A flower


 米沢城の裏手に広がる畑、そこは、片倉小十郎の持ち物である。近くにある沼から汲み取られたため栄養を多分に含む泥は、小十郎からの愛情を注がれることで、良質の野菜を育む土壌となる。
 今から数えること、三年前のその日も、小十郎は野菜を見守り、時に叱咤し、主君伊達政宗に献上するに相応しい代物になるよう細心の注意を払っていた。万遍なく照る夏の太陽は恵みであると同時に、災厄でもある。今年は特に降雨が少ないため、小十郎にとっては悩みの種でもあった。それでも、十分に丸く太った胡瓜や茄子をもぎ、ざっくばらんに編まれた笊に取っていく小十郎の顔は、確かな手ごたえに晴れ渡っていた。
 かつて一時、小十郎は、気落ちする梵天丸――政宗の幼名である――の心を慰めるため、外つ国の薬草を育ててみようと試みたことがあった。しかし、どうも相性が悪いのか小十郎が深入りすることはなく、今では、政宗の方が情熱を傾けている。元々、痘瘡を患ったことが切欠で、体調には誰よりも注意を払うようになった政宗のことである。医学に転用することも出来る薬草、そして、それを用いての料理は、生来の凝り性を発揮するには都合が良い代物だったのだろう。
 小十郎の畑の裏手――米沢城寄りの場所には、城壁を刳り貫いて設けられた木戸があり、そこを北に向かった先が政宗の箱庭である。このような場所に戸を設けて、万が一の城攻めの際に不都合なのではないかと思われるだろうが、深い堀が木戸との間に張り巡らされ、橋も城側からしか落とせないように出来ている。何より、小十郎の畑の城と反対側に広がるのは、獣道しかないような深い森であり、その先は断崖絶壁だ。反対に、もし橋を上げられてしまえば小十郎と言えども城へは戻れないとも言えるのだが、そのような事態は、姉である喜多や伊達三傑が一人綱元をよほど怒らせない限りはあるまい。
 あらかた目当ての野菜を収穫した小十郎は、首にかけた手拭いで汗を拭い取ると、笊を抱え城の方へ歩き出した。飛ぶ鳥を落とす勢いの国の重鎮である小十郎が、こうして趣味に没頭できる時間は限られている。今日こなさなければならない執務を脳裏に思い浮かべながら、ふとそういえば、政宗が丸々太った鯉を所望していたことを思い出した小十郎は頬を緩めた。鯉をどうするのかと言えば、食べるのではなく、最近政宗が頓に凝っている薔薇の肥やしにするそうである。当の本人はつい漏らした呟きのつもりなのだろうが、それを耳にした成実や部下たちの心意気や目に余るものがあった。勿論、成実たちが異国の花に熱心な興味を持っているというわけではない。ただ、彼らは経験として、絢爛たる花が政宗の女として成熟しつつある愛らしい容貌を映えさせること、そして贈り物を寄こされるとその貌を蕩けさせて礼を告げることを知っているのだ。
 「まったく、物好きな奴らだぜ。」
 とはいえ、小十郎も他人のことを言えた義理ではない。先ほど鯉のことを思い出して頬を緩めたのは、小十郎も、見惚れてしまうようなとびっきりの笑みを浮かべた政宗の姿を思い浮かべたからなのである。小十郎は執務をさっさと終わらせることを固く胸に誓うと、収穫した野菜を飯炊き女に渡すべく、調理場へ急いだ。
 箱庭を思うとき、小十郎の胸には何とも言えぬ苦味が広がる。それは、小十郎の根底に拭いきれぬ罪悪感となって燻り続けていた。政宗が感謝の念を告げようと、変わることはない。
 そこを正視するだけの勇気を、未だ、小十郎は持ち合わせていなかった。


 それから三年後の現在。小十郎は、滅多に足を踏み入れることのない政宗の箱庭にいた。
 政宗の箱庭は桜の樹を中心に広がっている。元々庭であった、小十郎がミントを勝手に植え替えた場所を取り込み、苦い思い出の残る北の室を取り壊した政宗の箱庭は、城壁のうちにあるとは思えないほど緑を湛えている。敷地内には小さな泉も設けられ、まるで一個の小さな森である。
 その日、政宗の姿を探して箱庭にやって来た小十郎は、桜の樹を見上げ、胸中いっぱいに広がる後悔に唇を噛み締めた。その根元には、小十郎が刳り貫いた政宗の右目が埋まっている。小十郎は、以来呼ばれるようになった「竜の右目」という呼称を誇りに思っていた。しかし、小十郎の瞼の裏側には、切り落とした瞬間、主の右目から滂沱のように流れた血涙が残像となって深く焼きついており、それゆえ、たといどんな理由にせよ主を傷つけたことを何にも増して悔やんでいた。そのため、小十郎が右目と呼ばれるとき、その胸に広がるのは甘美な喜びと苦い後悔、そして、政宗に対する強い義務感である。政宗は、右目の抱く後悔や義務感を厭うているようだったが、頑な態度に半ば諦めているようでもあった。
 こんな風では、主を見つけ出したとき、また何か余計なことを考えていたのだろうと咎めを受けてしまう。小十郎は桜から顔を背け努めて平常を装うと、再び、政宗を見つけ出すため歩き出した。長い付き合いである。民のことを一等に想う政宗が執務も終えていないというのに、例え誕生日とはいえ、このような昼中から草弄りに現を抜かすとは思えない。それとも、小十郎の思い違いで、既に政宗は執務を終えているのだろうか。気のない素振りで当主が箱庭にいることを告げた綱元の何処か稚気を含んだ眼差しも、引っかかる。
 眉間にしわを寄せ、あれこれ想像を巡らす小十郎の目の前に現われた現実は、想像以上に突飛なものだった。場所は、かつて小十郎がミントを植え替えたところである。
 思考を止めて固まる小十郎を、政宗があの花のような笑みを湛えて見上げていた。周囲には、あのとき山ほど献上された鯉を糧に育った大輪の薔薇が、無碍に花弁をむしられ、黒々と群生するミントに濡れたように艶めく赤を添えていた。その中で、僅かに燐光を放つように思われるほど白い柔肌を晒した政宗の姿が浮かび上がっている。小十郎は食い入るように見つめたまま、眼が離せなかった。花も恥らう年頃の政宗は、今まさに、健康美の絶頂にあった。水ごと小十郎の浅ましい欲望を弾きそうな素肌の腕を迎え入れるように広げた政宗が、心底おかしそうに口端を緩めた。
 「present、当然くれるんだろ?小十郎。」
 腕をもたげた拍子に、素肌を幾分覆い隠していた薔薇の花弁がはらりと落ちた。ごくりと年甲斐もなく鳴る己の咽喉に、小十郎は強い眩暈を感じた。禁断の花園には、くらくらと噎せ返るほどの強いミントの香りが立ち込めている。その香気に、中てられたのか。
 「It’s unnecessary for you to suffer remorse for granting my wishes.」
 そっと吐息混じりに囁かれた不明の異国語が妙に胸打つ響きを伴って、小十郎の耳に届く。ゆっくり立ち上がった政宗が小十郎の方へと歩み寄ってくる。はらはらと薔薇の花弁が落ちていく。そうして小十郎の眼前に立つ政宗は、一糸纏わぬ肢体を惜しげもなく晒し、挑戦的な眼差しを投げかけている。
 「Please want you.…それとも、くれねえの?」
 柔く首に回された腕から伝わる鼓動は落ち着き払っており、右目への直向で愚直な信頼に満ちている。それが、小十郎の中に眠る獣の矜持を擽ると、わかっているのだろうか。艶やかに弧を描く唇に誘われて、小十郎は嘆息交じりに腹をくくると、無二の主へ腕を伸ばした。一度味を占めてしまえば、己は二度と引き返せないだろう。目覚めた獣は眠りに就くことを拒み、再び、甘美な花を求めるだろう。そして、手折られた花は二度と無垢には戻れない。小十郎にはわかっていたが、最早衝動は尽きせぬものであり、止めようがなかった。
 腕の中で密やかに政宗が笑い声を立てる。それは、自らの望む未来を勝ち取った女の鬨の声だった。











初掲載 2009年7月25日
そしてますます、居たたまれなさから箱庭に苦手意識を持つ右目。