新婚生活


 その日、伊達当主から直々に話があるというので、氏政は内心戦々恐々としていた。豊臣に脅され伊達に喧嘩を仕掛け攻め入られずたぼろに叩きのめされたのは、未だ記憶に新しい出来事だ。あの、それこそ鬼のような政宗が無理難題を吹っかけてこないとも限らない。
 「ぬおおおおおおお御助け下され御先祖しゃまあああああ!」
 伊達が北条に攻めてきた日に老年であることを理由に挙げて手加減を乞うた自分のことをぼっこぼこにした政宗を思い出し、仏壇に手を合わせひたすら先祖に拝み続ける氏政のことを、小太郎が微妙な顔つきで眺めていた。
 そして、その午後。
 「で、じいさん。頼みがあるんだが。」
 来て早々、厚顔無恥な顔でそんなことをのたまう政宗に、やっぱり悪い予想が的中したと内心震える氏政に対し、政宗はずいと身を乗り出すと真剣な顔で言い切った。
 「あんたんとこの風魔小太郎、婿にくれ。」
 「……はえ?」
 「頼むっ!」
 とうとう頭まで下げた政宗に氏政は二三度瞬きした。頭にしっくり会話がしみこまない。いったい何と言ったのか。肝心の時に老人ぼけかとくらくらする頭を抱えれば、政宗が必死な様子で告げた。
 「小太郎が俺には必要なんだ。勿論ただでとは言わない。あんたんとこには手を出さないからこのまま統治してくれて良い。悪い話じゃないだろ?」
 後ろを振り向くと、小太郎がぽっと頬を染めている。
 「…婿?」
 「ああ。」
 「…………婿?」
 「同じこと言わせんな。んだよ。女に見えなくて悪かったな。」
 むっと顔を顰めて答えた政宗を上から下まで隈なく眺め、氏政は声もなく卒倒した。
 その後、氏政が軽く老人ぼけに突入したり現実逃避をしまくったり娘を嫁に出す親気分なのか結婚式ではおいおい泣いたり、主に氏政のせいで大変だったが、何にせよ、伊達夫婦の新婚生活はここから始まったわけである。


 そんな紆余曲折を経て結婚したのだが、実は小太郎、伊達が居城とする米沢城に馴染めないでいた。何故って、忍だからだ。そんな突然当主の旦那にされて広い部屋をぽんと与えられても、利用に困るだけなのだ。何より落ち着かない。そわそわそわそわしていた小太郎は、落ち着かぬ気に天井裏へよじ登った。最初は単に癖だった。
 それが高じて、いつしか米沢城には天井裏にこっそり潜んでいるような暗い婿殿が誕生した。
 政宗としても小太郎の意思は尊重したい。尊重したいが、流石にちょっといつも天井裏に潜んでいるような旦那は困る。小十郎にも苦言を呈される。どうしたものかと悩みに悩んで、結果、政宗は城の中庭に家を建てた。政宗からしてみれば吹けば飛ぶような小さな家だ。しかし小太郎はこれを気に入ったらしい。
 以来、政宗は小太郎と共に六畳一間の忍ぶ場所もない小さな家に身を寄せ合って生きている。なるほど、この、手に届く距離に旦那がいる距離も中々に乙なものである。ばりばり夜行性の小太郎とは生活のリズムが中々合わずにいたものだが、この距離ならば安心できる。何より、城も近い。
 近いというかレベルではなく城の庭に家があるのだが、そこは独眼竜。気にしなかった。


 今日も小太郎は真昼間からうとうとまどろんで日向で寝ている。今日は天気が良いからと政宗が干していった布団を取り込んでその上でぬくぬく寝ているらしい。執務途中に抜け出してきた政宗は可愛すぎだろと胸を弾ませた。この警戒心のなさすぎる姿も政宗だからこそ見れる代物だ。つんと試しに頬を突けば、嫌そうにごろんと寝返りを打つ。それが尚更つぼにはまって、政宗はでれっと頬を緩めた。
 初めての出会いは小田原だった。手負いの獣のような小太郎に、政宗は眉間に皺を寄せ睨んだ。手を差し伸べれば噛み付かれそうだが、それを理由に逃げるのは苛立たしい。主権は常に己になければ。そんな意地で、欲しかったわけではなく単にプライドを賭けてちょっかいを出す内に、小太郎が時折見せる心を許した甘える仕草に、政宗は骨抜きになっていた。これぞ正真正銘のミイラ取りがミイラの実例だ。
 もう一度つんと爪先で優しく突くと、小太郎が僅かに身じろぎした。やばっと思ったときには遅かった。
 一瞬置いて小太郎が身を起こし、寝起きのぼんやりした様子でぼーっとした。忍の癖に寝起きが悪いとは結構な問題点である。
 「わ、悪い。起こすつもりはなかったんだけど…。」
 政宗の謝罪に長い前髪の裏で数回瞬きし、小太郎は腕を妻に伸ばした。抱き寄せてそのまま寝転がる。日向でずっと寝ていたせいか、小太郎からは太陽の柔らかい香りがした。
 「こ、こたろ!」
 返事はない。まるで屍のようだ。押し付けられた胸に耳を当てると、ゆっくり確かに上下している。完全に眠りに戻ったようだ。執務は未だ途中である。小十郎が来たらどうしようと思いながら、政宗はそっと瞼を閉ざした。小太郎に出会うまで、人の温もりや心音がこれほど安堵をもたらすものだと政宗は知らなかった。これほど異性を異性として好きになることがあるなど、今までは知らずにいた。
 もう一つ、政宗は大事なことを知らなかった。
 小屋は夫婦のエリアだからと誰も決して踏み込まないこと、未だ新婚期間中だからと新婚呆けしている政宗のことを小十郎が大目に見ていること、執務も肩代わりしてくれていること。
 周囲の優しさに守られて、今日も伊達夫婦はらぶらぶだ。











初掲載 2007年11月6日