしてる伊達政宗だ。こっちは部下の片倉小十郎。どうぞよろしく。」
政宗は自身と片倉の説明を簡単に済ますと、元就と小太郎に名刺を手渡した。何か騙されているのではないかと無表情の下で元就はそんな懸念を抱いたが、それも尤な反応だろう。あまりにも政宗と片倉はその筋の人間らしかった。片倉に至っては何が原因なのか推測するしかないが、頬に大きな傷痕まであった。
しかしそんなことをも隣に思われていることを知らない政宗は、周囲を見渡した。あの派手派手しいオレンジ頭は見えないようである。目の前の一言も発していない青年も派手な赤毛で、元親という男も銀髪であるし、もしや自身の知らぬところで派手なカラーリングが流行っているのだろうか、と流行に敏感な政宗はちょっとした焦りのようなものを感じた。
「それからまだ来てねえみたいだが、一応、仲介者の…」
「うわー、遅れてすみません!」
丁度そこに、どたばた走ってきた男がいた。着崩しただらしない軽薄そうな男である。佐助だ。佐助はぜえぜえ肩で息つき、実際にはみんな幾分早く到着したのでギリギリ待ち合わせに間に合っているのだが、遅刻の説明をした。
「ちょ、ちょっと仕事が立て込んでまして、」
「どうせ幸村が団子が喰いたいとか出掛けに言ったんだろ。」
「…っ、伊達ちゃんは黙って!」
世の中には派手な髪色か見た目がやばいかの二通りの人間しか存在しないのか、と佐助の髪に胡乱な視線を向ける元就には気付かず、佐助は一度大きく深呼吸をして呼吸を整えると、言った。
「初めにご連絡いただきました、武田広告代理店の営業・デザインをしております。猿飛佐助と申します。どうぞ」
そこで佐助ははっと目を見開き、非常に驚いた表情で、未だ一言も言葉を発していない小太郎を行儀悪く指差した。
「なんでお前、ここにいんの?」
北条豆腐店の店主を務める小太郎だが、その前歴は謎に包まれていた。商店街の人間のみならず、拾ってきた北条さんですらも知らないのである。そんな身元不詳の男を店長に据えてしまう北条さんも大概だったが、いっさい前歴を口にしなかった小太郎も小太郎であろう。
さて、その小太郎であるが、小太郎がほうじょう商店街に出現してから苦節9年。ようやくその謎が解き明かされるというのである。元親と元就は口に出さないながらも、内心ひどく興奮していた。てっきり小太郎は身寄りのない天涯孤独の身だとばかり、下手をしたら記憶喪失はたまた他国からの密入国者なのではないかとまで噂はあったが、とうとう真実が語られるのだ。当人の口からではないが。
「そっか。かすがが言ってたのってここだったんだ。あー。だからなんかほうじょう商店街って聞いた覚えがあるような気がしてたのか。」
「かすががどうかしたのか?ていうかどういう関係なんだよ。説明しろ。状況がわからねえ。」
一人で納得した様子の佐助に不満をこぼしたのは政宗だった。
「うん、話せば長くなるけど…。」
「それでも聞きてえよ。なあ、元就?」
「うむ。」
予想外の返答に、佐助は困ったように頭を掻いて小太郎を見た。
「小太郎、お前。何にも言ってないの?」
「…。」
返事はない。だが慣れた様子で佐助は首肯すると、小太郎と自身の関係を語り始めたのだった。
風魔小太郎は佐助の従兄弟、上杉広告代理店に勤めるかすがの実弟に当たる人物である。高校を卒業した春休み、特別大学も受験せず就職活動もしていなかった小太郎は、期間は未定ながらもひとまずフリーターになると思われていた。
しかし春休みが始まって3日目。小太郎は財布を持って、スーパーに母に頼まれた品を買いに出かけ、そのまま行方不明になってしまう。何があったのかは定かではないが、風魔家の面々は誰一人として小太郎のことを心配しなかった。ぶらり一人旅に出たのだろう、まあ子どもじゃないんだし日本国内なら言葉も通じるんだから、大丈夫でしょ、それにしたって頼んだ夕飯の食材の買物…。とは風魔夫妻の言である。そのとき既に姉かすがは学生の身ながらも上杉広告代理店の社長に心酔していて、弟の安否を気遣うどころではなかった。おおらかというか薄情というべきか判断に困る家庭である。
小太郎から実家に連絡が入ったのは、実に2年後のことだった。小田原近くに位置するほうじょう商店街で豆腐屋の修行をしているというのである。風魔家の所在地は長野と新潟の県境だった。何があったのか知る良しもないが、ずいぶん遠いところにいるではないか。初めて聞いたときに、佐助は想像だにしなかった従兄弟の冒険譚に思わず吹いた。話してくれたかすがには心底嫌な顔をされた。
「おばさんとおじさん、もう子どもの手がかからなくなったからって退職金でオーストラリアに移住して向こうの国籍までゲットしちゃったから、帰ってこないしねえ。本当、お前んところの家族はアグレッシブだよなあ。」
佐助はしみじみとどこか呆れも滲ませながら、そう話を締めくくった。それをはたしてアグレッシブと表現するのか否かは別として、確かに、中々に普通でない家庭である。元親は地味な小太郎の意外性にびっくりして、まじまじと小太郎の顔を見詰めてしまった。長い髪で覆われた表情は窺えなかったが、たぶん、少し困ったような雰囲気ながらもいつもと変わらぬ無表情でいるのだろう。
「お前がかすがの噂の弟なのか。へえ。全然似てねえじゃん。」
こちらもまた驚いた様子で目を見張り、政宗がそう感想を洩らした。片倉が忠言する。
「…政宗様、15時から会議が入っておりますゆえ、そろそろ本案へ…。」
「っ、そうだ。Thanks.小十郎。今回は、ほうじょう商店街を復興する話をするために来たんだったな。そうそう。」
元親も元就も、そして佐助もうっかり失念していたが、元々町おこしの話し合いが目的で今回は集まったのだった。
初掲載 2007年4月19日