きみはペット / 小川彌生

1:「欲しがりません、勝つまでは。」(佐助←政宗←小太郎)

2:天が落ちた日(小太郎→政宗)

3:タイムトラベル(小太郎×政宗)

































 

1:「欲しがりません、勝つまでは。」(佐助←政宗←小太郎)


 「小太郎がなんでこんなところに…。」
 「petだよ、悪いか?」
 不貞腐れて吐き捨てた政宗の言葉に、彼は目を丸くした。
 「…ペット?な…、そんな爛れた関係なの…?!小太郎っ、お前、一体何企んでんだよ!政宗に何した!」


 『分不相応な高い貸付組んじゃったなって。』
 一時期結婚まで考えていた敵国の忍について訊かれた場合、政宗が最初に頭に思い浮かべるのは、それだった。
 『普通さ、俺様みたいなただの忍じゃ手が届くわけないじゃん、あんな人に。だからさ、こう、「あれ?もしかして脈があるのかな?」なんて思っちゃったりしたわけ。最初はそれだけで良かったけど、段々疲れてくるっていうかさあ。』
 佐助はそう慶次と幸村に告げると、肩を竦めた。
 たまたま訪れた京でその発言を耳にしたとき、政宗は勿論佐助に対して殺意を抱いたが、それ以上に、そんな風にしか思わせることができなかった己に失望した。結局、それが元で佐助は、幼なじみだという上杉の忍と浮気する形でよりを戻し、妊娠させたことで彼女との結婚に踏み切ったのだ。結果として、佐助が結婚相手に選んだのは、当時婚約関係にあった政宗ではなかった。
 佐助は彼女の妊娠の責任を取るから、と言い訳した後、政宗の目を見ずに言った。
 『かすがといると、安心できるんだよね。ほっとするっていうか。』
 一発くらい、佐助を殴ってやれば良かったのかもしれない。そうすれば、自分も彼も気が済んだだろう。しかし、その殴りたいという熱烈な衝動は、政宗の高い矜持が押さえ込んだ。政宗は背後に回した拳を必死に制止し、自分をまともに見ようとしない佐助に対して、いつものように感情を押し殺した平坦な声で告げた。
 『あっそう。じゃ、これでお終いだな。』
 内心、妊娠したくらいで責任を取ってもらえて良いよなかすがは、などと腸煮えくり返っていたが、政宗はそれをおくびも出さなかった。女の幸せよりも君主であることを優先すると決めたのは、政宗自身だったからだ。
 だが、無論、そんな己の覚悟があるとはいえ、政宗の中の佐助の評価が上がるわけでもない。むしろ、浮気の果てに妊娠させて婚約を解消した男として、佐助の評価は底辺に位置した。


 その佐助が、目の前で、政宗の飼っている大事なpetに関して何か言っている。


 政宗にとって、佐助がいまだに政宗の居城に訪れる勇気があることも、訪れるような用事があることも意外ならば、それが的外れとはいえ、こんな風に政宗のために激昂して見せることも意外の一言に尽きた。政宗は小太郎が風魔の子飼いであることくらい、すでに知っていた。道端で死に掛けているところを拾い、迂闊にも餌を与えたことで飼う羽目になった当初はともかく、今は、そんな大事なことくらい重々承知している。それでも小太郎を飼っているのは、政宗の勝手だ。元彼、いや、今となっては単なる敵国の忍に過ぎない男に口を出される筋合いはない。
 政宗は小太郎の胸倉を掴み挙げている佐助の手を叩き落し、庇う形で小太郎を背に隠すと、佐助を睨み付けた。
 「うるせえよ。Petっつっても、小太郎はいかがわしいもんじゃねえし、つか、テメエに比べりゃ小太郎の方が断然マシだ…。」
 一度言葉にしたら、止まらなかった。
 「テメエが一体俺に何をしたっつんだよ!いっつもいっつも自分の立場に気後ればっかしやがって、俺が、それに傷付かなかったとでも思ってんのか?!政宗は殿様だもんね。俺様と違って強いもんね。うるせえっつうんだよ!終いにゃ、浮気相手を妊娠させて婚約解消だ?同盟がある武田に訪れるたび、俺が、どれだけ傷付いたかわかってんのかよ!てめえの勝手を押し付けるんじゃねえよ!確かに小太郎の正体は北条の忍かもしれねえけど、少なくとも、小太郎は俺を傷付けることはしない…お前より百倍、いや、千倍も万倍もマシだっ!」
 言い切って、政宗は衝撃を受けた様子で立ち尽くす佐助の頬を力いっぱい殴り飛ばした。腹立ちを抑えきれず、政宗はもう一発佐助を殴りつけようとしたが、それは小太郎に止めさせられた。仕方がないので、政宗は後ろから羽交い絞めしてくる小太郎を佐助に向かって投げ飛ばした。ぷぎゃ、という何かが潰れるような悲鳴が聞こえた気もするが、定かではない。政宗の頭には血が上りきっていて、制止も悲鳴も耳に届かなかった。
 「俺だって…俺だってな、妊娠すりゃ責任取ってもらえるっつーんだったら、一人でも二人でもこさえたんだよ!Shit!Go to hell in agony at the most!(くそったれ!せいぜい苦しんで地獄に落ちろ!)」
 呆気に取られた様子で、佐助は、見たことがない様子でまるで子供のようにわっと泣き出した政宗と、投げ飛ばされながらも健気に主人に寄り添い背中を撫でてやっている小太郎を眺めた。そして、自分では手に入れられなかったもの、失ってしまったものを小太郎が手に入れたことに気づいた。
 佐助は殴られ痛む頬を抑えると、立ち上がり、二人を見やった。
 「政宗、知ってた?俺たち、浮気した俺のせいだけどさ、愁嘆場らしいこともしないですんなり別れたんだよ。…。ずっと気になってたから、政宗の本音が聞けて良かったよ。政宗は…、…。ごめん。俺もう、行くね。」
 佐助は言った。
 「じゃ、また機会があれば会うかもね。ばいばい、伊達の殿様。」


 「なっ、何が伊達の殿様だよ。ぐぞっ。俺は、俺は。」
 まくらに突っ伏し泣きじゃくる主人に水を持ってきてやった小太郎は、困った様子で、政宗の髪を優しく梳いた。一見吹っ切れたように見えはしたが、政宗が佐助のことを吹っ切れていないくらい、忍で、何より小十郎に匹敵するほど政宗の傍にいる小太郎には、とっくの昔にお見通しだった。それが悔しくないといえば嘘になる。だが、佐助は過去の男だ。佐助と違って、自分にはこれからがある。
 小太郎は、基本的に敏いのに人の好意には鈍い政宗がいつ気付くだろうかと思案を巡らしながら、伸ばされた手に水の入った器を握らせてやった。


>ページトップへ
















 

2:天が落ちた日(小太郎→政宗)


 政宗が小太郎と一緒に寝るようになったのはいつのことか、定かではない。
 政宗は性別こそ女だったが、己のことを女とも、小太郎のことを男とも思っていなかった。それ以前に、自分は主人で小太郎はpetだった。だから、petが寂しがって政宗の布団に入りたがれば、別段止めようともしなかった。夏こそ熱さに辟易して追い出したが、冬の日などは、むしろ政宗の方から誘って一緒に眠りについた。小太郎がそばにいると落ち着いて眠りにつくことができた。それは、伊達から母を追い出し敵対するようになってからずっと悪夢に魘され続けていた政宗にとって、何にも増して貴重なものだった。それがわかってからは、幸いにも、小十郎も小言を言うことを止めた。
 それが、どうしてこうなったのだろう。
 いつものように頭を撫でてやろうと伸ばした手は、小太郎によって掴まれ、阻まれた。政宗が目を丸くする間も、咎める暇もなかった。気が付けば、背中には布団が、上には天井が、何より眼前には小太郎の顔があった。
 『良いですか、政宗様。これだけは覚えておいてください。』
 ふと政宗の脳裏を、真剣な顔をして告げた在りし日の小十郎が横切った。
 『それで安息を得られるならば、petを飼うことを止めは致しませぬが…、男は狼なのです。お気をつけてくだされ。』
 あのとき、政宗は声を立てて、小十郎の見当違いな杞憂を笑い飛ばした。
 『何言ってんだよ。どこに、petに欲情する飼い主がいるっつーんだ。小十郎、小太郎は犬だぜ?』
 遺憾なく天然を発揮した主に、小十郎はがっくりと肩を落とした。
 『……お言葉ですが、政宗様。あやつは一応、生物学上、人間です…。』
 本気を出せばその腕から逃れられることを知りながら、政宗は、小太郎の為す檻から出るという手段を考え付けなかった。小太郎に聞こえてしまうのではないかというくらい、心臓が喧しく激しく高鳴った。
 小太郎は様子を見るように政宗の赤く染まった頬へ、目尻へ、額へと唇を落とし、主人が抗わないことを確認すると、固く引き伸ばされた政宗の唇を犬のように舐めた。
 これが本当に犬であったならば、政宗もくすぐったいと笑い声を立てたことだろう。だが、政宗はもはや小太郎が犬ではないことを知ってしまった。小太郎が人間で、そして何より重要なことに、年頃の男であることを理解してしまった。
 がらがらと崩壊していく絶対と信じていた前提に対して、政宗はどう反応すれば良いのかわからなかった。憎らしいことに、政宗をそんな状態に陥れた張本人は、そんな政宗にいつもどおり小首を傾げて応じた。


>ページトップへ
















 

3:タイムトラベル(小太郎×政宗)


 忍としてではなくpetとしての小太郎の御主人様は、広大な奥州を束ねる君主であり、戦場でも名を鳴らした武将なのだが、たまに意識がイッてしまう。そんな御主人様の様子を見るたびに、小太郎はキてるなあと内心思うのだった。
 断っておくが、小太郎の御主人様は、小太郎には勿体ないくらい素敵で申し分ない御主人様なのだ。最初に餌付けされて今に至るわけだが、料理は頬が落ちるくらい美味いし、執務中にも文句を言いながらもじゃれる小太郎を構ってくれる優しさを持ち合わせているし、北国の女らしく白い肌の美人だ。ちょっと抜けているところや無理をするところも愛情を募らせこそすれ、小太郎の中では、それが問題になるなんてこともない。君主としてどうか、武将としてどうかなどという評価はpetとしての小太郎にとって爪の先ほども関係がないので、ここでは一応捨て置くことにする。


 近く、小田原で豊臣相手に大々的な戦が起こりそうだ。
 それに連動して、伊達内部では御主人様に対して毒を盛るという計画が進行している。御主人様のことは大好きだったが、いずれ倒さねばならぬ身なら、自分で手を下すより勝手に死んでくれた方が小太郎としても助かる。忍としての小太郎の主は人使いが荒いので、面倒ごとは減った方が都合も良い。
 伊達との付き合いも長くなるが、そろそろ立ち去る頃合かと思い、縁側で寝そべっていた小太郎はようよう立ち上がった。
 そんなときだった。外観を壊すという庭師の反対を受けながらも御主人様が無理矢理庭に植えさせた桜の根元に、異国の花嫁衣裳を身に纏った御主人様を発見したのは。小太郎は目を瞬かせて、それが幻視なのかどうか確かめた。それから、やっぱりキてるな、と今にも「元」を冠しそうな御主人様に対して認識を新たにした。
 あまりにまじまじと見詰めすぎたのか、小太郎の視線の先で御主人様が身動ぎすると、ゆっくりと重そうな瞼を開いた。
 「あれ?小太郎…まだ、んな恰好なのか?今日は式だっていうのに。」
 内心、今伊達を出て行こうとしていた小太郎は困った。しかし、呼ばれた手前無視することもできない。小太郎は御主人様の方へ近付いた。
 御主人様は今まさに離反しようとしていたpetの心など露知らず、小太郎に手を伸ばすと引き寄せて、抱き締めた。ふわりと甘い花の香りがした。ふと視線を移すと、どこで採って来たのか御主人様の髪には銀木犀が飾られていた。白い衣装、白い花、白い肌。それらに、陽光に翳すと茶色く見える黒髪と空のように青い目が映えて綺麗だった。
 「これからはずっと一緒だ、小太郎。ずっと、…ずっと……。」
 御主人様の言葉に、こう都合良く捉えても良いのだろうか、と小太郎は思った。小太郎は北条の忍で、御主人様は伊達の総大将だ。それなのに、ずっとずっと一緒にいても良いと御主人様は言ってくれているのだろうか。目を丸くする小太郎の髪をいつになく優しく梳いて、御主人様は眠りに落ちた。小太郎は自分を抱いて無力に眠る御主人様を放り出すことも出来ず、ただ、困って抱き締められていた。それからふと思いついて、何が塗ってあるのか甘い香りのする唇を盗むと、離反しようとしていたことなど忘れて御主人様の腕の中で瞼を閉ざした。
 眠りに落ちる瞬間、忍としての御主人様には適当に取り繕っておこう、薄給だし、何だったら辞めても良いや、なんて小太郎にしては物珍しく勝手な考えも頭を過ぎった。それくらい、petとしての御主人様のことが愛おしくてたまらなかった。
 そのときになって、初めて、気づいた。今まで自分は、己の存在を否定するでもなく、忍としての己だけを認めるでもなく、ただそこにあるだけで受け入れてくれる存在を求めていたのだ。
 その存在こそが、この、御主人様だった。


>ページトップへ













初掲載 2008年9月14日