珍しいこともあるもんだ。前田家の風来坊慶次は驚きに目を丸くすると、同意を求めて、肩に乗っている相棒へ首を傾げてみせた。それに対して、勝手に見繕ってきたらしい小粒の赤い果実――確か、ラズベリーとかいう名だったような気がする。それか、ブルーベリー。――を両手で抱えるように持つ小猿夢吉が、慶次の真似をしたのだろう、首を傾げてみせた。慶次は、今度は逆に首を傾げてみせてから、眼下で眠る独眼竜を見下ろした。自分の縄張り内だから安心しているのだろうか。爽快な香りのする外つ国の薬草に埋もれて、この城の主にして慶次の今回の旅の目的、伊達政宗は午睡を楽しんでいた。
前田慶次が初めて政宗と出会ったのは、長谷堂城でのことである。奥州見物だとほざきながら、伊達軍に恋の押し売りを仕掛ける慶次と双竜との間でひと悶着あったことは、まだ双方の記憶に新しい。後日、慶次の叔父夫妻が究極の食材を求めて到来したことが切欠で多少態度が軟化したとはいえ、それが原因で、慶次は未だに竜の右目の名を持つ片倉小十郎には良い印象を抱かれていないようだ。しかし、だからといってめげるような性格でもなく、慶次はこうして足繁く伊達軍が根城とする米沢城まで通っているのだった。勿論、政宗に会うためである。伊達当主が実は女だと知った慶次は、恋の一つもないような男臭い軍を率いる政宗のことが可哀想になったのだ。
「竜の右目さんは本当に良い男ぶりだし、良い噂しか聞こえないから、あれだけ美人で頭の冴えている政宗にはお似合いだよね!あーあ、俺が片倉さんだったら恋よ花よと忙しいのに。」
そんな勝手なことを言いつつ、慶次が、畑で野菜の世話をしている小十郎に探りを入れてみると、右目が政宗のことを異性として見ていないことが判明した。これには、慶次も本気で気落ちしてしまった。双竜はあれだけお似合いだというのに、まったく、恋が芽生えそうにないのだ。これでまだ政宗の方が、小十郎を男として見ているなら、慶次だって推しようがあるというのに、執務の最中あまりに根掘り葉掘り詮索しすぎたのか、余計な世話だと尻を蹴り上げられただけだった。
「余るほどあんなら、他のやつんとこ行けよ。真田幸村とか色々いんだろ、疎そうなやつ。」
全く、つれない。しかし、それも一理あるかもしれないと思った慶次が、上田に押し掛け大層な迷惑をかけて来たのは、それから間もないことであった。二度目の慶次襲来に、虎の若子は怒髪天をつく勢いで激怒したのだが、そんなことはお構いなしである。改めて謝罪に向かった叔父夫妻が可哀想なことこの上ない。
「haha!とんでもないtrick starだな、あんた!」
差し向けた当の本人は、腹を抱えて笑い声を立てた。そのときの政宗は、恋だ何だと説教された朴念仁の幸村が一体どんな顔をしていたのか、実際に見てみたくてたまらなかった。あの橙の目立つ忍びはまた、忍ぶことに失敗して張り倒されたらしい。全く、愉快だ。
「え、なに、俺、誉められてる?」
慶次は照れたように頭を掻いた。
そんな調子で反省を見せなかった慶次が、以降もしょっちゅう上田を訪れては迷惑をかけて回ったのは、多分に、政宗のせいであろう。
最近では、「慶次=恋の斡旋」という図式が成り立っているのか、利家夫妻のお陰で軟化した小十郎の態度がまた眼に見えて尖り始めた。それでも、ここで負けるわけにはいかない。慶次はのらりくらりと小十郎の追及をかわすと、伊達の男たちが何故か尻込みして近寄ることを避ける傾向にある政宗の箱庭へと逃げ込むのだった。箱庭だったら、住み着いてるちんまい妖精――いつきちゃんといった――も慶次の意見に賛成してくれるし、多少呆れた様子ではあるものの、政宗がハーブティーを入れてくれる。薔薇やハーブを分けてもらいに時折やって来る上杉のくのいち、かすがは言うに及ばず、慶次の良き理解者だ。
溺れて戻って来れないのではないかと周囲が不安になるほど恋に目を輝かせて、小十郎お手製の木の机にのの字を書きながら謙信との愛の日々を惚気るかすがに、慶次は適当な相槌を入れながら、ちらりと、その様子を窺うため政宗に視線を転じる。それは、かすがちゃんの話を聞いて、少しくらい興味を持ってくれないかなあ、という願いからである。しかし、律儀にかすがの話に耳を傾けながらも、当の政宗はといえば、「国を率いるものがこんな風になったら終いだ。」と、慶次には理解不能なことに何故か反面教師としてかすがの恋を捉えているのだ。毎回、慶次はがっかりしてしまう。
「あんたの目が恋に輝くのを見てみたいね。」
幸せが逃げると知りつつも溜め息を吐く慶次に、政宗は心底呆れた口調でこう諭すのだ。
「相変わらず、happyな頭してんなあ。」
そこには、まつが慶次に説教をするときのような冷たさがある。現実を見ろ、そう言い含める冷たさだ。そうなれば、慶次は政宗が作ったという異国の菓子に手を伸ばして、追及を逃れるしかない。
だって、料理も抜群に巧くて、医学の知識もあって、芸に優れていて、器量も良くて、それなのに恋をしないなんて勿体無い話じゃないか。
「…なあ、夢吉。竜に恋させたいなんて、高望みなのかな。」
今回で百度目の訪問になる。流石の慶次も気弱になって意見を求めると、夢吉は心あらずという様子で果実を頬張っていた。寂しい。慶次も、それが此処でなければ食べられない代物だとわかっているから、食い溜めしておこうという夢吉の気持ちがわからないでもない。でも、寂しい。だって、政宗、寝てるし。いつきちゃん、いないし。慶次は小さく唇を尖らせて、政宗の隣に腰を落とした。
寝ているせいだろう。表情を削ぎ落とした政宗の顔は、怖くなるくらい整っていた。長い睫毛が白い面に濃い影を落としている。この閉ざされた眼が恋に輝いて、白い頬が薔薇色に色付いたら、きっともっと綺麗だろうにな。あーあ、と慶次は我知らず溜め息をこぼした。
「…政宗と恋がしたいよー!」
そこで、ん、と思う。はて、自分は今何と言ったのか。慶次は首を傾げて、突如大声を出した相棒にきょとんとした目を向ける夢吉と、眼前で横たわっている政宗とを順繰りに見やった。
「そっか…誰かに恋させたいんじゃない。俺が、政宗と恋に落ちたいんだ!」
慶次はぽんと手を打つと、一転、晴れがましい顔つきで政宗の顔を見つめた。先ほどまで人形めいていた政宗の貌は、少し強張っているようでもあり、少し桜色に色付いているようでもある。先の慶次の叫び声で起きたのだろう。これは、完全に狸寝入りだ。それでも構わない、と慶次は思った。
「あんたが俺だけ見つめてくれたら、どれだけ、幸せだろうね。政宗。」
独り言という名目でにっこり笑いかける慶次に、已然として目を瞑ったままの政宗は、眉間に皺を寄せて、唇を引き伸ばした。
「…寝言は寝て言え。」
そう文句を垂れる政宗の頬は、薔薇色に色付いている。頬を抓ったら夢じゃないってわかるかな、悪戯心を刺激された慶次の指が邪険に払い除けられるのは、数秒後のこと。
恋に輝く目で、俺だけを見て。
初掲載 2009年7月26日