「前田の甥御はんが、大阪城に討ち入りしよったそうですわ。」
京で懇意にしている情報屋からその報を知らされたとき、政宗は呆気に取られ思わず返答につまった。先を越されたと悔しさを覚える前に、信じられなかった。思わずまじまじと情報屋の顔を窺うと、情報屋は苦い顔で、絶句している政宗に言った。
「冗談やおまへん。ほんまですよって。」
「あ、ああ。いや。疑ったわけじゃねえ。すまなかった。…だが、何で?」
「それがさっぱり。けどあん人のことや。色恋沙汰のたぐいとちゃいますのん。」
柄にもなく狼狽した様子で否定し、身を乗り出して問うた政宗に、情報屋は煙管を向けて指摘した。
「口調が元に戻っとりますよ。仙台さま。」
笑いを押し殺している様子が癪に障ったが、政宗はああとかううとか答えることしかできなかった。頭が、なぜ慶次が大阪城に討ち入りしたのか、疑問符でいっぱいだったのである。
長谷堂城で出会ったとき、慶次は政宗に豊臣軍の居場所を教えるのを嫌がった。あれが一月前のことだ。
政宗は詳細を知らないが、慶次と秀吉、それにあの憎き半兵衛は、昔友人関係にあったという。陽気な風来坊と、お山の大将と、皮肉屋の軍師と。まるで接点がないように思えるが、これはこれで事実らしいので、政宗は否定するすべを持たない。昔は彼らも違ったのだろうか。政宗はひとしきり首をかしげて考えてみたが、頭が痛くなっただけだったので、それ以上考えるのは止めることにした。
ともあれ、慶次は情にあつい男だ。実際、長谷堂城では、劣勢だった上杉に加勢した慶次のおかげで面白い戦をすることになった。むろん、政宗は豊臣の情報が一刻も早く欲しかったので、そのときは苛立ちを禁じえなかった。今だからこそ、面白い戦だったと思えるのである。
今。政宗は苦い笑いを浮かべながら、拳を握った。今まさに、政宗は豊臣がねぐらにしている大阪城へ攻め入ろうと算段を立てているところだった。そのための、今回の情報収集だった。慶次には、これで二度水を差された形になる。
政宗はそれでも、怒りよりも疑問が先立って仕方がなかった。慶次は袂を分かったとはいえ、かつての知り合いを捨てられない人種なのだと思っていた。実際、政宗は斬り合いの末慶次と意気投合してようやく豊臣の情報を手に入れたのだ。それでも、慶次がなんとなく悪びれた顔をしていたのを思い出し、政宗は顔をしかめた。ついでに、慶次が越後の次は奥州に遊びに来ると行って、それきり音沙汰がないのを思い出したからだ。
次会ったら殴り飛ばしてやる、と政宗はかたく心に誓った。長谷堂では小競り合ったが、これでも伊達は上杉と親交がある。慶次がとっくの昔に越後を出たのも、政宗はちゃんと知っているのだった。
「まあ討ち入り言うても、甥御はんも豊臣さまを思いっきり殴りなはっただけで、ゆえにお咎めも一切なしだとか。もちろん、お咎め言うても素直に受けるような人やおまへんけどなあ。」
暢気そうにそう告げると、情報屋は一服吸ってから小さく笑い、眉間にしわを寄せている政宗に一枚の紙片を手渡した。
「なんにせよ、そない気になるんやったら。甥御さんの居場所教えますさかい、自分でお聞きなはれ。そない格好でそないなけったいな顔されると、こっちもなんや景気悪うなるみたいで嫌やわ。」
「…悪かったな。けったいな面で。」
「ほら、笑て笑て。この情報はただにしときますから。笑わな損ですわ。角に福来る言いますやろ。」
情報屋は人の食えない笑みを浮かべ、政宗を店内から追い出した。
人気のない薄暗い裏道から陽の指す明るい通りへと出て、政宗は手渡された紙片を一通り眺め、鼻を鳴らした。あの、情報屋のわざとらしい笑顔。まるで初めからこうなることがわかっていたかのような手際のよさが、情報屋におどらされているようで、政宗にははなはだ面白くなかった。
それでも政宗が、慶次が用心棒をしている花街の方へ足を向けたのは、やはり、慶次の心変わりが気になっていたからだった。
桜が枯れてもなお花で賑わっている花街は、昼ということもあってか、どこか明け透けな明るさに満ちていた。まるであっけらかんと笑う慶次を思い起こさせる街中を、政宗は苛立ちに舌打ちを堪えながら歩いていった。さきほど、慶次に約束をすっぽかされたことを思い出してから、むかっ腹が立っていた。豊臣のこともある。これは何か、報復をしてやらねば気が済まない。
地図に記された所在地と現在地とを確認し、政宗が軒先で水打ちをしていた女に慶次はいるか尋ねると、女は心底びっくりしたのか水打ちする手を休め、まじまじと政宗を見た。
政宗は人を観察するのは好きだが、人に観察されるのは好きではない。違うことはわかっているが、隻眼であるゆえに見られているような気がするからだ。それでも急下降した機嫌を見破られぬよう笑顔の下に隠し、政宗が再び柔らかい口調で問いかけると、女ははっとしたように口元に手を当てて答えた。
「慶次はんなら、確かに。二階に居ますよ。」
礼を告げ、政宗は店内へ足を踏み入れた。背後から女の興味深そうな視線が付いて回っているのがわかっていたが、気にしなかった。女に見られたからといって、政宗は何一つ困ることはない。ただこの後慶次は困るだろうが、それこそ政宗の望むところである。
だが政宗の予想に反して、慶次は突然訪れた政宗を見てわずかに目を見張った後、困ったように笑った。
「政宗が来るような場所じゃないよ、ここは。呼んでくれれば俺から訪ねたのに。久しぶりだね。」
思いもしない言葉に一瞬つまったものの、一日に何度も驚いてばかりいられない。すぐさま政宗は持ち直すと、どうにか返した。
「…、んな手間かけられるか面倒臭え。だいたい、アンタが来るとも限らねえだろ。」
「そんなことないよ。」
否定する慶次にうさんくさそうな目を向け、勧められた場所に腰を下ろしてから、政宗は鼻で笑った。
「上杉の酒に飽きたら伊達に来るって言ってたのは、どこのどいつだ。結局、来やしやがらねえ。来ねえ来ねえと思ってりゃ、こんなところに居やがる。」
「そりゃ、悪かったとは思ってるんだけどさ。その前に、ちょっとすることができちゃったから。」
「それは、怪我の療養か?」
じろりと白い包帯が巻かれた腕に視線を向け、政宗は尋ねた。
こんな様で、花街の用心棒ができるわけがない。用心棒というのは肩書きで、結局、慶次は好意に甘えて間借りさせてもらっているだけなのだろう。この宿の女郎と懇意の仲なのかもしれない。そう思うと、なぜかなおさら腹が立ち、政宗は必死に眉間のしわを平らげることに専念しなければならなかった。そんなどうでもいいことで機嫌を損ねているなどと、目の前の男には絶対に知られたくなかった。
慶次はばつが悪いのか、包帯の巻かれた腕をひそかに後ろに隠し、頭をかいた。
「う…、まあ。そうなるのかな、結果的に。」
「結果的に、か。ならなんで、怪我こさえた?わざわざ大阪城に討ち入りなんぞしなくても、そこらで喧嘩でもすりゃ十分だっただろうがよ。」
「…わかってて、わざわざ遠回りして訊いてくるだなんて。政宗、性格悪いんじゃない。」
「Ha!俺ごときにしてやられるアンタが阿呆なだけだろ。で、話逸らすんじゃねえ。何でだよ。」
視線を泳がせる慶次の頬を両手で包み、正面を向かせ、政宗は訊いた。こうして近くで見てみると、すでに薄れかけていたが、慶次の鼻頭や額にも擦り傷や痣が沢山できていることがよくわかった。
眼を飛ばす政宗の目を避け、慶次は困ったように嘆息した。
「…乱暴だな。」
「目逸らすんじゃねえ。乱暴?んなもん、さっさと解放してやるよ。アンタが答えりゃな。」
「それ、結局乱暴じゃん。脅迫って言うんだよ。」
「脅迫、上等じゃねえか。それで?」
慶次は苦りきった顔で、視線を落とした。もぞもぞと非常に居心地が悪そうだが、政宗の知ったことではない。本当は、あの手この手で搦め手を駆使して尋ねるつもりだった政宗の出鼻をくじいたのは、慶次なのだから、自業自得というものだと政宗は胸中でうそぶいた。
「それは…。その、政宗が、」
慶次が告げた思わぬ名に、政宗は片眉を上げた。自分が何かしただろうか。あれこれ考えてみるが、思い当たるふしはなかった。
慶次は大きく息をついてから、答えた。
「政宗が半兵衛に命狙われたって、片倉さんに聞いたから。」
「…それは、」
それは、命を狙われた政宗のために、大阪城に乗り込んだと捉えて良いのだろうか。それとも、友人だった半兵衛に卑怯な真似をさせられないとたしなめに行っただけなのだろうか。
考えに窮してしまった政宗は、とりあえず、慶次の両頬に当てた手を外した。少しだけ機嫌がよくなった自分に現金なものだと呆れつつ、それはどうにかして隠さなければと焦った。
結局、政宗は慶次に、先の返答の本質から少し外れた問いかけをするしかなかった。
「それ、…で。アンタは怪我をしたのか。」
「まあ、」
口の中でモゴモゴと肯定した後、政宗の沈黙を不機嫌の表れととったのか、慶次は慌てて続けた。
「あっ。別に政宗に頼まれたわけじゃないし、勝手に俺が突っ走っただけで!それにこんな怪我したのは俺がまだまだ青いからだよ。政宗のせいじゃないから、気にしてるんだったら違うから!」
確かに、そうだ。慶次は勝手に先走り、政宗の仇敵を殴り飛ばしてしまった。政宗が、邪魔された決闘と重傷を負った腹心と命を狙われた自分とに対する復讐をする機会を、一発殴る、たったそれだけの行為で奪ってしまった。まんまと殴られた間抜けな秀吉にも、慶次の狼藉を防ごうとして失敗したのであろう半兵衛にも、それらをしてやった慶次にも、なんだか呆れてしまってこれ以上追い討ちをかける気が起こらない。いったい、このやり場のない怒りはどこに発散すればいいのか。
政宗は何か言おうとして口を開いたが、何も言葉が思い浮かばず、結局閉じた。
認めたくない。認めたくないが、慶次は大阪城討ち入りを政宗のためにしたということだ。それが実際政宗のためになったか否かはともかくとして、そういうことなのだろう。そこにあるのは、慶次の好意だけだった。
暗に示された、あまり信じたくない解答に辿り着いてしまい、政宗が二の句を告げないでいると、慶次が俯いた。
「その、遊びに行く約束だけどさ。ほんとは怪我が治ったら行くつもりだったんだけど、さっき呼んだら行くとか言ったけど。…やっぱ、それなしにしていいかな。」
「…さんざん人を待たせておいて、来ねえってことか。」
「ううん。きっと政宗に相応しい男になってから遊びに行くから。それまで、待っててとは言わないよ。政宗は殿様だし。ただ、…こんな男もいたなって、覚えててくれないかな?」
「前田の甥が、ずいぶん気の弱い言い方するじゃねえか。いつもの威勢はどうした。」
どうにかいつもの調子で返した言葉は、それでも政宗の期待を裏切って、若干、小さかった。政宗の内心の狼狽を悟り、慶次がいつもの調子でほがらかに笑った。
「そんなん…、恋の前には無力だって。知らないの?人はね、恋すると弱気になるんだよ。」
押しの一手を薦める慶次にしては、あまりにらしくない言葉だ。それとも、これが慶次の恋に対する本当のスタンスなのだろうか。そんな風に慶次を恋に臆病にしたやつを、政宗は力いっぱい罵ってやりたかった。そんな風に恋に臆病な慶次を、政宗は力いっぱい張り倒してから、抱きしめてやりたかった。
そう思ったことに気付き、慌てて脳内で頭を左右に振っていると、慶次の大きな掌が髪を優しく掻き分け、政宗の頬に触れた。まるで壊れ物を扱うかのような手付きだった。
とまどう政宗の視線の先で、慶次がはにかんだ。
「戦装束も嫌いじゃないけど。そうやっておんなのこの格好してた方が似合うよ、政宗は。今まで会ってきたどんな子よりも、きれいだ。」
その一言で、生来の負けん気が、政宗の中でもたげた。政宗は慶次の手を振り払い、がたんと盛大に音を立てて立ち上がると、勘違いしたのか悲しそうに目を伏せている慶次を蹴り飛ばした。
「勝手に約束反故にして勝手に暴走して人様の獲物横取りして、その上、なに勝手にテメエ一人で完結してやがる!俺は待っててと言われて気長に待つような人間じゃねえし、せめて覚えててと言われたってそんな来ねえやつのことなんかさっさと忘れる方だ!それに!アンタ恋だ恋だと騒いでるくせに、肝心なことは知らねえのか?!」
情報屋を訪れる際、政宗は本来の性別の格好をして行くようにしていた。身辺が厳重に警護された奥州と異なり、京では警護も甘くなる。人も多い上に、各国から忍ばされた草も多い。だったら、政宗が女であることをひた隠しにするため無駄に気を使い神経をすり減らすよりも、気の置けない者を二人ほど侍らせて、そこら辺にいる一人の女として安宿にでも寝泊りしながら行動した方がてっとり早いのである。だから政宗は、今日も、女物の藤の着物をまとっていた。伊達政宗の象徴である青は避けた。かもじもつけている。今まで、誰にもばれたことがない。
政宗は、肝心なところで鈍感そうな慶次相手に、ばれるわけがないと思っていた。ひとしきりからかって、豊臣を横取りされた憂さを晴らしてやろうと思っていた。それがこのざまだ。
最初から最後まで、どこまでいっても憎たらしい男だと内心歯軋りし、政宗は慶次を睨みつけ一喝した。
「男はとことん馬鹿になるっつうが、女はな、恋するときれいになるんだよ!それくらい知っとけ!」
本当に、どこまでいっても憎たらしい。こんなはずじゃなかった。男として生きて、男として生を終えて、誰のものとも知れぬ名の記された墓の下でひっそりと眠るつもりだった。
政宗は当てが外れた未来に絶望し、もう一度蹴り飛ばそうと足を繰り出したが、正気に返った慶次に受け止められよろりと体勢を崩した。テメエ素直に蹴られとけ、と罵倒する暇もなかった。
不時着したのは、固い板床ではなく、慶次の腕の中だった。破顔した慶次に抱きしめられながら、暴れることも叶わない政宗は、はた迷惑なほど理不尽な怒りに拳を握り締めながら、深呼吸をして瞳を閉じた。
それにしても、あの情報屋は実際のところ、どこからどこまで事情を知っていたのだろう。
政宗はもうどうにでもなれと全て投げ打って、慶次の背に力いっぱい腕を回し返した。
初掲載 2007年6月1日
モノカキさんに都々逸五十五のお題さま