僕に差し出せるものはこんなものしかないけど   現代パラレル


 政が初めてプロポーズをされ断ったのは、随分前のことになる。当時未だ国立大の社会学部上杉ゼミに在籍していた政は、父の強い薦めもあり、とある企業グループの御曹司と見合いをした。その際、見合い相手から親指の爪ほどもある大きなサファイアのついた指輪と共にプロポーズされたのだ。
 父への義理もあり受けた見合いだったが、思わぬ展開に政は慌てた。その頃既に、同学部の北条ゼミ卒業生にして院生だった小太郎とは清く正しいお付き合いが始まっていた。相手を傷つけまいと必死に言葉を探し、見合い相手に非はないことを説明し終えた政は、それから友人との間で何かあるごとに酒の肴にされる台詞を言われたのだ。僕には島を買ってあなたの名前をつけることだってできるが、彼にはできないでしょう、と。
 政は柔らかい笑みを浮かべ、謝罪の言葉を口にした。真面目な顔で放たれたその名言は、見合い相手と政の考え方の相違を明らかにしただけだった。金で政の心を得ようなど、小太郎は考えもしなかった。
 その後、ようやく断ったプロポーズに、もうこの話で悩まされることもないのだと軽い足取りで小太郎のアパートへ向かった政は、しゅんと項垂れた小太郎の姿を目にすることとなった。政は小太郎の泣きそうな様子に焦った。長い前髪で顔は隠されていたが、その前髪を押し上げれば、きっと八の字になった眉毛と悲しそうに伏せられた瞳を見ることができたことだろう。
 元々話すことができない小太郎が頼りなく首を左右に振るだけの状況に、それでも、理由はわからないがどうにか小太郎を宥めすかした政は、パソコン画面に表示された言葉を見て、小太郎が哀しんでいる理由を悟った。見合い相手と政の攻防を目にしていたゼミ生がいて、そいつが余計な口出しをしたらしい。心配させてはいけないと見合い自体小太郎には黙っていた政は、ただ強く小太郎を抱きしめた。5歳年上の男性に抱く感想ではなかったが、小太郎が可愛くてたまらなかった。島は買ってあげられないけれど政のことを愛しているんだ、などと告げられて、行動によっては示されているものの伝えられなかった「愛してる」というただ一言に、嬉しくならないはずがなかった。
 恐る恐る背に回された腕に内心安堵しながら、誰がそう言ったのか尋ねた。同学科武田ゼミ所属の小太郎の従兄弟でもある佐助が洩らしたらしいと判明し、後日、政の手加減無用の制裁が下された。


 それから5年が経った現在、政は机にうつ伏せになっている小太郎のつむじを眺めていた。院を出た現在、小太郎は大学でサスティナビリティの研究員を勤めている。あと5年も経てば大学の臨時講師になれるらしく、現在、そのための布石としても重要な役割のある論文に取り掛かっているところだ。小太郎は2ヶ月後に催される学会に論文を間に合わせたいということで、ここ数日寝ていなかった。今から徹夜することもないのではと内心政は思ったが、それだけ、小太郎は本気なのだろう。
 試しに指先で頬を突いても起きる気配はない。政はタオルケットを取り出してきて小太郎にかけると、小太郎のために淹れてきたカフェオレを口にした。コーヒーは常にブラック派の政にとってカフェオレは甘すぎたが、飲む人が政の他にはいないのだ。しょうがない。
 手持ち無沙汰な政は、テレビを付け、音量を落としてそれを眺めることにした。お笑いブームだかなんだか芸能に疎い政にはよく知らないがバラエティは現在芸人が殆ど占めていてつまらないので、チャンネルを回していき、結局、星の特集をしている理科研究番組に落ち着いた。
 昔はアマチュア天文家によって新たな星が発見されることもあったが、現在では天文台の自動観測によって殆どの新しい星が発見されてしまうという何とも夢のない話をしている。世知辛い世の中になったものだと思いながら、政はカフェオレを一口飲み、小太郎へと視線を向けた。
 小太郎は一応隠しているつもりのようなのだが、最近、頓に眠たそうである。論文のせいなのかと思ったが、数年前から度々寝不足の様相を呈していた小太郎のことだから、何か他に寝不足の原因があるのだろう。少しだけその眠たげな様子が素かとも思ったが、政が小太郎の出会った当初はそれほど眠そうでもなかった。
 時期的には小太郎が院を卒業した辺りからのことなので、北条教授によって散々使われているからその疲れでだろうか。政は軽く眉を顰め、今度母校に訪れて北条に一言言ってやろうと固く心に誓った。そして同時に、昔もだが小太郎は人が良すぎる、そこが好きなんだけど、と政は胸中で誰にともなく惚気た。


 3日後のことである。
 政が仕事後、事前に交わした約束どおり小太郎のアパートに訪れると、緊張した面持ちの小太郎が待っていた。論文が詰まったのかと思い、触れていいものか悩みながらも恐る恐る政が尋ねてみれば、勢いよく首を左右に振る。論文は終ったという返事に、では何にそんな深刻そうな顔をしているのかと内心首を傾げつつ、政が様子を窺っていると、小太郎はしばし躊躇った後、どこからともなく小さな小箱と大判の封筒を取り出してきた。
 浮かべそうになる笑みを必死に堪え、政は促されるまま小箱を開いた。そこにはぺリドットのリングが納められていた。ペリドットといえば、8月生まれの政の誕生石である。しかも、政のあやふやな記憶によれば、夫婦の幸福・和愛の象徴だ。これ以上ない内容に政はとうとう笑みをこぼし、驚嘆の声をあげながらリングを左手の薬指にはめた。
 それによって小太郎が安堵したのか、ようやく表情を和らげたのを見届け、政は感謝の言葉を述べつつ、大判の封筒に視線を向けた。中に婚姻届でも入っているのだろうか、と現在印鑑を持っていない事実に少しだけ悔しさを覚える政の前で、封筒が開かれた。
 ずい、と差し出されたその書類に、政は戸惑い小太郎を見た。小太郎の指が、ある一点を指し示す。政は、あっ、と小さく悲鳴をあげ、小太郎を見やると小さく頷いた。政は胸が熱くなり、テーブル越しではあったが小太郎を強く抱きしめた。書類には、小太郎の発見した新星が国際天文学連合によって認められ、「政」と名付けられた事実が記載されていた。


僕に差し出せるものはこんなものしかないけど
結婚してください











初掲載 2006年11月17日
参考資料
星空観察
宝石ユーアクセス